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書の花嫁・ペルシャ書道の魅力

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イランと日本は、それぞれアジアの両極端に位置し、地理的には遠く離れているものの、古くからシルクロードを通じて文化的な交流を行ってきました。その昔、イランは現在よりはるかに広大な領域に影響を及ぼし、イラン文化圏を形成していました。そのイラン文化には文学や詩歌、ミニアチュールと呼ばれる細密画、音楽、絨毯などの手工芸品など、様々な要素が含まれますが、今回はそうしたイラン文化の重要な要素ともいえるペルシャ書道を長年にわたり手がけ、現在日本のペルシャ書道の第1人者でいらっしゃる、角田ひさ子先生のインタビューを交えながら、ペルシャ書道の魅力についてお伝えします。

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一般の日本人の方々には、日本から遠く離れたイスラムの国のイランに書道がある、ということすら、まだよく知られていないと思われます。ペルシャ書道は、日本人にとってはまさにエキゾチックな世界といってよいかも知れません。実際のペルシャ書道の作品を見ていると、本当にビジュアル的で、黒いリボンがひらひらと舞っているようで、とても美しく見えます。そのようなペルシャ書道をはじめたきっかけについて、角田先生は次のように語っています。

「大学で東洋史を勉強していましたので、ペルシア語を第2外国語として少し勉強しました。卒業してからも趣味で、中村公則先生という現代イラン文学を研究なさっている先生のお宅に週1で、8年ほどペルシア語の本を読む勉強を続けていました。先生がたまたま中学校の「美術の本」を見せてくださって、ペルシア書道のことが、まさしくその「ペルシア書道」で書いてありました。びっくりしました。日本や中国以外にも書道があるなんて思ってもみませんでした。それで私もやってみたいわなんて思いまして、真似て書いてみたのですがこれがなかなかうまくいきません。まず筆が「葦」を使うので、筆の創り方からわからないわけです。そこでイランの「書家協会」というところに手紙を出して2年くらいでしょうか、通信教育で教えてもらってからイランへ行ってじかに教えてもらったのがきっかけです」

東アジアの書道の中心地の1つ・中国の書道家には、書聖とも評され、特に「蘭亭序」などで名高い4世紀ごろの王羲之をはじめ、6世紀から7世紀にかけての欧陽詢や虞世南などが挙げられます。また、日本では中国から伝来した書道や漢字をくずして出来たかな文字をもとに、今から1000年ほど前に特に貴族階級においてかな書道が発達しました。イランの書道家では、16世紀から17世紀にかけて素晴らしい作品を生み出した巨匠、ミール・エマードが特によく知られています。

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<ミール・エマードの彫像>

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<ミール・エマードの作品>

それでは、ペルシャ書道はどのようにして出現し、現在のような形になったのでしょうか。
角田先生は、ペルシャ書道の歴史や特徴について、次のように語ってくださいました。

「ペルシア書道は、もともとアラブ人の「アラビア書道」がもとになっています。ちょうど日本の「書道」と中国の「書道」の関係と似ています。日本語に中国の漢字が入ってきて、唐の書の真似から日本独自の「かな」の書が生まれました。現在の「ペルシア語の文字」は、アラビア語の「アラビア文字」を借用しそれに4文字が追加されています。このアラビア文字は、もともと神様の言葉を写す文字として「イスラム教」と共に発展してきました。その後、文字は色々改良され、たくさんの書体がつくられました。イランでも最初はこの「アラビア書体」で書いていましたが、13世紀ごろにイラン独自の書体がうまれて、現代の「ペルシア書道」につながっています。アラビア書体はどちらかというと直線的な力強い線で書きますが、このイラン独自の書体は、ちょうど日本の「かな書体」のような印象をうけます。とても清楚で優しく優美な書体です」

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なるほど、宗教に関する言葉を書き表す文字をもとに発達したのが、ペルシャ書道だったというわけです。アラビア書道にもクーフィー体、ディワーニー体など、いくつもの書体があります。以下の写真は、アラビア書道のいくつかの書体の例ですが、そういえば何となくペルシャ書道よりは幾分固い感じのように思われます。
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先生のお話をうかがっていますと、ペルシャ書道の優雅さや美しさが実感として伝わってきます。また、ペルシャ語自体が「東洋のイタリア語」或いは、「東洋のフランス語」と称されるほど美しい言語とされ、そのペルシャ語を美しい字体で書き表すペルシャ書道は、「書の花嫁」とも言われています。それでは、そうしたペルシア書道と日本書道の共通点はどんなところにあるのでしょうか?この点について、角田先生は次のように説明してくださいました。

「道具に関しては、「筆」はまったく違います。イランでは「葦」ペンを使います。日本では「葦」が手に入らないので、竹も使っています。筆の先の方を斜めに鋭くカットするので、日本の毛筆のようにふわふわ柔らかくはありません。「墨」は、日本と同じように墨汁や固形の墨が使われています。でも「紙」は異なります。筆の先が固いので、和紙のような、けばだった紙は使えません。つるつるした紙に書いています」

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「書体に関しては、日本の楷書や草書のように、現代のペルシア書道でも色々な書体が使われています。コーランや宗教的な文章は、「アラビー」とよばれている「アラビア書体」が主に使われています。イラン人は詩がとても好きな国民ですが、その詩を書く時には、ペルシア書体の楷書にあたる「ナスタリーグ書体」で書いています。草書にあたる書体もあります」

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このように、ペルシャ書道にも正式な書法があり、書としての美を追求する上での点画の太さや比率などが定められています。以下はそうした書法を説明した資料の一部です。
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また、ペルシャ書道はいわゆる書道の作品として鑑賞するほかにも、特にイランではモスクの壁や入り口などによく利用されています。

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さらに、ペルシャ書道では特に作品の美しさをより際立たせるために、独自の装飾の入った紙が使用されることもあります。以下の写真は、そうした装飾入りの紙の例です。
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優美なペルシャ書道に長年携わってこられ、現在も日本でペルシャ書道の普及に努めておられる角田先生に、現在のご活動の内容と今後の活動のご予定についてお聞きしました。

「イランにも書道があるの?」と聞かれるほど、まだまだ日本人にはなじみが薄いので、2006年くらいからでしょうか、毎年、ワークショップや展示会に参加して、実際に日本人の方に見てもらっています。今年は3月16日~20日に東京の東中野のパオギャラリーというところで、ペルシア書道クラスの生徒さんたちみんなと(全部で20名くらい、みなさん日本人ですが)、小さい展示会を開きました。クラスで教材として取り上げた「オマルハイヤーム」の詩や「ライラとマジュヌーン」という古典詩の物語から抜き出した詩を生徒さんに書で書いて作品にしてもらいました。これからもペルシア書道を介して少しでもイラン文化を日本のみなさんに紹介できればいいなと思っています」

そして最後に、角田先生は日本人の皆様に向けてのメッセージとして、次のように語っています。

「日本におりますと、大きな事件が起きた時にニュースになるので、中東、イラン、イスラムの言葉を聞くと、怖いイメージがあると思います。でも、イランに行かれる前は怖いとか危険だとかマイナスイメージで行かれた方も、日本にお帰りになってからは、みなさんイランのファンになる方が多いようです。百聞は一見にしかず。ぜひイランへ旅行なさって、ご自分の目と耳でイランを体験なさってはいかがでしょうか」

-このたびは、素晴らしいお話をお聞かせいただき、有難うございました。先生の今後の益々のご活躍をお祈りいたしております。

それでは、今回のレポートの締めくくりに、角田先生の素晴らしい作品の一部とその解説をご覧ください。

作品3-王書(ナスタリーグ) (1)

ロスタムとアクヴァーン悪鬼との戦いの巻
جنگ رستم و اکوان دیو
(ナスタアリーク書体、シャーナーメ王書詩より)
نستعلیق / از شاهنامه ی فردوسی

ある日、宴を催していたホスロー王のもとに高原の羊飼いがやってきて、馬の群れを襲う
野生ロバを退治して欲しいと願い出る。王が英雄「ロスタム」に事の仔細を伝えると、
(右文)     (概要)
<たとえ、獅子、悪鬼、雄竜であれ、 نه شير و نه ديو و نه نر اژدها
この私の鋭い刃が捨て置きはいたし   نيابد ز شمشير تيزم رها
ませぬ!>と、ロスタムは言うや、 برون شد بانخجير چون نره شير
投げ縄を肩にかけ、雄獅子のように کمندی بدست اژدهای بزير
羊飼いの草原へと向かった بدشتی کجا داشت چوپان گله
悪鬼が通ったという草原へ   کزآن سو گذرداشت ديو يله
3日間、草原を探し回り、 سه روزی همی جست در مرغزار
馬群の近くで狩をする همی کرد برگرد اسپان شکار
4日目に、草原で猪の群れを見かけると、 چهارم بديدش گرازان بدشت
北風のように速い<黄金色の輝き>が چو باد شمالی بروبر گذشت
目の前を駆け抜けた درخشنده زرين يکی باره بود
ロスタムは、愛馬ラクシュに بچرم اندرون زشت پتياره بود
拍車をかけ、 برانگيخت رخش دلاور ز جای
<こいつを射落としてはならぬ。 چو تنگ اندرآمد دگر شد برای
長縄で生け捕りにし、   چنين گفت کينرا نباید فگند
王のもとに届けるのだ> ببايد گرفتش بخم کمند
と、言うや、 نبايدش کردن بخنجر تباه
野生ロバの頭めがけて、 برينسان برم من بنزديک شاه
投げ縄を投げた、、、 بينداخت رستم کيانی کمند

(左文)
野生ロバは、ロスタムの投げ縄を見るや چو گور دلاور کمندش بديد
風のように目の前から消えてしまった شد از چشم او ناگهان ناپديد
<ロバは悪鬼アクヴァーン、ここはやつの住処>  زدانا شنيدم که اين جای اوست
と、知恵者に聞いたことを思い出す همنگه پديد آمد از دشت باز
すると、草原にまた現れ出た کمانرا بزه کرد و از باد اسپ
ロスタムは、今度は、弦の弓を張ると、 بينداخت تيری چو آذر گشسپ
駿馬から<稲妻>のような矢を放った همان چون کمان کئی درکشيد
が、また消えてしまった  دگر باره زو گور شد ناپديد
ロスタムは、広い荒野に همی تاخت اسپ اندر آن پهن دشت
馬を駆り、3日3晩 چو سه روز و سه شب همان برگشت
鞍の上で寝起きし شدش تشنه و آرزومند نان
疲れ果て水や食糧を سراز خواب برکوهه زين زبان
求めていると چو بگرفتش از آب روشن شتاب
<薔薇水>のような泉が現れた بپيش آمدش چشمه چون گلاب
馬からおり、ラクシュに水をあげ、 فرود آمد و رخش را آب داد
ロスタムが疲れて眠りについた  هم از ماندگی چشم را خواب داد
アクヴァーンはロスタムが眠ったと見るや、 چو اکوانش از دور خفته بديد
風のように近づくと بتگ باد شد تا براورا رسيد
地面もろともロスタムを大地から剥ぎ取り زمين گرد ببريد و برداشتش
天高く掲げたのでした、、、 زهامون بگردون برافراخت

作品1-古典詩(シェキャステ)58.4x46.2

古典詩からاز اشعار کلاسیک
(シェキャステ書体 شکسته ی نستعلیق )

بنام خداوند جان و خرد 魂と知の神の御名において
کزین برتراندیشه برنگذرد それ以上は人智では及びもつかない
از شاهنامه ی فردوسی 「王書」より

دل میرود زدستم صاحبدلان خدا را 賢者よ 助けて、心が手綱から離れ
دردا که راز پنهان خواهد شد آشکارا あぁ、秘めた愛の秘密が暴かれてしまう
از دیوان غزلیات حافظ 「ハーフェズ」詩集より

ای ساربان آهسته رو کارام جانم میرود ラクダ追い ゆっくりと行け、魂の安らぎが行ってしまう
وان دل که با خود داشتم بادلستانم میرود 一緒だった私の心も、愛しい人と行ってしまう
از دیوان اشعار سعدی 「サーディー詩集」より

作品2-ハイヤーム(ソルス)

あぁ友よ ای دوست
(ソルス書体、ハイヤームの詩より)
ثلث / از رباعیات عمر خیام
ای دوست بيا تا غم فردا نخوريم
あぁ友よ、さあ、明日を悲しむのはやめよう

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