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イラン北西部のソルターニーイェの都市遺跡とその周辺の伝統工芸

 

Dome1
<世界遺産に指定されているソルターニーイェのドーム>

Charuq2

<ザンジャーン州の伝統工芸品の1つ・チャールク>

現在、イランにはユネスコの文化遺産及び自然遺産に指定されている、いわゆる世界遺産が合計22件存在します。このうち、テヘランに比較的に近いものとして、テヘランから西北西に330kmほど離れたザンジャーン州にある、ソルタニーイェの都市遺跡があります。この都市遺跡は、2005年にユネスコ世界遺産にも登録されており、その中でも世界最大のレンガ造りのドームと言われるソルターニーイェのドームが有名です。今回は、イランにあるこの世界遺産と、ザンジャーン州についてご紹介してまいりましょう。

ザンジャーン州のあらまし
ザンジャーン州は、面積がおよそ3万6300平方キロメートル、州の総人口はおよそ170万人で、中心都市ザンジャーン市をはじめとする8つの行政区に分かれています。この州はイランの産業の中心の1つでもあり、テヘランからおよそ300キロ西北西にあります。特にザンジャーン市にはテヘランからの高速道路が通っていることから、立地条件がよく、またイラン領内にありながら人口の多くをアゼルバイジャン系(トルコ系)の人々が占めています。そのため、街中では公用語のペルシャ語に加えてアゼリー語と呼ばれるトルコ系の言語がよく話されています。
この州の歴史は、紀元前2000年紀の終わりに遡ります。イスラム以前の時代には、この地域はザンガーンと呼ばれていましたが、これは一説によりますと、ササン朝ペルシャの時代に最も有名だった中世ペルシャ語によるゾロアスター教の経典アヴェスターの注釈書「ザンド」を信じる民から来ていると言われています。ちなみに、ザンドという言葉そのものは中世ペルシャ語で解釈、または翻訳を意味しており、これにペルシャ語の複数形語尾「ガーン」がついて、注釈書ザンドを信じる人々「ザンガーン」が住む町の名称となりましたが、7世紀にアラブ・イスラム軍の侵略を受けた後は、アラビア語の発音に従ってザンジャーンと呼ばれるようになったということです。また、シルクロードの要衝に位置していることからインド、中国,ヨーロッパにつながる重要な交易路上の拠点としても注目されてきました。
ザンジャーン州の主な産業としては、ナイフなどの刃物や、チャールクと呼ばれる独特の靴、銅製品などの伝統工芸が良く知られています。また、農業も盛んに行われており、種無しブドウの有名な産地であるほか、米、イチジク、あんず、リンゴ、クルミ、アーモンド、オリーブ、ザクロなども大量に生産されています。
さらに、ザンジャーン州にゆかりのある宗教家や軍人、政治家、芸術家なども数多く存在しており、中でもこの州のスフラワルド村に生まれた、12世紀の哲学者シャハーボッディーン・ヤフヤー・スフラワルディーがよく知られています。

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スフラワルディー(1154-1191)

ガズヴィーン州にあるイラン最大の風力発電所
さて、テヘランを出発してから、もうかなり前にこのレポートでご紹介したガズヴィーン(テヘランから西におよそ200km)に入り、進んでいくと、目の前に大きな風力発電用のタービンがたくさん見えてきました。

Tubin1

これは、ガズヴィーン州ターケスターン行政区キャハク風力発電所です。この発電所は、今から4年前に操業を開始しており、イラン最大規模の風力タービンが取り付けられています。発電量はおよそ20メガワットとされ、それぞれ風力タービンは高さが85メートル、重量が300トンにも上るとのことでした。

世界最大級のレンガ造りのドーム、ソルターニーイェのドーム
そしてガズヴィーン州を抜けてザンジャーン州に入り、しばらく進んでいくと、青いドームのある建物が見えてきました。さすが、世界最大規模のレンガ造りのドームだけあり、そのシンボルともいえる青いドームは、遠くからでもはっきり分かるほどです。

Shikichi-Zenkei

Durnama

「ソルターニーイェ・ドーム入場券売り場」の標識もありました。

Ticket-Uriba

このドームを含めた一連の遺跡は、ザンジャーン市の北西35キロほどのところにあり、14世紀のモンゴル系王朝・イルハン朝時代の「ソルターニーイェの都市遺跡」として、2005年にユネスコの世界遺産に指定されました。ドームのある有名な建物のほか、かつては浴場として使われていた施設の跡もありました。

Hammam

Furo

Hammam2

しかし何と言っても、この都市遺跡の中核をなすのは、オルジェイトゥとして知られ、イスラム教に改宗したイル・ハン朝最盛期の君子ソルターン・モハンマド・ホダーバンデが、自らの埋葬場所として建設した「オルジェイトゥ廟」、即ち、ソルターニーイェのドームです。スルターン・ホダーバンデは、1316年12月16日、このソルターニイェにて36歳で没したとされています。なお、ソルターニーイェとは王や君主を意味するアラビア語のスルタンから来ており、当時の君子ホダーバンデの御所を指します。この一連の建造物は1302年から1312年に建設され、3階建ての八角形の建物の上にさらに高さ49m、直径25メートルの丸いドームが乗った構造になっています。

Sekkeizu
<ソルターニーイェのドームの断面図>

このドームの大きさは、イタリア、フィレンツェの「サンタ・マリア教会」、トルコ、イスタンブルの「アヤ・ソフィア」に次いで世界第三位で、レンガづくりのドームとしては、世界一の大きさを誇るとされています。

Dome-Kakudai

本来8本あったミナレットのうち、数本が残っており、短くなっているものもあります。しかし、それでも日光が反射しているドームは本当に壮観で、建物の外装は失われているものの、イルハン朝が全盛を極めた当時の面影をうかがわせるものです。また、レンガ造りの建物の壁には、イスラム建築のシンボルともいえるアーチがいくつも見られます。

Gaikan-Haikyo

Arch1

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とにかく、廃墟でありながらその壮観さがにじみ出ているこのドームの内部はどうなっているのか、という思いにかられ、早速中に入ってみました。まず目に入ってきたのは、モンゴル時代の全盛期をしのばせる、その壮観な内部の構造と装飾でしたが、そのほとんどは失われていました。

Naibu-Arch

Naibu-Tenjo

とにかく、レンガを精巧に、丹念に組み合わせた構造と装飾模様が見事です。

Tenjo-1

Renga-soushoku

次に見学したのは、トルバト・ハーネと呼ばれる一室です。トルバトとは元来「土」を意味し、ハーネとはペルシャ語で家を意味する言葉ですが、一般的にはシーア派3代目イマーム・ホサインがウマイヤ朝の暴君ヤズィードと戦って殉教を遂げた、イラクの町カルバラーの土を指します。スルタン・ホダーバンデはこの一室内に埋葬されたといわれていますが、ここを発掘した結果、彼の遺体は見つからなかったいわれています。現在は、この一室の入り口にアラビア語の発音によるトルベの標識が示されています。

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現在、この一室には彩色土器を初めとする同時の遺品が展示されています。

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Doki

展示物の中には、アラビア語によるコーランの章句を刻んだと思われる碑文もありました。その昔、モンゴル軍がこの建物を襲撃し、全壊させようとした際に、この建物内でイスラムの章句の刻まれた碑文を見つけたたため、破壊攻撃を中止したといわれています。

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アルメニア語による碑文も展示されていました。

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このモスク全体の復元模型もありました。当時は外壁にもブルーのタイルが貼られ、8本のミナレットもブルーだったようです。

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さて、このトルバトハーネの展示室の見学を終えて外に出ると、この一室の入り口の手前に下り階段の入り口が出ています。この階下には何があるのでしょうか。

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階段を下りていくと、行き当たったのは石とレンガで作られた倉庫でした。ここは、とてもひんやりとしています。冷蔵庫のなかった当時、小麦や肉などの食料品をここに貯蔵していたと言われています。

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今度は、全部で70段ほどある螺旋式の階段を上り、上の階に上がってみました。途中の階にある回廊には、手の込んだ掘り込みのある木造の手すりのほか、ブルーのタイルによる見事な装飾が施されています。屋内にある回廊を一周することで、この建物内を一周出来る仕組みになっています。

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さらにもう1つ上の階に上がると、今度は外に回廊がありました。ここもやはり、レンガが精巧に組み合わされています。

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いくつものアーチを形成する複雑なレンガの組み合わせと装飾模様が見事でした。

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壁に注目すると、摩訶不思議な記号のようなものが沢山掘り込まれています。ですが、これには特別な意味はなく、単なる装飾のようです。

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ソルターニーイェのドームは、インドのタージ・マハルの廟をはじめとする、その後の世界のイスラム建築にも大きな影響を与えたと言われています。

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<ソルターニーイェ・ドームの前に立つ筆者>

ザンジャーン州のもう1つの名所、「ミールバハーオッディンの橋」

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さて、世界遺産を見学した後、今度はザンジャーン市内にある「ミールバハーオッディンの橋」を見学しました。この橋は、ザンジャーン・ルード川にかけられており、イランの国の文化財にも指定されています。この橋は19世紀のガージャール朝時代に、当時の国王ナーセロッディーン・シャーの命令を受けて、ザンジャーン市の大商人・寄進者のハージー・ミールバハーオッディーン・ザンジャーニーが建設したことにちなみ、この名がつけられています。ちなみに、この人物はこの橋以外にも、ザンジャーン州内にあるモスクや公共浴場、カナートなどの全部、或いは一部を寄進しています。

さて、いざこの橋のたもとに足を運んでみると、この橋に関する説明がなされた看板が立っていました。それによると、この橋はポル・コフネ、或いはポル・エジェデハート(ポルはペルシャ語で橋の意)としても知られているとのことです。

Kanban

この橋は全長106.6メートルにも上り、川の水面からの高さは11メートルで、中央に幅14メートルの大きなアーチ型の穴があり、さらにその両側にも小さめのアーチ型の穴があります。
もっとも、ザンジャーンルード川というには水量が非常に少なく、ほぼ干上がった状態でした。以前に、中部イスファハーンにある三十三間橋を訪れた際にも、ザーヤンデルード川の水量が大きく減少していたことに驚かされましたが、どうやらイラン全体の河川の水量が、おそらくは地球の温暖化のために減少していると考えられます。

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<ミールバハーオッディン橋のたもとに立つ筆者>

ザンジャーンの市場と著名な伝統工芸
さて、今回の旅の締めくくりにザンジャーン市内の昔ながらの市場バザールを除いてみました。ソルターニーイェのドームと同様に、このバザールもレンガをドームやアーチの形状に組み合わせて造られています。店舗の並びが幾つも連なっており、衣類や野菜、香辛料、そのほかの食料品などが所狭しと並べられ、大勢の人々でごった返しています。また、よく注意してみると、ザンジャーンでは市場内をはじめ、レストランを初めとする街中において、ペルシャ語に加えてトルコ系の言語であるアーザリー語を使用している割合が高いようです。

Bazaar2

Bazaar1

Bazaar3

さて、ザンジャーンが誇る伝統工芸の1つに、ナイフを初めとする刃物の製造が挙げられます。ザンジャーンは刃物の町とも呼ばれ、これまでに紀元前18世紀のものと思われる刃物が、ザンジャーン州で発見されているということです。また、2003年には、ザンジャーン州内のチェヘラーバード岩塩鉱山で働いていた作業員らにより、作業中に突然、塩づけの状態の人間のミイラが発見されました。それは、身長の高い狩人のミイラで、その傍らには狩猟に使う道具に加えて、取っ手がヤギの角でできたナイフが見つかっています。そのナイフは、皮製の鞘に収まっており、刃の部分が錆びていたということです。ここで発見されたナイフは、ザンジャーンでは古くから刃物製造産業が盛んであったことを示す、貴重な証拠品と言えるでしょう。
ザンジャーンにおける刃物の本格的な生産は、紀元前6世紀の半ばに興ったアケメネス朝時代にさかのぼります。それは、この時代にザンジャーンが武器製造の町であったことによります。ザンジャーンはかつて、外部からの侵略にさらされるなど、波乱万丈の歴史を潜り抜け、数多くの戦争が勃発したことから、ナイフなどの武器を初めとする金属加工産業が非常に発達しました。しかし、時代の経過とともに平和が戻ってきたことで、この産業は次第に芸術的な様相を帯びるようになり、今日ではザンジャーン産の刃物は実用品としてのみならず、装飾品としても脚光を浴びています。現在、ザンジャーンで生産される刃物は、200種類にも及んでいるということです。

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<市場内のある工房で刃物を鋳造する職人>

ザンジャーン産のナイフの最も典型的な特徴は、刃の中ほどから刃先にかけての背側の部分が少々欠落したような形になっていることでしょうか。また、ザンジャーン市内のある刃物製造工房の関係者の話では、コレクションや装飾に使われる刃物の中には、柄の部分が水牛や鹿の角でできたものもある、ということでした。

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それから、ザンジャーンでは銅製品の生産も盛んであり、市場にも多種多様な銅製品が出回っていました。

Douseihin

Douseihin

また、マリーレカーリーと呼ばれる、銀製の細い紐で細かい幾何学模様を形成する銀細工も、ザンジャーンが誇る伝統工芸の1つです。この伝統工芸は、アケメネス朝時代からの歴史を持つといわれています。この手法により、ティーカップやネックレスなどのアクセサリー、額縁、器などが作られています。

Malilekari

Malilekari2

さらに、チャールクと呼ばれる皮製の靴があります。この伝統工芸品は、イラン北東部ホラーサーン・ラザヴィー州にもあるということですが、ザンジャーン州のものが良く知られています。チャールクには、通常の靴の形態のものと、サンダル形式のものがあり、表面に色鮮やかな絹糸などで装飾が施され、靴先が尖っているのが特徴です。

Charuq

考古学的な発掘によれば、ザンジャーン州の皮革産業の歴史は、およそ2000年前にさかのぼるとされています。2003年にザンジャーン州内のチェヘラーバード岩塩鉱山での採掘作業で発見された、2000年前のものと推定される塩漬けの人間のミイラに皮製の長靴が履かせられており、この皮製の長靴がザンジャーンのチャールク製造の元祖だったといわれています。それから時代が下って、今から500年ほど前のサファヴィー朝時代には、最も豪華な装飾を凝らしたチャールクが製造されていたということです。チャールクが現在の形式に定着したのは、およそ100年前のことで、もともとは農夫たちが自ら生皮を利用して作っていましたが、後に加工した皮が使われるようになりました。チャールクは、室内用と戸外用の両方に使用され、子供用、女性用など様々な種類があります。かつては、ザンジャーンの市場には生地販売店は少なく、このチャールクを販売する店が沢山あったということですが、現在ではこの靴を実際にはく人は少なく、装飾品として利用されることが多いということです。

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ンジャーン州には、このほかにもまだ数多くの見所がありますが、これらについては別の機会に譲りたいと思います。
これからも、イランの見所や名所を随時お伝えしてまいります。どうぞ、お楽しみに。

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