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イラン西部の世界遺産と名所旧跡めぐり(1)

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<夜間にライトアップされたホッラマバード市内のファラコル・アフラク城砦>

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<高台から臨むホッラマバード市内>

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<シャープール橋の廃墟>

これまでのイラン滞在で、いわゆる観光名所とされる地域の多くを訪れてきましたが、日本の4.4倍もの国土を誇るイランにはまだまだ数多くの見所が存在します。前回は、テヘランから西に300キロほど離れたザンジャーン州にある世界遺産・ソルターニーイェのドームを含む都市遺跡と、この州の伝統工芸をご紹介いたしました。このたびは、さらに西方へと足を伸ばし、初めてイラン西部ロレスターン州、そしてケルマーンシャー州を訪問し、さらにハメダーン州の一部を回ってみました。今回から、これらの州にある世界遺産とそのほかの名所旧跡をご紹介することにいたしましょう。

ロレスターン州のあらまし
まずは、ロレスターン州からみていくことにしましょう。ロレスターンとは元来、イラン系遊牧民族の1つで、山岳民族のクルド族に近い先住イラン人であるロル族の住む土地を意味しています。この州は、テヘランから南西に約500キロのところに位置しており、イラン西部の北西から南西にかけて走っているザグロス山脈に近い地域に当たります。そのため、この州全体は山がちな地域となっており、標高の高い地域には万年雪が見られる一方で、イランの主要河川であるザーヤンデルード川、カールーン川、キャルヘ川などの源流地でもあります。この州の中心都市は州の中南部に位置するホッラマバードで、そのほかにボルージェルドなどを初めとする9つの行政区が存在します。なお、2016年の時点でのこの州の総人口は176万人とされています。この州ではまた、公用語のペルシャ語のほかに、ペルシャ語に比較的近いロル語という地方語のほか、ロル族の一部が話すさらに小規模の方言・バフティヤーリー語、南部クルドの方言とされるラキ語が話されています。

ロレスターン州ゆかりの著名人
ロレスターン州は、文人や軍人、音楽家、宗教家など数多くの著名人を輩出しています。その中でも、特に世界的に活躍している著名人として、アルメニア人の両親のもとボルージェルドに生まれた指揮者で作曲家のロリス・チェクナヴォリアン(1937-)が挙げられます。
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アルメニア系イラン人であるチェクナヴォリアンは、7歳でバイオリンを始め、テヘラン音楽院でバイオリンとピアノを学び、1954年からはオーストリア・ウィーン音楽アカデミーにて、ズービン・メータとともに指揮法を学びました。また、テヘランの音楽資料館の館長や、テヘラン歌劇場の主席指揮者、アルメニア・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督・主席指揮者などを歴任し、1980年代以降はヨーロッパを中心に活動しています。チェクナヴォリアンの有名な作品には、イラン文学を題材としたオペラ「ロスタムとソフラーブ」、バレエ音楽「スィーモルグ」、そして交響曲第1番「大虐殺の犠牲者へのレクイエム」などがあります。

また、同じくボルージェルド生まれの著名人の1人に、シーア派イスラム教の最高権威者で、1979年のイラン・イスラム革命の指導者ルーホッラー・ホメイニーの恩師でもある、セイエド・ホセイン・タバータバーイー・ボルージェルディー師(1875-1961)がいます。

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テヘラン州から中部マルキャズィ州を経てロレスターン州へ
さて、テヘラン市内を出発して南西方向に車で向かい、まずはマルキャズィ州に入りました。この州には、これまでにこのレポートでお伝えしたザクロの産地サーヴェやナフジール鍾乳洞、イランのオランダとして名高い草花の産地で、温泉も多いマハッラート、ホメイニー師の生家などがあります。過去に訪れたそれらの名所を思い返していると、何と長い砂煙のようなものが立ち上っていることに気がつきました。そう、竜巻です。

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竜巻をそばで見るのは初めてです。良く見てみると、最初は地面にごく小さな風の渦巻きが出来て、それが段々に上に伸びていくというパターンで竜巻が出来ていくところが確認できました。また、時には同時に2つあるいは、3つの竜巻が発生している光景も見られました。

それからさらに車で走り、テヘランを出発して約3時間後に、マルキャズィ州の中心都市アラークに到着。ここで昼食をとってからさらに南西に進んでいくと、それまでの岩や砂がメインだった山肌にいくらか緑が目立つようになってきました。聞いてみると、これらはこの地独特の松の木の一種だそうです。
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そして遂に、マルキャズィ州に別れを告げ、ロレスターン州の入り口に到着。「ロレスターン州へようこそ」の看板が立っています。

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正確には、ここはロレスターン州の中北部にあるボルージェルド行政区だとのこと。先にご紹介したチェクナヴォリアンの生誕地です。ここからさらに南に下ると、中心都市のホッラマバード市に通じます。

ホッラマバードの歴史的な経緯
ホッラマバード市の歴史は非常に古く、紀元前のエラム王朝時代にまでさかのぼります。当時、ここはハーイダールーと呼ばれ、現在のイラン南部にある都市アフワーズやスーサなどと共に、エラム王朝時代の重要な都市とされていました。紀元前646年に、エラム王朝とハーダールーはアッシリアの王アッシュールバニパルに攻略、占領され、その後さらにシュメール人やアッカド人、バビロニア人、モンゴル人など、様々な民族に侵略される運命をたどっています。紀元前4世紀にはまず、サーサーン朝の10代目の王シャープール2世により、現在のホッラマバードのある場所にシャープールハーストという町が建設されました。もっとも、イスラム軍の侵略を受ける以前、即ち7世紀初めごろの歴史的な文献には、シャープールハーストという地名が出てくるものの、8世紀以降の史料にはこの名前は見られず、ホッラマバードという名称のみが見られるということです。このことから、考古学者の間ではシャープールハーストの町は7世紀の中盤から末期にかけて完全に破壊され、ここに住んでいた住民は現在のホッラマバード市内に残るファラコル・アフラク城砦の西側の地域、即ち水の便に恵まれていてより安全とされる地域に移住し、また、政治的、地理的な状況も加わってこの時に現在のホッラマバード市の中核が形成されたとされています。また、この町は13世紀にもモンゴル軍の襲撃により大きな被害を受けましたが、200年ほど前のガージャール朝時代ごろから商業の町として発展し、またこの時代に当たる1836年には、イギリスのオリエント学者ローリンソンがホッラマバードを訪れています。

また、ホッラマバードでは、1923年から1924年にかけて、現イスラム共和体制の1つ前の時代であるパフラヴィー朝の開始を前に、政権側に対するロル族の騒乱が発生しています。この騒乱が起きたきっかけは、このロレスターン州の部族の一部が追いはぎの罪で逮捕され、追いはぎの張本人たちは逮捕後武器を捨て、赦免されたものの、逮捕されていた部族長たちの一部がホッラマバードで処刑されたことです。この出来事が原因で、ホッラマバード北部近郊においてロル族の民衆と政権側の軍隊との間に激しい衝突が発生しました。こうしてその後も、政権側とロル族側との衝突がロレスターン各地で発生し、こうした騒乱の平定で活躍したパフラヴィー王朝がその後、レザー・シャーを初代皇帝としてイランを統治することになります。
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<ホッラマバード市内でのロル族の部族長たちの処刑の様子>

そして1979年のイラン・イスラム革命により現体制となって間もなく、ホッラマバードはイラクとの国境に面したイラン南西部と西部の3つの州に隣接していることから、イラン・イラク戦争時代にイラク軍に空爆され、大きな被害を受けました。特に、1982年の初めての空爆を皮切りに、この町は合計140回ものイラク軍のミサイル攻撃などにより、合計2300人以上が犠牲になっており、この戦争による被害の大きさでは南西部の町アバダーン、アフワーズ、デズフール、イーラームに次いで5番目とされています。
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<イラク軍の空爆の被害を受けたホッラマバード市内>

さて、ホッラマバード市は、地元の方言ではホルモアと呼ばれ、2016年の時点での総人口はおよそ37万人ほどです。また、ペルシャ語でホッラム(瑞々しい、青々しい)+アーバード(繁栄した)と呼ばれる通り、風光明媚さや温和な気候に恵まれています。このことから、この都市は国連の地域事務所により、イランの観光モデル都市に指定され、ホッラマバード市内だけで、幾つもの見所が存在します。そこでまずは、比較的小さめの見所から足を運んでみました。

キュー湖湖畔の散策

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<上空から見たキュー湖の全景>

ホッラマバード市内の観光スポットの1つに、様々な水生生物が生息し渡り鳥も飛来するキュー湖があります。この湖の名称のキューとは、ホッラマバードで話されるロル語で紺碧を意味しており、この湖の水が透明であり、遠くからは紺碧に見えることからこの名がついたとされています。細長い形をしたこの湖は、市内北西部に横たわり、総面積はおよそ7ヘクタール、水深は3メートルから7メートルほどです。また、その周辺には遊園地などの娯楽施設もありますが、やはり最高は何と言ってもこの湖でスリルを楽しめるボート乗りや水上スキーではないでしょうか。
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ですが、爽やかな涼風に吹かれながら湖畔をゆっくりと散策するのもまた独特の楽しみがあります。
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観光地とあってか、この湖に見られる水鳥たちは人なれしているようで、かなり近くからカメラを向けても平然としています。
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夜になると、水鳥たちはこの湖の片隅に設けられたねぐらに入ります。色々な種類の水鳥が仲良く雑居しているようです。
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真夏の暑さも和らいだ丁度よい陽気とあってか、夕方になってもボート遊びや水上スキーを楽しむ人々の姿が見られました。
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セルジューク朝時代の碑文(サンゲ・ネヴェシュテ)
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さて、一夜明けて翌朝、ホッラマバード市内中心部にあるトルコ系王朝・セルジューク朝時代の碑文を見学しました。11世紀から12世紀ごろのものとされるこの碑文は、いわゆる普通によくある薄手の石板ではなく、むしろ立方体に近い形状をしています。高さは3.5メートルほどで、全体的に薄いベージュ色の石の表面に、アラビア語の書体の1つであるクーフィー体で、沢山の文字が刻まれています。
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この碑文に関する英語とペルシャ語による説明もありました。
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ここに刻まれている碑文は、「神の名において」というアラビア語の文句で始まり、その下に4段にわたり、当時シャープールハーストと呼ばれたホッラマバードにおける放牧税の免除規定や、一部の好ましくない伝統の廃止などを定めた、セルジューク朝の王の1人、アミール・エスファフサーラールの命令内容が記されています。
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レンガ造りのミナレット
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さらに、市内南部には高さ30メートルにも及ぶレンガ造りのミナレットがあります。このミナレットは、その建築様式から見て、今からおよそ900年ほど前のデイラム王朝時代に建てられたとされており、ホッラマバード市の前身とされるシャープールハースト旧市街に隣接した場所にあります。基礎部分の高さだけでおよそ5メートルあり、このミナレットの最も太い部分の直径はおよそ5.4メートルとされています。さらに、このミナレットの内部には99段におよぶ螺旋階段があり、ミナレットの西側にある入り口から入って、これらの階段を上り、屋上に出られる仕組みになっていますが、現在ミナレットの中に入ることはできません。

このミナレットに近づいてみると、その名が示すとおり、レンガが精巧に組み合わされていることが伺えました。

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このミナレットは当時、旧都市シャープールハーストに向かって来ていた隊商を誘導するために利用されていたということです。過去には、数多くの隊商の一行がこのミナレットを利用して進行方向を確認していたほか、監視人がこのミナレットの最上部に常駐して外敵が襲来して来ないかを確認し、危険が迫っていると感じた時には、すぐさま人々に警報が出されていたとされています。
なお、夕方になってホテルに戻る際、再びこのミナレットの近くを通りましたが、その時の夕闇に映えるミナレットの美しさもまた格別でした。
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円形の泉・ゲルダーブサンギー
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この泉は、市内中心部の旧市街にあるサーサーン朝時代の遺跡で、毎年2月の初旬から中旬にかけて水が湧き出し始める泉の周りを、石とモルタルで出来た壁により円形に囲ったものです。これは、イランの国家遺産にも指定され、ペルシャ語での名称の由来はゲルダーブ(渦巻き)+サンギー(石造りの)となり、石で囲まれた泉の水が渦巻くことから来ています。直径18メートル、総面積は256平方メートルにも及びます。泉の周りを取り囲んでいる石造りの壁の厚さは、およそ3メートルほどでしょうか。
この泉から湧き出る水は、以下の写真にあるように、泉の下方に設けられている水路(出水口)により、ホッラマバード市内の河川に流入する仕組みになっています。
見学者用の階段を上がってみると、泉の丁度向こう側に小さな出水口があるのが見えました。
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石材が規則正しく積み上げられてできた壁が泉を取り囲んでおり、その薄赤い壁と、長い間溜まって淀み深緑色に変化した水とのコントラストが、また独特の光景をかもし出していました。また、泉の底から壁の最上部までは、およそ10メートルほどとのことでした。

今度は、泉の向こう側に回って、先ほど遠くから見た出水口のところに行ってみました。この出水口は、丹念に石を組み合わせてできたアーチ型になっており、手前に大きなアーチと、その後ろに小さめのアーチがあり、さらによく見ると泉の水の溜まる部分よりやや上に造られています。このため、水が湧き出るシーズン以外は、この水路には水は到達しないようです。ちなみに、現在は水が湧き出るシーズンではないとのことで水量が少ないらしく、水路は干上がっていました。関係者の方のお話では、毎年春の初めには、この泉から1秒当たり170リットルもの水が湧き出るとのことでした。なお、この出水口のアーチの部分は最大で160センチ、幅は90センチほどです。
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現在は、水量が少ないシーズンで水路に水が流れていないため、水路に下りて中を見ることができました。先ほどとは丁度反対側から見ることになります。
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この泉は本来、飲料水としてのほか、かんがい用や水車のための水として使われていたとされています。ですが、特に近年ではホッラマバード市内の年間降水量が激減していることから、この泉の水が湧き出る期間も短くなってきているということです。

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<水が湧き出るシーズンの出水口と水路>

次回は、ホッラマバード市内の最大の見所の1つである、ファラコル・アフラク城砦を中心にお届けします。どうぞ、お楽しみに。

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