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テヘラン発・イラン最新レポート(2012年4月)

 

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今回から、テヘラン在住11年目を迎える私・山口雅代が、拙いながらイランに関するホットな話題を、月例報告の形でお届けいたします。

日本では、イランというと中東の産油国、砂漠、革命、戦争、厳格なイスラムの国、そして最近では核問題をはじめとする政治の話題、どちらかというと近寄りがたい、そして漠然としたイメージしか浮かばないという方が多いようですが、実際に住んでみますと、日本のメディアを通してはなかなか見られない、イランならではの魅力がたくさん見えてきます。日本の4倍半の国土面積を有するイランは、乾燥した砂漠気候というイメージとはまったく違い、四季の変化に富み、気候区分では熱帯から寒帯まで、乾燥した地域から湿り気の多い地域までと多岐にわたります。
1935年まで波斯・ペルシャと呼ばれていたイランは、数千年に上る悠久の歴史と文明を誇り、シルクロードを通じて古くから日本との交流を保ってきました。また、イランは多種多様な文化、宗教、多言語を有し、民族混交の国でもあります。このレポートでは、そうした背景を持つ中東の親日国家イランに関する、最新の話題をお届けしてまいりたいと思います。
去る3月29日から4月1日まで、つまりイランではノウルーズと呼ばれる春のお正月期間の終わりに、イラン中部の砂漠・ステップ草原地域を旅してまいりました。今回はこの旅についてご報告いたします。

3月29日(木)

朝5時半に、テヘラン市中心部にあるヴァナク広場から出発です。とはいっても、イランは現在サマータイムを活用しており、時計を1時間進めているため、実際には朝4時半。まだ日も昇っていません。今回参加するのはダラフーという旅行会社が主催するツアーで、参加者は総勢42名。親子参加の小中学生から独身の男女、年配のご夫婦までと、年齢層もさまざまです。幸い、皆さんとても気さくでフレンドリーな方々ばかりですぐに打ち解け、定刻に長距離バスで出発。担当のガイドさんも素晴らしい方です。幸先のいいスタートを切りました。
まずは、テヘランの東250キロほどのところにある、セムナーン州東部の町ダームガーンに向かいました。5時間ほども走ったでしょうか。途中、同じセムナーン州内の町ギャルムサールで朝食をとり、ダームガーンに着いたのは正午でした。この州自体、東西に長く大きな州で、さらに東に向かって進みますと、イスラム教シーア派の有名な聖地・マシュハドに行くことができます。また、先に通過した町ギャルムサールは、かつてシルクロードの要衝として栄え、キャラバンサラーと呼ばれる昔ながらの隊商宿の跡も残っています。
さて、最初の目的地・ダームガーンでは、ターリハーネ・モスクを見学。このモスクが、1つの建造物群として建てられたのは今からおよそ1700年ほど前、つまり、イスラム教がイランに伝来する前のことと推定されています。
建設された当初は拝火教の寺院として使われていたとのこと。今から1400年前にアラブ・イスラム軍のイラン侵入によりイスラム教徒に征服され、イスラム教寺院・モスクとなったそうです。また、高さ26メートルにも及ぶ尖塔ミナレットは、後から追加されたとのことでした。さらに、敷地内をよく見てみると、他の建物よりもはるかに古いと思われる太い柱のようなものが立っています。このモスクの管理人さんのお話では、この2本の柱は、7000年から8000年前のものと推定されているとのことでした。
さて、バスはダームガーンを出発し、今度はそのはるか南方にある宿泊先・イスファーハーン州ジャンダグに向かいました。イスファハーン州は、セムナーン州の南隣の州です。途中、次々に変わった地形や山、ステップ草原や砂漠が見えてきました。本当に広大でバラエティーに富んでおり、同じような景色が続くことはありません。わずかに背の低い植物が生えている場所も見られます。さらにしばらく進むと、リグジェンと呼ばれる地域に入りました。塩分の結晶で白く見える部分もあります。リグジェンとは、ペルシャ語でリグ(砂)+ジェン(悪霊、魔神)、つまり不毛で生物が全く生息できない、また雨が降って湖沼ができてもすぐに干上がってしまう土地、魔神が住む土地という意味だそうです。また、これは単なる砂漠ではなく、まさに塩漠というにふさわしいものでした。
宿泊先のジャンダグに着いたのは夕方5時ごろでした。ここは、ごく小さな村で、ジャンダグとは、塩漠の近隣という意味だそうです。私たちの宿泊先は、かつては要塞として造られ、その一部が宿泊施設となっているキャラバンサラーでした。浴室やトイレ、冷暖房などは完備されていますが、寝泊りする部屋は一般のホテルとは違い、土壁に覆われた昔ながらの造りです。また、ここには小さな郷土博物館があり、昔の暮らしの中で使われていた道具も展示されていました。また、青空ロビーに相当する中庭には、腰掛けがいくつもありましたが、これはこの地方に多いヤシの木の幹を切ったものだそうです。また、このキャラバンサラーのオーナーの方のお話によれば、現在残っているこの要塞・キャラバンサラーの建物は築1000年と推定されているということでした。
この宿泊所での初めての夕食は、ごく普通のイラン食のメニューでしたが、付け合せに出されたヨーグルトの風味が、普通のものと少し違うように感じられました。訊いてみると、牛乳ではなく、羊の乳汁で作ってあるそうで、普通のヨーグルトよりも栄養価が高いとのことです。中庭で皆で夕食を食べた後、バスの長旅でとても疲れていましたので、シャワーを浴びてすぐ就寝。第1日目が、無事終了しました。

3月30日(金)

起床は朝7時。朝食もやはり、宿泊所の中庭で他のツアー客と一緒に済ませました。パン、紅茶、ゆで卵、バター、ジャムといった、ごく一般的なイラン式の朝食ですが、地元独特の、テヘランのものとは少々違うパンが出ました。
朝食後、9時にバスで宿泊所を出発し、ケヴィーレメスルという町に向かいました。ここでは、ラクダ乗りが体験できます。いざ到着して待っていると、係員の人が、つながれた3頭のラクダを連れてきました。2頭の子ラクダもついてきています。そばで見て、改めてラクダの大きさに驚かされました。体高は2メートル近くはあったでしょうか。階段のついたコンクリート台に上り、周りの人に手を貸してもらい、初めてラクダの背にまたがりました。人に慣れているせいか、ラクダはおとなしく待っていてくれました。
1頭のラクダに1人ずつ乗り、揺れても落ちないようにしっかりつかまるよう指示され、用意が整ったところで、係員の人の先導により、ラクダがゆっくりと歩き出しました。ラクダが1歩1歩踏み出すたびに少々揺れます。長時間ラクダに乗って移動することは、かなり体力がいると感じました。しかし、辺りを見渡すと、砂丘とステップが広がっており、シルクロードを行く隊商のような気分になりました。そういえば、ペルシャ語のことわざに、「ラクダに乗って背をかがめることはできない」というものがあります。これは、自分のしたことは隠せない、偽りやごまかしがきかないことを意味します。確かに、あれほど大きなラクダに乗っていれば、相当に目立ちます。
ラクダは、砂漠の舟と呼ばれますが、これにはいくつか理由があります。まず、10日間水を飲むことなく生きられ、サボテンやアカシアなどの粗食で体が持つということです。また、足が砂にめり込まないつくりになっており、さらに周りの気温に合わせて体温を調節でき、エネルギーや水の摂取の節約が可能です。さらに鼻の穴が自由に開閉し、まつげが長いことから砂嵐に耐えられることがあげられます。また、200キロほどの荷物を、毎日、距離にして30キロ、連続7日間運搬できるほど、体が強いとされています。
ラクダに乗ってシルクロード紀行を体験した後、近くのレストランで昼食をとってから、再びバスで出発しました。今度は、本格的な砂漠の見学です。ラムルと呼ばれるその地区に着いてみると、一面に砂のなだらかな山と谷が広がっていました。物音1つ聞こえず、あたりはしんとしています。斜面には、風に吹かれたせいでしょうか、規則正しい波のような模様ができており、大自然のなせる芸術に、思わず息をのみました。砂の粒は非常に細かく、はだしで歩いてみるととても気持ちのよいものでした。
ところが、それから1時間ほどもたったでしょうか。突如砂嵐が襲ってきました。大量の砂塵で煙幕が張られたような感じです。そのため、とても目を開けていられない状態でした。
当初の予定では、その日の夜はここで天体観測を行うことになっていましたが、天候不良のため、早めに切り上げて宿泊先に戻りました。上着も靴下もスカーフも砂だらけ。上着を脱いでみたら、ポケットにもしっかりと砂が入り込んでいました。2日目の最後は、少々ハプニングがありましたが、それもまた、面白い経験になりました。

3月31日(土)

今日は、昨日よりもやや早く出発しました。今度は、行政区分上お隣のヤズド州にあるバヤズィーエの城塞を見学します。バヤズィーエという地名は、アラビア語で「白」を意味します。つまり、この城塞がある地域周辺の土壌には、塩分が含まれているため一面に白く見えることから、この名がついたといわれています。この地域に近づくにつれて、バスの窓から見える景色が次第に白く変わってくるのが分かりました。
バヤズィーエの城塞は、今から1700年ほど前のものと推定されていますが、数年前にここを訪れたユネスコの調査団は、3000年前のものであるとの見方を示しています。なお、この城塞は、今から900年ほど前のセルジューク朝時代、ハサン・サッバーフが主導するイスラム教シーア派の分派、イスマーイール派教徒らが結成するアサッシン教団の本拠地として使われていました。一説によれば、イスマーイール教徒らは当時、モンゴル軍の侵略に対抗するため、敵を暗殺する技術の訓練を受けており、さらには、生活のためにハシーシと呼ばれる植物を栽培していたといわれています。現在、ヨーロッパ諸国の言葉で暗殺者を意味するアサッシンは、これに由来するとされています。
この城塞の中に入ってみると、地下にはカナートがあり、きれいな水が湧き出ていました。さらに、階段を上ると、あちこちにいくつもの穴ぐらがあり、それぞれが個別の部屋のようになっています。この城塞には、かつては500もの部屋があり、2000人以上の人々が住んでいた時期もあったそうです。屋上に上がって辺りを見渡してみると、あたり一面に塩漠が広がり、ところどころに、砂漠を代表する植物であるヤシの木が生えていました。
砂漠・塩漠地帯では、ラクダと並んで、ヤシの木が重要視されています。面白いことに、ペルシャ語では、人間を1人、2人と数えるように、ラクダとヤシの木を数える際にも、1人、2人と数えます。地元の人々によれば、枯れてしまったヤシの木を、殉教したヤシの木と呼んでいるそうです。また、宿泊先のジャンダグや、昨日ラクダに乗った町でも、そしてここバヤズィーエでも、ヤシの木の葉で編んだかごやざる、帽子などが売られており、ヤシの木がこれらの土地の人々の生活と深く結びついていることをうかがわせます。
この日のもう1つの見所は、水面が塩分の結晶で固まっている湖、塩湖でした。しかし、歩いてみても、崩れる気配は全くありません。印象的だったのは、一面に広がる真っ白の湖面に、まるで蜂の巣を拡大したような、幾何学模様ができていることでした。これは、雨が降った後に、塩分が地表面に加える圧力によるものだそうです。塩分の結晶が盛り上がっていくつもの線ができており、遠くから見ると蜂の巣のように多角形が連なっているように見えます。湖面に穴が開いているところを見つけ、観察してみますと、湖面を覆う塩分の厚さはおおよそ2,3センチで、その下には塩水がたまっていました。そして、当然のことながら、ここには生物は一切生息していないということです。
この日の最後は、昨日できなかった天体観測でした。テヘランでは大気汚染のため、いつもなら普通に見られる山の姿までがかすんで見えることがあります。しかし、町から遠く離れた塩獏では、空気が汚れていないため、数年来テヘランでは見られなかったきれいな星空を仰ぐことができました。オリオン座や北斗七星などのおなじみの星座のみならず、それ以外の細かい星星もはっきり見えます。バスから降り立って空を見上げたときには、満天にちりばめられ星星に、思わず歓声が上がりました。塩漠地帯では、昼と夜の気温の差が大きく、夜はかなり寒くなりましたが、諸星のあまりの美しさに、寒さを忘れるほどでした。満天の星を仰いだ感動の余韻に浸りながら、深夜、帰途につきました。

4月1日(日)

今日は、このツアーの最後の日です。朝食の後、出発前のわずかな時間に、宿泊先のキャラバンサラーのオーナーである、セイエド・エブラーヒーム・タバータバーイーさんにお話を伺いました。シルクロードの時代には、ラクダが1日に進むことのできる平均距離である、6ファルサング、つまり、大体30キロごとにキャラバンサラーが設けられていたということです。キャラバンサラーは、ペルシャ語で旅商人の宿を意味します。さながら、昔の日本でいう宿駅のようなものでしょうか。ただ、キャラバンサラーにやってくる人々は、旅商人ばかりではなく、普通の旅行者のほか、巡礼者もいたということです。キャラバンサラーには、飲料水や食料のほか、ラクダや馬に食べさせる飼葉が用意されており、旅商人はここで仲買人の斡旋により商取引を行い、荷物を積み替えていました。キャラバンサラーは途中で宿泊し、ラクダや馬を休ませる宿駅のような役割を果たしていたのみならず、商取引や情報交換の場所でもあったということです。なお、イランではその昔、砂漠地帯の移動にはラクダが使われ、それ以外の地域の移動には馬が使用されていたということでした。
そして、3日間泊まったキャラバンサラーに別れを告げ、最後の見学場所であるナイーンの大モスクに向かいました。ナイーンは、これまで宿泊していたジャンダグから、およそ180キロ離れた小都市です。さらに、この町から100キロほど西に進むと、かつては世界の半分と言われた古都イスファハーンに行き当たります。
さて、ナイーンの大モスクは、今からおよそ1300年前から1100年前ごろ、ウマイヤ朝時代にその前身となる建物が造られたといわれています。礼拝の時刻を告げるミナレットの高さは、28メートルにもおよび、円筒形ではなく八角形になっています。さて、本堂の中に入っていくと、大きな説教壇がしつらえてあり、複雑な唐草模様や幾何学模様の浮き彫りが施されていました。さらに、北側に面する、シャベスターンと呼ばれる礼拝室は、100本以上の柱で支えられています。なお、この大モスクは、今から80年ほど前に国の歴史遺産に指定されているそうです。
ナイーンを出発し、テヘランに向かう途中にも、車窓からは多くの山々が見えました。これらの山の多くには何層にも重なった地層が見られます。このことから、地質学的に見てこの地域は数千万年、さらにはそれ以上の長い歴史を経てきたものと思われます。
こうして、全日程を終え、イスファハーン州内の都市カーシャーン、そしてテヘラン南方の聖地ゴムを経て、この日の夜、無事にテヘランに到着しました。4日間ツアーで一緒だったお客さんやガイドの方とも、素晴らしい友人関係を築くことができ、再会を約束して別れました。

今回の旅で感じたことは、イランにはいわゆるよく知られた名所旧跡のほかにも、まだよく知られていない名所がたくさんある、ということです。もしかすると、現在旅行ガイドブックに載っていない景勝地が、今後新たに発見されるかもしれません。大いなる可能性を秘めた、イラン大陸の新たな魅力を求めて、これからもイラン各地を訪れてみたい、そんな思いを新たにした旅行でした。

山口雅代

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