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イラン北部・アルボルズ山脈にそびえ立つルーデハーンの城砦

 

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イラン北部・カスピ海の西海岸に位置するギーラーン州は、日本の気候風土に類似し、降水量が多く、緑豊かなことで知られています。ギーラーン州は、隣接するマーザンダラーン州と同様にカスピ海に面しており、中心都市ラシュトをはじめ、港町バンダルアンザリー、アゼルバイジャン共和国に隣接した国境都市アースタラー、茶葉の名産地ラーヒジャーン、階段のような独特の建築様式の家並みが見られるマースーレ村など、多くの見所が存在します。このため、ギーラーン州はイラン人の間でも人気のある観光地となっていますが、このギーラーン州には何と、48に上る城砦の跡が存在しています。今回は、その中でもおよそ1000段の階段を上る城砦として知られる、ルーデハーンの城砦についてお伝えすることにいたしましょう。

ギーラーン州・フーマーンのあらまし

ルーデハーンの城砦は、ギーラーン州の州都ラシュトから西に向かって、およそ27キロ離れたフーマーンという町の近郊にあります。ここでまず、このフーマーンの町について簡単にご紹介することにいたしましょう。フーマーンは、行政区としての名前でもあり、クルーチェと呼ばれる、甘食のような郷土銘菓の産地としても知られています。フーマーン行政区は、今からおよそ1400年ほど前、ササン朝ペルシャの時代にあったころ、当時の王ヤズデゲルド3世の一族による政治の本拠地とされていました。また、この地域は今から700年程前には、チンギス・ハンが率いるモンゴル軍の襲撃を受けますが、この地域に住むターレシュ族の果敢な抵抗により、モンゴル軍はこの地域から駆逐されました。そして、今から500年ほど前、サファヴィー朝ペルシャのアッバース大王の時代に、フーマーンを初めとするギーラーン州一帯はイランの領土となりました。こうした事情で、フーマーンにはこれからご紹介するルーデハーンの城砦以外にも、いくつかの城砦があったとされていますが、それらの城砦は破壊され、現在は残っていないということです。

今回訪れたルーデハーンの城砦のあるフーマーンそして、その近郊にあるルードバルという町は、オリーブの生産地でもあります。ところで、フーマーンを初めとするギーラーン州は、1990年5月に大地震に襲われ、大きな被害を受けています。このギーラーン州の地震を題材とし、イランの映画制作者アッバース・キアロスタミー監督が、「オリーブの林を抜けて」、「そして人生は続く」といった名作映画を製作しています。

ルーデハーンの城砦の特徴と由来

今回見学したルーデハーンの城砦は、過去の時代において地元民ギーラーン族とターレシュ族が、異民族と果敢に戦ってこの地域を守ったことを物語る、イランでも有数の国防・軍事面で重要性の高い遺跡とされています。また、この城砦は標高660メートルから715メートルの山の頂に造られており、城砦全体の距離はおよそ1.5キロ、高さは5メートルから12メートルで、この城砦でとり囲まれた敷地の全長はおよそ500メートル、敷地面積は5万平方メートルあります。なお、この城砦の名前であるルーデハーンの由来については、色々な説がありますが、その中で有力な説としては、ペルシャ語で河川を意味するルードハーネに由来し、この城砦が川のそばに造られていることからこの名がついた、とするものです。また、この城砦は、ペルシャ語で1000段の階段を意味する、ヘザールペッレという別名もありますが、これは近年の考古学調査の際に、この城砦にたどり着くための1000段近い階段の続く道が発見されたことに由来します。一般的には、切りの良い数字として1000段の階段といわれていますが、実際のルート上に設けられた段差の数は、935段だということです。

イラン式の朝食でほっと一息

さて、朝5時ごろまだ暗いうちにバスでテヘランを出発し、ひたすら西へと向かいました。そのうちにだんだんと東の空が明るくなり始めました。最近の行政区画の変更で、テヘラン州の西側に新しく出来たアルボルズ州を通り過ぎ、さらに西隣のガズヴィーン州に入ったところで、大衆食堂のようなレストランに立ち寄り、朝食をとりました。このレストランは、長距離バスのルート上にあるドライブインのようなもので、ひっきりなしに沢山の旅行客が入ってきます。イランの一般的な朝食は、パンにバター、チーズ、ジャム、それに紅茶或いは牛乳という内容が一般的ですが、好みによって、それ以外のものを付け加えることも出来ます。ちなみに、今回は目玉焼きとハーブの野菜がついていました。これらの付け合せと、焼きたてのほやほやと思しき、ラヴァシュと呼ばれる薄手のパン、そして温かい紅茶でほっと一息。大勢の人々とテーブルを囲んで食べる朝食もまた、独特の楽しみがあります。

 

いざ、1000段の階段に挑戦

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朝食を終えて、いざ出発。そろそろガズヴィーン州を抜けて、その北側に隣接しているギーラーン州に入ろうとしている辺りから、周りの風景がにわかに変わってきました。それまでは、緑の少ない、岩肌の露出した山や平原が主体でしたが、だんだんと緑の量が増えてきています。その緑豊かな風景の中に見える家屋や建物も、日本でよく見られる切妻式のものです。ここには、セフィードルードと呼ばれる川が流れていますが、前日にこの地域一帯に大雨が降ったため、いつもより水かさが増えているということでした。いよいよギーラーン州に入り、ルードバールという町を過ぎて、正午近くにやっと、目的地フーマーンに着きました。バスを降りると、そこは谷川のある自然公園の入り口となっており、ここからいよいよ、森林や谷川のそばを通る1,5キロほどの山道を登って、ルーデハーンの城砦に向かうことになります。いざ、1000段近い階段を上るコースに入ろうとするとき、ガイドさんから、これから行く順路は足元が滑りやすく、また段差の大きいところがあるので、安全に気をつけ、腰を低くして外またで歩き、さらに普通に歩くときのように体を正面に向けたままではなく、左右どちらかに傾けて歩くように、との注意がありました。

始めのうちは、谷川のそばを散策するような感じで時折階段がある程度でした。ハイキングコースのような道の傍らには、いくつもの露店が並び、毛糸で編んだ色鮮やかな靴下などの手工芸品や、新鮮な茶葉、オリーブのピクルスの瓶詰めなどが売られ、また温かいお茶を出してくれるところもありました。そうした露店の売り子さんとの会話もまた、楽しみの1つになったと思います。標準的なペルシャ語とは違う、ギーラキー語という方言が話されており、よく注意して耳を傾けていると、語尾や文末にさーという音をつけて引き伸ばしているのが、とても印象的でした。ところが、そうこうしているうちに、だんだん足元の滑りやすい箇所が増えてきて、頻繁に段差が高い階段が増えてきているのに気がつきました。早く城砦を見たい、とはやる気持ちを抑えて、ここは慎重に歩く必要があります。ごく平坦なハイキングコースであれば、1.5キロほどの距離はそれほど長く感じなかったはずですが、傾斜が急で、しかも滑りやすいため、どうしても頻繁に休息を入れなければならず、実際の距離よりも長く感じられました。道端には、100メートルごとに、城砦まで後何百メートルという表示がなされていますが、城砦見学を終えて下ってくる人に会うごとに、後どのくらいでしょうか、と尋ねてしまうほどでした。中には、順路に従わずに近道をしようとして転倒する人もいました。このようなハイキングコースだとは、全く予想しておらず、正直なところ途中で何度も引き換えそうかと思ったこともありました。しかし、周りの人たちにも励まされ、またせっかくここまで来たのだから、やはり城砦を見たいとの一心で、ふんばること1時間半、やっとルーデハーンの城砦の正門にたどり着きました。その静かな佇まいとは逆に、この城砦からどれほど多くの兵士たちが出入りし、激しい闘いを繰り広げたのでしょうか。その到る所に雑草が生え、建物の一部が苔むしているところを見ていると、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が詠んだ、「夏草や つわものどもが 夢の跡」という名句が思い出されました。

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ルーデハーンの城砦の詳細と歴史

ルーデハーンの城砦は、全体に赤みがかかっており、主な素材は石とレンガとなっています。敷地内に42本ある監視塔は、ほとんど損傷を受けておらず、石造りのものと木造のものがあります。東西500メートルにわたる敷地は、東館、中央館、西館の3つに分かれており、正門は中央館にあります。東館と西館には、それぞれ12箇所ずつの入り口が設けられています。また、中央館は最も面積が狭く、正門のほかには兵隊の宿舎があるのみとなっています。西館は最高点が標高715メートルの地点に存在するとともに、この城砦の3つのセクションのうち、最も傾斜が急な場所に建てられています。また、西館には支配者の玉座と思われる建物のほか、貯水槽や冷凍の貯蔵庫に使われたと思われる建物や、浴場の廃墟などとともに、軍の将校の宿舎とされる建物も残っています。さらに高さが9メートルと14メートルある2本の塔が設けられていますが、これらは司令塔として使われていたと予測され、このため西館はこの城砦全体でも、軍事上の中枢司令部としての役割を果たしていたと推定されてます。それに対し、東館の最高点は標高660メートルで、軍人の宿舎、調理場として使われていたと思われる建物の廃墟のほか、監獄の跡も存在します。さらに、東館の南側には、緊急の際の非常口も設けられていました。

ルーデハーンの城砦は、1975年にイランの国家遺産に指定されていますが、その建設された年代や歴史については、正確な史料がほとんど残されていないことから、今もって定かではなく、今後の調査結果が待たれるところです。しかし、最も有力な説では、この城砦は今から1000年ほど前のセルジューク朝時代に、イスマーイール派の支持者らにより要塞として建設されたとされており、一方で3世紀から7世紀ごろに栄えたササン朝時代に建てられたとする説もあります。また、今からおよそ500年ほど前には、フーマーンの支配者であったヘサーモッディーン・エスハッギーの命により、再建・改築が行われたとされており、このことからこの城砦には、ヘサーミーの城砦という別名もあります。そして、今から250年ほど前、当時のイランを支配していたザンド朝の王キャリーム・ハーンに対する抵抗運動が行われていた時代に、イラン北部ギーラーン地方の有力な支配者オトゥールハーン・ラシュティーの命により、さらに本格的な改修工事が行われ、よりすぐれた防衛用の城砦とするために小型の大砲となどの武器が備え付けられた、と言われています。また、この要害堅固な城砦がその立地条件から、敵に占領された経歴がないことは、注目に値すると思われます。

ギーラーン州の郷土料理「ミールザーガーセミー」

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今回の旅行では昼食にギーラーン州の郷土料理「ミールザー・ガーセミー」が出てきました。ここで、この料理の作り方をごく簡単にご紹介しましょう。用意するものは茄子、トマト、にんにく、サラダオイル、塩、卵、ターメリック、ミックススパイスです。まず、茄子を皮をむかずにガスなどの直火でこんがりと焼き、水に入れて冷ましてから皮を剥いたものを、よくつぶします。このつぶした茄子と、つぶしたにんにく、そしてターメリック少々をよく混ぜ、これをフライパンで蒸し焼きにし、卸がねでおろしたトマトを加え、茄子から出てくる水分が完全にひくまでゆっくり温めます。そして最後に、解きほぐした卵を加え、塩とミックススパイスにより好みの味をつけて出来上がりです。ところで、この郷土料理の名前になっているミールザー・ガーセミーというのは人名です。これは、ギーラーン州の支配者で、料理に長けていたモハンマド・ガーセムハーン・ヴァーリーにちなんだものです。イランがガージャール朝の支配下にあった当時、ロシア・サンクトペテルブルグ駐在のイラン大使を務めていた、モハンマド・ガーセムハーン・ヴァーリーは、1860年にロシアから帰国した後、ギーラーン州の州都ラシュトの支配者となり、その際に自ら考案したこの料理を、ミールザーという男性への敬称と自分の名前を組み合わせた名称、ミールザー・ガーセミーとして発表したと言われています。

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風光明媚なイラン北部・ギーラーン州にあるルーデハーンの城砦への訪問記はいかがでしたでしょうか。今後も、まだまだ知られていないイランの見所を沢山ご紹介していく予定です。どうぞお楽しみに。

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