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イラン南部の世界遺産とペルシャ湾を訪ねて(2)

 

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前回は、イラン南部・フーゼスターン州のあらましと、日本ではスーサとして知られる古代遺跡シューシュ、そして預言者ダニエルの聖廟についてお話いたしました。今回は、その続きをお届けいたします。

預言者ダニエルの聖廟の次に、世界遺産としても名高いチョガーザンビルの遺跡に向かうことになりました。この遺跡は、1979年にユネスコの世界遺産に認定されており、シューシュの遺跡から南東におよそ40キロ離れています。これは、1935年に油田の調査の途中で偶然発見された、やはりエラム王朝時代の建築の代表作で、1951年から1962年までの間にかけて、フランスの考古学者ロマン・ギリシュマンによる大掛かりな発掘調査が進められました。チョガーザンビルとは、籠のような大きな山、或いはウンタッシュ王の国を意味します。紀元前13世紀の中ごろ、エラム王国のウンタッシュ・ネピリシャ王はシューシュを行政の中心地に定める一方で、チョガーザンビルを宗教的な中心地とし、ここにジッグラトと呼ばれる階段状のピラミッドを建設しました。ジッグラトとは、アッカド語で高い峰のことを指します。当時のエラム人は、山に神が宿ると考えており、平坦なこの土地にジッグラトを建設し、自分たちの最高の神インシュシナクを祀る場所を設けた、ということです。

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ところで、チョガーザンビルの遺跡に着く前に、ある小さな博物館に案内されました。この博物館は、チョガーザンビルの遺跡の模型や土器などの出土品が展示されており、チョガーザンビルを訪れる前の予備知識を得るためにも、是非見ておきたいところです。ここに展示されている模型によると、チョガーザンビルのジッグラトは、105メートル四方のレンガ造りで、本来は高さが52メートルに及ぶ5段のピラミッドであったほか、3重もの塀で囲まれているつくりになっています。しかも、このジッグラトの四隅がそれぞれ、東西南北の正しい方向を指しているとされ、さらにこのジッグラトの後方には、9段階に渡って雨水をろ過する上水設備の跡も存在するということでした。世界の大部分の地域ではまだ文明が発達しておらず、文字もなかったと思われるその当時で既に、エラム王朝時代の人々は近代的な技術や知識を持っていたことになります。さらに驚いたことに、この博物館のすぐそばに、もう1つの都市遺跡があるということでした。これは、ペルシャ語で7つの丘を意味するハフト・タッペと呼ばれ、紀元前2000年ごろのエラム王朝時代の都市遺跡です。この遺跡は、現在も発掘作業が進められており、先に訪れたシューシュの遺跡や、これから見ることになるチョガーザンビルの遺跡より規模は小さいものですが、王族の宮殿や墓地、宗教的な寺院と思われる遺跡が残っています。
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そして、いざチョガーザンビルの遺跡に足を踏み入れました。ここでは順路に従って進み、ジッグラトのそばまで近づくことができるようになっていますが、ジッグラトの中に入ることは出来ません。まず、一番外側の塀と中間部の塀の間のスペースには、幾つかの宮殿の跡がありました。また、ジッグラトに一番近い塀と中間部の塀の間のスペースには、いくつもの寺院や住居が設けられています。一番外側の塀に1つ、中間部の塀には4つ、そしてジッグラトに一番近い塀には5つ、それぞれ出入り口があります。エラム王朝の時代から3000年近い歳月が流れ、かつては50メートル以上あったジッグラトは、今では2段目までが完全な形で残り、3段目の途中からが欠けてなくなっていました。レンガ造りの壁のところどころは、楔形文字が刻まれており、学生時代に歴史の時間で習ったことを懐かしく思い出しました。現在の高さは25メートルほどで、ガイドの方の説明によると、1段目の高さは8メートルで、2段目の高さは12メートルだということです。さらに、メソポタミア地域に見られる他のジッグラトは、1段目の上に次の階を重ねる形で作られていますが、チョガーザンビルのジッグラトは5つの階が全て、地上部分の基礎工事から始められたとされています。自分たちにとって、最高の神を崇めるために造られたこのチョガーザンビルでは、さぞや壮大な宗教儀式が行われたのでしょう。先に見学したシューシュの遺跡も含め、ブルドーザーやクレーンもない時代に古代のエラム人たちは高度な技術を有し、しかも人智を超えた神に対する相当な畏敬の念を抱いていたことが伺えました。

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今回訪れたフーゼスターン州は、イラクと国境を接していることもあり、アラブ系の住民が多く住んでいます。至るところに、チャフィエと呼ばれるターバンのようなものを頭に巻いた男性の姿が目に付きましたが、彼らはアラビア語のほか、ペルシャ語も普通に使用しています。また、この州の北部がロレスターン州に接しているため、ロル族の人々もおり、さらにはクルド人もいるということです。色々な民族が混在していますが、どの民族にも親近感があふれていました。それから、この地域の自然にも注目してみました。車窓から見ていると、ヤシの木やヒマラヤスギの木が多く見られます。ヒマラヤスギは、木材としての材質も優れているほか、果実は食用になり、また葉っぱは小さいながらも、粉末にして天然のシャンプーとして使われているということです。そして、カールーン川とその支流が数多く流れていることから、水牛が多く見られました。ちなみに、この水牛からとれる乳汁は、普通の牛乳よりも栄養価の面ですぐれているとのことでした。ところで、フーゼスターン州には鉄道が通っており、今回シューシュからチョガーザンビルに向かう途中で鉄道用の踏切を横断しましたが、この線路はフーゼスターン州の中心都市アフワーズをはじめ、ロレスターン州、マルキャズィー州、ゴム州を通じてテヘランまでつながっている、ということでした。今回は、飛行機でアフワーズに来ましたが、今後機会があれば、内陸を長距離列車で移動してみたいと思いました。

今回訪れたもう1つの世界遺産は、イラン最大の河川・カールーン川の水の利の恩恵により栄えたシューシュタルの町にある、カールーン川の水利設備群です。これはササン朝時代の遺跡とされ、川の水の力を利用して歯車をまわし、その圧力で2つの石が擦り合わされることにより粉をひく仕組みになっています。ここには全部で数十に上る水車やダム、3つの大きなトンネル、そして水路があり、ダムの背後から滝のようなもののある敷地内に水を送り込み、いくつもの小さな運河により入ってきた水が、四方八方に分散されるのです。この小さな運河から出てくる水によって、水車が回るよう設計されています。さらに、この施設は起伏の多い地形を利用して造られており、階段が沢山ありますが、この階段の大きさも1.5mから2,5mまでと様々です。このようなシューシュタルの水利設備内では、カールーン川の水がいくつもの美しい滝となり、そのせせらぎは、訪れる人々の耳を和ませています。そして、この水利設備群から少し離れたところには、世界で最も古いとされる橋、シャンダルゴルの橋の一部が残っています。この橋には、本来44のアーチがあったとされ、現在修復作業が行われているということです。ところで、この水利設備群のあるカールーン川からは、支流のギャルギャル川が分かれていますが、このギャルギャル川は人工的に造られた川です。ササン朝ペルシャが、時のローマ皇帝ヴァレリアヌスの軍隊と戦って勝利を収めた際、多くのローマ兵がササン朝側の捕虜となりました。ササン朝は、ローマ兵の釈放の条件として、カールーン川から分かれる人工の支流を造るよう命じ、こうして捕虜となったローマ兵により造られたのが、このギャルギャル川だったということです。

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最後に、旅の締めくくりとして、ペルシャ湾にまで足を伸ばしてみることにしました。アフワーズ市内を出発し、海岸に向けて走っていると、自然に出来た大きな水溜りがいくつもありました。こうした水溜りはラグーン・潟湖と呼ばれ、雨水がたまってできたものと、もう1つは北海道のサロマ湖のように、海水が溜まってできたものと、2種類があるということです。この地域の土壌は、地下に水分を含む地層があるため、水が土壌にしみ込んだり、干上がることなく水溜りとして残っているということでした。さらに湾岸に向かって進み、マーフシャフルという港町を過ぎてから、川べりの町ヘンディージャーンに着きました。ヘンディージャーンとは、ペルシャ語でインド人を意味しますが、昔この町にはインド人の商人が沢山往来していたことから、この名がついたということです。またこの町には、ゾフレ川と呼ばれる小さな川が流れており、ここには木製の船が沢山係留されていました。これらの木製の船はレンジと呼ばれ、長期間水に浸かっていても腐食することのない特別な材質のヒマラヤスギで造られています。この種の船を作る技術は、イラン南部の航海技術としてユネスコの無形遺産にも指定されているとのことでした。

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そして、遂にペルシャ湾に面した、イラン有数の漁港とされるバフレギャルの埠頭が見えてきました。埠頭に着くまでは、湾岸から出ている橋を通りましたが、ここでは砂浜ではなく泥沼のような状態がしばらく続きました。よく見ると泥の中で何か小さいものが沢山動いていました。これは、日本の有明海でみられるムツゴロウに近い生物のようです。さて、いざバフレギャルの埠頭から見るペルシャ湾は、穏やかな細波が寄せては返し、一面にエメラルドグリーン色の海面が広がっていました。ニュース報道に出てくるペルシャ湾は、どちらかというと緊迫したイメージで捉えられていますが、実際に見たペルシャ湾は、そのようなイメージとは遠くかけ離れた、幻想的な別世界のように感じられました。ただ潮風に吹かれながら、しばし都会の騒がしさを忘れ、ゆったりとした時の流れを満喫する、そんな思いでした。温かい春のような陽気の中で、穏やかに横たわるペルシャ湾に、「春の海 終日のたりのたりかな」という名句が思い出されました。一方で、時折漁船がやってきては、魚が水揚げされていきます。ここで長年、漁業に携わっている漁師の方々のお話では、この近辺で取れる主な魚は、タイ、サワラ、ヒラメ、ハタ、ニベ、アカシタビラメなどだということでした。

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イラン南部・フーゼスターン州には、このほかにも国境都市のアバダーン、そして内陸にあるデズフル、アンディメシュクなど、まだまだ多くの見所があるということですが、今回は日程の都合で訪れることが出来なかったのが残念でした。さらに、今回の旅行でブーシェフル州、ホルモズガーン州、そしてキーシュ島やゲシュム島など、ペルシャ湾沿岸の他の地域にも興味が湧いてきました。今後、改めて別の機会にイラン南部・そしてペルシャ湾岸地域のさらなる魅力に近づいてみたいと思います。

2回に渡ってお届けしたイラン南部の世界遺産とペルシャ湾への旅行記はいかがでしたでしょうか。今後もまた、イランの見所の数々について随時お伝えしていく予定です。どうぞお楽しみに。

 

 

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