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イラン中部の古代都市サーヴェの名所めぐり(2)

 

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今回も前回に引き続き、イラン中部マルキャズィー州サーヴェ行政区と、その近郊の見所についてご紹介することにいたしましょう。

ギズガルエの城砦

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前回は、サーヴェにあるモスクや博物館、隊商宿などを中心にお伝えしました。今回は、今回の旅行のメインテーマである、ギズガルエの城砦からはじめたいと思います。この城砦は、サーヴェから南西におよそ25キロ離れた、アンディース山脈の頂上に造られています。また、今から2500年前のアケメネス朝時代に軍事的な拠点として、また人々の通行を管理するために造られたといわれ、今から12年前にイランの文化遺産に指定されています。
さて、今度は植物の少ない荒涼とした平原を走り、ギズガルエという名前の集落に案内されました。車窓からも、この城砦が険しい山の頂上に建っている光景が目に入ってきます。

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規模としてはそれほど大きくはありませんが、うす赤い岩山の上に聳え立つ城砦の壁の表面には細長いアーチのようなものが5,6本見えています。

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いざ、車を降りてみると、非常に険しい山の頂上に、先ほど車窓から見たアーチのある城砦が建っているのが分かりました。この城砦のある山のふもとには、小さな川が2本流れています。その川の向こうには、段差はそれほどないものの、石造りの階段が連なっていました。どうやら、この石段が順路になっているようです。

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この山自体がかなり険しいことから、この先の順路はもっと傾斜がきつくなってくるかもしれません。城砦までの実質的な道のりはおよそ300メートルだといういうことです。というわけで、少々緊張しながらいざ、城砦への石段を登り始めました。

いざ、難攻不落の城砦を目指して登山開始
石段を登りながら、ふと山の向こうを見渡すと、荒涼とした台地が広がり、涼やかな風が吹き抜けていきます。風の音と、時折飛んでくる野鳥のさえずり以外には音はなく、シーンと静まりかえっています。石段を登りきってやれやれと思いきや、案の定、今度は少々滑りやすい赤土の山道が続いています。ここを登りきって一息つくと、目の前に何とも言えない絶景が広がっていました。赤茶色やクリーム色、灰色の山腹がいくつも連なり、背の低い潅木がまばらに生えているのみです。

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木々に覆われた日本の山の風景とは対照的でした。ふと、ふもとの方を見下ろすと、今既にかなりの高さのところにいることを実感しました。

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しかし、本命の城砦は目の前に見えているものの、ここよりさらに上にあり、かなり傾斜のきつい石段が連なっています。この石段を登りきれば、いよいよゴールインです。

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意を決して一段ずつ上り詰め、やっと城砦の入り口に着きました。すでに汗びっしょりです。しかしここでも、目の前に広がる多彩な山の風景を楽しむことができました。

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一息ついてから、いざ城砦の内部に入ろうとしました。ところが、これがまた至難の業で、あちらこちらに掴まりながら、絶壁を登らなければらならず、まるでロッククライミングをしているように感じました。壁に開いている大きな穴からやっとのことで中に入ると、順路がいくつもありましたが、これも足場が悪く、潜り抜けるのは容易ではありません。また、あちらこちらに穴が開いており、足元に注意する必要があります。これらの穴は、ほかの石室につながっており、まるで迷路のようでした。そうしてやっと、城砦の最上部にたどり着きました。

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ここには、石を積み上げ、モルタルを塗って出来た壁のようなものが残っており、地面にはやはり数箇所の穴があいています。本来は、城砦と宮殿の2つの部分に分かれ、宮殿の部分は3つの階に分かれていたということですが、既に人が住まなくなってから相当の年月が経っているため、それぞれの石室も廃墟と化していました。
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普段、ここを訪れる人が少ないためでしょうか。見学者のための安全装置などはなく、ここを見学するには安全に注意する必要があります。また、見学を終えて下山するときには、もう少しなだらかな山道を通りました。後から、ガイドの方に聞いた話では、西側に面したこの山道は食料や燃料の搬入、そして役人や為政者などの通り道として使われ、ここに来るときに通った険しい階段は見張り番や警備に当たる人々の通り道だったということです。さらに、この宮殿だったとされる部分の周辺では、いくつものトンネルや貯水槽が発見されており、当時既に水利施設が発達していたことが伺えます。

地元関係者が語るギズ・ガルエの城砦
ところで、今回はこの城砦の近辺に長年暮らす地元の関係者の方から、この城砦についての貴重なお話を伺うことができました。ギズ・ガルエ村の評議会議員を務めておられる、ハサン・ラーストグーさんは、次のように語っています。

●ギズ・ガルエの城砦は大体いつごろに作られたものなのでしょうか?
―これについては色々な説があり、今から2500年前ごろという人もいますが、地元民である私どもの間では、今から1500年くらい前のサーサーン朝時代のホスロー・パルヴィーズの頃に建設されていたと考えられています。当時は、イランにイスラムが伝来する前の時代であり、城砦として使われたほか、山の頂上に作られていることから、ゾロアスター教の水の神に祈りをささげる場所でもあったといわれています。この城砦はサーヴェ市内から南西におよそ20キロのところにあり、この城砦に最も近い村は、この城砦と全く同じ名前のギズ・ガルエ村です。この城砦には当時、為政者の執務室のほか、いくつものセクションが存在し、4本の監視塔があったほか、多数の見張り番が配備されていました。全体の広さは、およそ3000平方メートルとされています。さらに、水車などの水利施設もあり、大量の雨が降った際には実際に水車を回していたということです。そうした水を利用して、村人は農作業に従事し、主に小麦や大麦などを栽培し、それで自家製のパンを作っていました。現在ではこの村には僅か7,8世帯ぐらいしか人が住んでいませんが、当時この地域は交通の要衝として人の往来が多く、この城砦が作られた理由の1つではないかと思われます。また、ギズガルエという名称はもともと、トルコ語で乙女の城砦を意味し、この城砦が近づきにくい場所にあることから、人間による開発が及ばない地、即ち手をつけられていない処女地であったことに由来するという説が有力です。

●日本人の皆様に一言メッセージをお願いします。
―サーヴェの町は、小さいながらも意外な見所が沢山あり、安全な地域です。気候も温和で、快適かつ過ごしやすい所です。また大都会とは違って静かであることから、ゆっくりくつろいでいただけます。サーヴェは、テヘランからも近いですし、お気軽に足を運んでいただけるのではないでしょうか。またサーヴェのほかにも、イランには価値ある景勝地や見所、文化遺産や歴史遺産が多数存在します。日本を初めとする世界の皆様には是非、私どもの町サーヴェ、そしてイランの他の町も訪れ、豊かな歴史と文化を誇るイランの醍醐味を満喫していただけますよう願っております。

預言者イスハークの聖廟
さて、今回のサーヴェ訪問の締めくくりとして、預言者イスハークの聖廟を見学しました。預言者イスハークは、シーア派7代目イマーム・カーゼムの末裔の1人とされ、一説によるとサーヴェで没したとされています。この聖廟は、今からおよそ80年前にイランの国家遺産に指定されています。
ここにある碑文によると、この聖廟は今からおよそ760年前のイスラム暦676年に造られ、その後のセルジューク朝とサファヴィー朝時代に修理が行われたということです。ドームの部分に青いタイルが少々使われているほかは、建築素材としてはレンガと日干し煉瓦が使われており、全体的にやや地味な印象を受けました。中に入るには、女性はチャードルと呼ばれる、頭からすっぽりと体を覆う被り物を被らなければなりません。レンガ造りのアーチのある入り口で、この被り物を借り、ほかの女性たちを真似て被り、敷地内に入りました。

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目の前には広い敷地が広がり、正面に大き目の白いアーチが立っていて、その両側にさらにいくつかのアーチが並んでいます。

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その白いアーチのある入り口のところで靴を脱ぎ、本堂らしき建物に入ると、銀色の柵のような囲いの中に緑色をした預言者イスハークの棺が安置されていました。

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この囲いの上の部分には、黄金の飾りが張り巡らされ、訪れる人々がこの預言者にあやかろうと柵に手を触れ、仕切りにコーランの文句を唱えています。

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中には床に座って備え付けのコーランを読んだり、両手を挙げてしきりにアラビア語で祈祷をささげる人々も見られました。しばしの間、実生活の喧騒から離れ、宗教的で厳粛なムードを味わい、サーヴェの町を後にしました。

多数の著名人を輩出しているサーヴェ行政区とマルキャズィー州

ちなみに、サーヴェとその周辺の地域は、軍人や詩人など、数多くの著名人を輩出した地域でもあります。今から700年ほど前には、イラン有数の抒情詩人サルマーン・サーヴジーがこの地で生誕しました。また、イランイスラム革命後初の国防大臣を務め、イラン・イラク戦争で殉教したモスタファ・チャムラーン司令官も忘れてはなりません。彼自身はテヘランの生まれですが、彼の父親であるハサン・チャムラーン・サーヴジーが、サーヴェの近郊のチャムラーンという村の出身であることから、チャムラーン司令官もサーヴェのゆかりの著名人とされています。
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なお、政治家・軍人としてのチャムラーン司令官の功績を称え、現在テヘランの主要な高速道路の1つは、チャムラーン高速と名づけられています。それから、サーヴェを含むマルキャズィー州全体にまで範囲を広げますと、この州の南部にホメインという行政区があるのがわかります。ホメインという名称を聞いて、皆様はどんな人物を想像されるでしょうか。そう、ホメイン行政区は、1979年のイスラム革命を指導し、イランイスラム共和国を建国した、ルーホッラー・ホメイニー師の生誕地なのです。
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このように、サーヴェ行政区を含むマルキャズィー州は、数多くの著名人のゆかりの地とされています。
それでは、締めくくりとして抒情詩をはじめとする数多くの詩作を残したサーヴェ出身の詩人、サルマーン・サーヴジーによる詩をご紹介することにいたしましょう。

心の貧しさに絡みつかれた者よ
己のなすべきことを前に進めたいなら
4つのものを捨て去らねばならない
第1に現世への物欲、次に出世欲を捨てること
そして楽をしたい気持ちを捨て、最後には利己主義を捨て去ることである。

これまで2回にわたってお届けいたしました、イラン中部マルキャズィー州サーヴェの町の見所はいかがでしたでしょうか。今後も随時、まだまだ沢山あるイランの見所をご紹介してまいります。どうぞ、お楽しみに。

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