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イラン中部の名所アブヤーネ村とその周辺を訪ねて(1)

 

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イラン中部の都市イスファハーンは、今から500年ほど前のサファヴィー朝時代には世界の半分として知られ、また現在では南部の都市シーラーズなどと並んで、イラン有数の観光地として知られています。しかし、この有名な観光地から少々離れたところにも、訪れるべき価値のある名所がいくつも存在しています。その中でも特に、今回訪れたはアブヤーネ村は小さな村でありながら、独自の服装や言語を有し、イラン国内はもとより、外国人の観光客からも注目を集めています。さらに、今回はこのアブヤーネ村から少々足を延ばして、さらにその周辺にある意外な見所を見物してまいりました。今回はイラン中部の名所アブヤーネ村と、その周辺の見所についてご案内することにいたしましょう。

イラン中部も、本当に数多くの見所があり、またそれぞれ相互に距離が離れている為、1度の旅行ではとても全てを見学しきれないほどです。数ヶ月ほど前にイラン中部マルキャズィー州サーヴェを訪れたときにも、時間の都合でまだ数多くの名所に足を運ばないままテヘランに戻ることになってしまい、少々悔いが残りました。そこで、今回はその時に見学できなかった名所を是非見学したいと心に決め、まずは何年も前から訪れてみたいと希望していた、赤い村とも称されるアブヤーネ村に足を運ぶことにしました。

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ここでまず、アブヤーネ村について簡単にご説明することにいたしましょう。アブヤーネ村は、イラン中部イスファハーン州カーシャーン市から南東におよそ70キロ離れた、キャルキャス山脈の斜面に位置しています。この村の歴史は、一説によりますとおよそ2000年ほど前にさかのぼると言われ、その独特の景観や、住民の持つ文化や言語の独自性から、1975年にイランの国家文化財に指定されました。また、アブヤーネという名称は、地元の言葉で柳の生えた土地を意味する「ヴィヤネ」という語彙に由来しています。それは、太古の昔、この村の一帯に柳が数多く生えていたことによるものです。又、この村の主な産業は絨毯製造のほか、山がちな地形と地下水路・カナートを利用しての農耕・牧畜業となっています。主要な農産物はりんご、西洋梨、麦、ジャガイモ、杏とされています。そして勿論、この村が観光名所として知られていることから、観光による収入も貴重な財源になっているとのことでした。さらに、地元の関係者の話によりますと、近年ではこの村に最も近い都市であるカーシャーンやテヘランなどに人口が流出していることから、現在の人口はおよそ250人ほどと推定されています。

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さて、テヘラン市内を出発してしばらくは、市内よりは少ないものの住宅地や商店街などが続いていましたが、そのうちにだんだんと草木の少ない荒涼とした台地に変わり、さらに岩や土の山々が多く見られるようになってきました。テヘラン州を抜けてゴム州に入り、そこからさらに進んでイスファハーン州に入ると、さらに山の数が増えてきました。よく注意して見ていると、これらの山々の多くには遠くからでもくっきり見えるほど幾層もの地層が見られ、地質学的にこの地域が相当古い年代に属することがうかがえました。そうこうしているうちに、「アブヤーネ村まであと15キロ」という標識が見えてきました。かねてから楽しみにしていたアブヤーネ村にもうすぐ到着するのだと、胸をわくわくさせながら周りの景色に注目していますと、車窓から見える山肌が以前よりも赤茶けてきていることに気がつきました。これは、この地域一体の土壌に鉄分が含まれているためだそうです。いざ、アブヤーネ村の入り口に到着してみると、さすが「赤い村」と称されるだけあって、目の前には山の斜面にへばりつくように階段状に連なった赤い土壁の家並みが広がっていました。

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ふと見ると、入り口付近で、大きな鍋を積んだトラックが止まっており、地元で取れた野菜や豆類を煮込んだ出来立てのスープを販売しています。そこで、他の観光客に混じって私もこの地元の食材を利用したスープを試してみることにしました。テヘランから数時間も車に乗り、疲れと空腹を感じていたせいでしょうか、これは本当においしく感じました。こうしてしばし休息した後、さわやかな秋空のもとでのアブヤーネ村の散策を開始しました。

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いざ、足を踏み入れてみると、狭い路地を挟んで両側に、赤土の壁に覆われた家並みが延々と続いています。家屋自体は日干し煉瓦で出来ていますが、その外壁に鉄分を含んだ赤土と藁を混ぜた泥土が塗られています。平屋ばかりではなく、2階建てや3階建ての家屋もあり、また興味深いことに窓枠の殆どが木製となっていました。相当に古い造りの家屋なのでしょうが、そうした家々の中から洗濯物を干す為などに、住人と思われる女性が出てくることもありました。そのため、今なおここには昔ながらの生活を営んでいる人がいるのだということが実感できました。

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また、山の斜面に位置していることから、緩やかな坂や階段が多く見られます。中でも、観光客の往来の比較的多い道の端では、地元の女性が毛糸で作った手工芸品などを販売しています。

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ここで、私はまず、この村の人々の服装に注目してみました。女性はいずれも、白地に赤やピンクの花柄のある大きなスカーフを被り、丈の長い2枚重ねのスカートのようなものを履いています。テヘランでいつも目にしているチャードルと呼ばれる黒い被り物を着用した人は殆ど見られません。若い女性たちのみならず、年配の女性たちもこの鮮やかな色柄物のスカーフを被っていたのがとても印象的でした。
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彼女たちはとても人懐っこく、外国人観光客である私にもどんどん話しかけてきます。どこの国から来たのか、イランで何をしているのか、イランでは他にどこの町に行ったことがあるかなど、話に花が咲き、時間の経つのも忘れてしまうほどでした。また、男性は主に、黒地の太いズボンを履いている人が主流です。こうした服装は、赤土の家並みと自然に調和しているように感じられました。ところで、この町の人々は外国人である私には標準的なペルシャ語で話しかけてきますが、地元の人同士の会話で使用されている言葉が標準語とはかなり違うことに気づきました。何となく意味を想像することはできるのですが、特に形容詞や動詞の語尾が標準語とはずいぶん違います。それもそのはず、ここで使われている本来の言葉は、サーサーン朝時代のイランの公用語であったパフラヴィー語、またはダリー語と呼ばれる古式ゆかしい言語だとのこと。地元の方のお話では、この村の人々の独特の華やかな服装や地元の方言は、サーサーン朝時代にこの村が拝火教の村であり、山がちであるために、数百年にも渡って他の地域から孤立していたことの名残だということです。これで、この村がイランのその他の町の雰囲気とは一味違っているのが納得できました。

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次回は、アブヤーネ村からさらに足を伸ばして、その周辺の町と隣接した州にある見所をご紹介します。どうぞ、お楽しみに。

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