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ラマダン月のイランの様子

イランのラマダンの風物詩とも言える銘菓「ズールビアバーミア」

 

イランをはじめとするイスラム諸国は、現在イスラム太陰暦の9月にあたる断食月・ラマダン月に入っています。この月はイスラムの聖典コーランが神から下されたと言われる「聖なる月」とされ、イスラム教徒はこの1ヶ月間、日の出から日没まで飲食を一切控えるとともに、言動や心の持ち方などについても、平常時より注意を払うべきだとされています。日本で気象庁が入梅を発表するのと同様に、ラマダン入りは専門の宗教学者で構成された新月観測委員会による月の満ち欠けの観測で、新月が見られたと同時に発表され、また次の新月が観測されたところで断食明けが宣言されます。

年によっては、イランとほかのイスラム諸国で新月の観測状況の違いなどから、ラマダン入りとラマダン明けが1日ほどずれることもあります。さらに、中には暦の上で予定されている断食の開始日の前日に、新月の状況によっては断食開始が1日早まる事を見越して、本来より1日繰り上げてプレ断食(ペルシャ語でピーシュバーズ、またはシャックダールと呼ばれます)をする人もいます。ちなみに、今年のイランでは5月17日からラマダンに入っており、暦の上では来月16日ごろがラマダン明けと予測されています。今回は、現在ラマダンを迎えているテヘラン各地の様子をご紹介することにいたしましょう。

 

今年は、5月16日に新月が観測されました。これにより、いよいよ翌日からラマダンがスタートする事になります。

 

最近では、イスラムの総本山とも言えるサウジアラビア・メッカをはじめ、イランをはじめとする北半球の人々にとっては、ラマダンがちょうど日照時間が最も長い時期にあたっており、イランではイスラム教徒はこれからいよいよ東の空が明るくなるというときから日没まで、具体的には朝4時過ぎくらいから夜8時半くらいまでという、非常に長い時間にわたって断食をしなければならなくなっています。断食は、宗教法の上ではイスラム教徒の義務とされていますが、実際には個々人が自らの意思に従って、自分の体調や日常の活動への影響などを考慮しながら、断食を実施するか否かを決める事になります。この期間中は、早朝から日没までは街中の飲食店は通常の営業をせずに、日没後のその日の飲食解禁後の夕食のメニュー(エフタルと呼ばれます)作りに従事し、また公の場では飲食が自粛されます。しかし、飲食店はラマダンにより売り上げが落ちる事はなく、日没前からエフタルのメニューを買い求める人々の行列ができるほどで、むしろ収益が平常時より上がるといわれています。

以下の写真は、「毎日18時から特別メニューのごった煮スープ・アーシュを発売します」という看板を掲げた商店の様子。まだ日没まで時間があるせいか、客は皆素通りですが、店内では日没に間に合うよう急ピッチで調理作業が進められています。

 

さて、長い時間断食をした後の夕食を、ぜひ家族とともに自宅で取りたいと考える人は非常に多く、日没の2,3時間くらい前から家路を急ぐ人々により道路は混雑し、渋滞が見られます。

 

各家庭では、主婦が断食をした夫やその他の家族のために、また友人や親戚をエフタルに招待するため、日没までに間に合うよう一生懸命にエフタル食の準備をします。招待する人数が多い場合は、朝早くから準備を始める事も珍しくありません。

 

 

こちらのお宅では、ご主人もエフタル食作りを手伝っています。

 

最近では、特に大人数の客を自宅に招く場合、陶器製の食器ではなく、使い捨てのプラスチック容器を使用するお宅も増えています。数多くの容器に盛り付けられた炊きたてのライスに、サフランで黄色く染めたライスをふりかけ、付け合せはトマトにレモンのようです。メインはどうやら、キャバーブと呼ばれるイラン式の焼肉のようです。

 

今度は、街中に出てみる事にしましょう。日没の礼拝を知らせる合図とともに、その日の断食は終了となります。日没の数時間前から、飲食店の店先はエフタル食を買い求めるお客さんで賑わいます。中には、長蛇の列ができているお店もありました。以下の写真は、豆類や野菜、小麦粉の麺などを長時間煮込んだ、アーシュと呼ばれるごった煮スープを販売するお店の様子です。

ラマダン月や、来客用にきれいに装飾、盛り付けされたアーシュレシュテ。表面にいためた玉ねぎやミント、キャシュクと呼ばれる乾燥乳の一種がのせられています。

 

エフタル食の配達に向かう飲食店の配達員

街中のお菓子屋さんも、エフタル前には非常に込み合います。それは、ラマダン名物のお菓子ズールビア・バーミアを売り出すからです。これは、ラマダン期間限定のお菓子で、小麦粉や片栗粉、ヨーグルト、バラ水、砂糖などを混ぜたものを油で揚げたものです。甘味が非常に強いため、断食後のエネルギー補給に食べる事が多くなっています。

 

飲食解禁となっても何も食べないのは逆に罪とされており、この時からは思う存分飲食ができます。街中のいたるところで、人々が思い思いに夕食をほおばっていました。飲食できない時間が長いだけに、断食のしがいがあり、喜びもひとしおではないでしょうか。まさに、五臓六腑にしみわたる、と言ってもよいかもしれません。この男性は、どうやら自宅でのエフタルには間に合わなかった様子。勤め帰りのエフタルというところでしょうか。

 

日中は日差しがやや強いものの、日が沈むとしのぎやすくなり、屋外での家族や友人・知人、仲間との飲食はとても楽しいひと時になると思われます。以下は、公園内でエフタル食を取る家族連れの様子です。

 

街中の飲食店が屋外に設けたスペースにて、仲間同士でその日のエフタル食を食べる若者たち

 

「やれやれ、今日も無事に終わってよかったね」と、互いをねぎらう2人の中年男性

 

こちらのカップルは、座る椅子などのないところでのエフタルとなりました。でも、好きな人と一緒なら、エフタルを食べられただけで十分、場所など気にならないのかもしれません。

 

勤め先の衣料品店内でエフタル食をとる店員さん。

「閉店までまだ時間があるけど、まずは一口エフタルを食べて一休みしよう」というところでしょうか。

 

また、正規の飲食店に加えて、街中のあちこちにエフタル用の甘い飲料やエフタル食を配る仮設の配布所が設けられ、無料で飲食物が配布されます。自宅でのエフタルに間に合わずとも、エフタル食に事欠くことはありません。またイスラムの教えでは、豪華なエフタル食を出せなくとも、コップ一杯の飲料を出すだけでもよいとされ、出した側も、出された側もご利益があるとされています。

 

 

エフタルにまず飲み物を受け取る少年少女たち。イスラムでは、女子は9歳、男子は15歳から礼拝や断食ができる年齢とされています。年少といえど、きちんと宗教意識を持ち、宗教的な義務を実施する少年少女たちの姿には、非常に感心させられるものがあります。

 

なんと、道の真ん中に長いビニールシートを敷いて、その上にパンやチーズ、野菜などを並べてエフタルを出している光景も見られました。ちなみに、今から1400年ほど前のシーア派初代イマーム・アリーの時代には、エフタル食はそれほど豪華なメニューではなく、パンとチーズ、ナツメヤシといった質素なものだったそうです。

 

単にビニールシートを敷いて、その上にパンやざる入りの野菜やチーズ、水などを並べたものもあれば、何十枚ものじゅうたんを道路にしいての大規模なエフタル会場もあります。

 

しかし、その準備も大変なものです。道路交通が普通に行われている中で、日没までに会場のセッティングを完了しなければなりません。しかし、それも世のため人のため、そして神様のためと思えば苦にならない、いやむしろ彼らにとっては喜びなのかもしれません。

まずは、じゅうたんの運び出しです。これがかなりの重さになるとのこと。モスクなどから借りてくるケースもあるそうです。

商店の前の横断歩道のところに、数人がかりでじゅうたんをしき、掃き掃除をします。

そして、日没前にみんなが着席していき、その日の断食終了の合図を待つことになります。

 

もちろん、調理も集団での協力が必要となります。以下の写真は、エフタル食の代表的なメニューの1つである、小麦粉の麺、野菜、豆類などの煮込み・アーシュレシュテを調理している様子です。

 

民家の立ち並ぶ路地裏で数人がかりで、大型の鍋を移動させる若者たちの様子。「せーの」「よいしょ」

 

街中にこのように大きな会食の席を設けるというのは、ちょっと日本ではお目にかかることのない光景ではないでしょうか。大勢の人々が1つの目的に向かって協力し、一堂に会する姿は、本当に見ごたえがあり、感動させられます。これこそ、ラマダンの醍醐味といっていいかもしれません。

日没を待って、いざ飲食解禁となります。大勢の人々が、まさに「神の宴」のお招きにあずかっています。男性席と女性席はたいてい別々に設けられています。

 

食事をいただく前に、「神の名において」ととなえ、その日の糧を与えられたことに感謝する男性。この男性がいわく、「今まさにこの瞬間、世界の一部の地域では、戦争や情勢不安、天災などにより最低限の食事すら取れない人々がいることを忘れてはいけない。自分は恵まれているからこそ断食をして、平常な状態を当たり前と思わないよう、気を引き締める必要がある」とのこと。心が洗われる思いでした。

 

大通りに延々と続くエフタルの会食の席は、実に見事です。

 

 

しかし、やはり何と言っても宗教上の聖なる月にエフタル食や、特別祈祷などの開催などで、人々を社会的に統率する最大の役割を果たしているのは、各地に設けられたモスクにほかなりません。小規模なモスクであれ、また何千人分もの礼拝スペースを誇る大モスクであれ、モスクが果たすこうした特別な折の社会的な機能は、実に注目すべきものです。

ラマザーン月にエフタル食を無料で配布するモスクも多く、そうしたところでは日没前から多くの人々がバケツなどを持って集まり、行列して配布時間を待ちます。

とにかく、不特定多数の一般大衆を対象にしていることから、エフタルの事前準備も大掛かりなものです。用意する食材や使い捨ての食器、人手、スペースなど、一般家庭の比ではありません。

沢山の紙コップに、紅茶や白湯を注ぐモスクの係員。長時間の断食の後にまず口をつけるのがこうした飲み物であることから、最初に出せるように準備します。

お茶1杯といえど、数百人、数千人単位となると大事になります。大きめのやかんがいくつも用意されています。

こちらは、パンやチーズなどと一緒に食べるハーブ野菜、そしてショオレザルドと呼ばれる米とサフランでできたプディングです。さて、いったい何人分でしょうか?

大なべをいくつも使って、スープや煮込み料理を作ります。日本の小学校の給食室でみたような大きな鍋を、つい連想してしまいました。

エフタル食を煮込んでいる大なべの中身を混ぜる聖職者。聞くところによれば、この聖なる食物の鍋の中身を混ぜる事も、ご利益があるということです。

 

しかし、調理作業もさることながら、会食の席を設ける作業も半端でありません。1人分としては少ない分量であっても、大勢の人々のためのエフタル会場のセッティングも一苦労です。しかし、これも神様のため、断食という宗教的な義務を果たした人々をねぎらう、神の宴の席を設けるために、関係者が喜んで自発的に準備作業に当たっています。

調理室から大なべを運び込む様子。中に大量の料理が入っているため、重量もかなりのものになります。

 

出来上がった料理を、注意深く盛り付けます。

 

とにかく、すべてが大規模なため人手が足らず、猫の手も借りたいほどの忙しさです。小・中学生と思われる子供も、大人たちに混じってモスク内での配膳を手伝っています。学校や家庭内にはない社会環境での、まさに立派なボランティア活動といえるのではないでしょうか。子供が社会性を身につける上でのよいチャンスでもあると思われます。

 

 

 

日没前を前に、モスク内のエフタルの会食の席のセッティングが完了しました。

用意の整った会食の席に飛んできた鳩たち。餌にありつけると思っているのでしょうか。

 

会場の周辺では、大勢の人々が今や遅しと、日没の礼拝と断食終了の合図を待ちわびています。

 

そしてやっと、断食終了の合図により一般の入場者が着席し、会食が始まりました。その壮観なこと、様々な場所からやってきた大勢の人々が、その日の断食という共通の義務を終えて、夕食をともにしています。

 

このように、不特定多数の、しかも様々な生活条件にある色々な社会階層の人々が一緒に食事をしているところを見るにつけ、改めて人間は神の前に皆平等、互いに寄り添って生きていくべきものなのだということを痛感させられます。

 

何人分もの食事を、大きな盆に載せて運ぶ男性。これももちろん、神のための奉仕であり、礼拝や断食と同様の立派な宗教行為とみなされます。

 

エフタル終了後の後片付けもまた一苦労です。とにかく、ビニールシートも使ったプラスチック容器やスプーン、フォークも膨大な量になります。ですが、これも神へのご奉仕の一環であり、しっかり行う必要があります。

 

テヘラン南方にある聖地ゴム州ジャムキャラーン行政区にある大モスクに設けられたエフタル会場。ここでは、数千人分のエフタル食が振舞われるということです。とにかく、ここに設けられた神の宴の場の壮観さに圧倒されます。

会場のセッティングの様子。

遠くから見たモスク内の境内のエフタル会場の全景。

大勢の人々の会食の様子。四方八方から集まってきた大勢の人々の中には、いろいろな社会階層の人々、経済的に恵まれている人々もそうでない人々が混在しています。このように、富める者も貧しき者も一緒の席で食事をすることで、まさに神のもとに平等という理想が実現することになるのではないでしょうか。

 

 

さて、ラマダンといえば、確かに断食月であり、飲食を絶つというイメージが真っ先に浮かぶかもしれません。確かに、ラマダンと断食は切っても切れない関係にありますが、ここで大切なのは断食がラマダンの最終目的ではなく、あくまでも手段であって、その先にさらに重要な最終目的が存在するということです。その1つは、恵まれている人々と貧しい人々が、神の宴の席においては全て平等となること、富裕な人々がしばしの空腹を体験する事で、貧しい人々や恵まれない人々への同情や共感に目覚め、貧しい人々に施しをし情けをかけようという感情を持つ事です。そしてもう1つは、精神や言動面での自己修練や浄化といえます。冒頭でも少々触れたように、ラマダン期間中には断食に加えて、善良な言動を心がけ、心身の浄化、特に精神面の浄化に努めるとともに、他人に危害を与える事や他人とのいさかい、欺瞞行為、他人への誹謗中傷、陰口、暴力、虐待、大声で怒鳴るなどといった道徳上好ましくない言動を慎まなければなりません。こうした点を守らない場合、断食や礼拝などイスラム教徒としての宗教的行為は無効となり、神の目から見て無価値とみなされることになります。この点から、ラマダン月にはイスラム圏全域において犯罪件数が減少するといわれています。

そうした身近な例として、商店で顧客が不当に高い値段を要求されたり、タクシーに乗ったときに不当に料金を上乗せされた場合など、店員や運転手に向かって顧客が「今はラマダン中ですよ」と抗議するケースが挙げられます。

また、家庭内でも職場でも、公の場所でも、何らかの理由でちょっとした言葉のあやから口論や喧嘩に発展しそうになった場合、当人たちが「ラマダン中だから抑えておこう。罪になるから」と矛を引っ込める光景を何度か目にしたことがあります。

交戦状態にある国や勢力同士の「ラマダン中の停戦」も、こうした考え方によるものです。

 

そして、ラマダン月中に注目すべきもう1つのポイントは、ガドル(またはアヒヤ)と呼ばれる、特に重要な日の徹夜での祈祷です。イランでは、ラマダン月の19日、21日、23日の夜がこれにあたり、これらの夜に行う祈祷は1000か月分の夜よりも価値があるとされ、イスラムの聖典コーランが下された夜として、非常に重視されています。そのため、モスクなどの宗教施設はこれらの日の夜に一般に開放され、人々が徹夜での祈祷をささげる場所となりますが、それ以外にも、公園などの屋外の一般的な場所で行うこともできます。また、夜遅くまで、あるいは徹夜となることもあるため、翌日が平日となる場合には、学校や職場が始業時間を遅らせるなどの配慮を行っています。

さらに、ラマダン月の最後の10日間には、モスクなどにこもって礼拝や断食を行うという、お篭りをする人もおり、これは大きなご利益があるといわれています。

ここからは、ラマダン月のクライマックスの1つとされる、ガドルの夜のテヘラン市内各地のモスクの様子についてご紹介することにいたしましょう。

さすが、特別な日の聖なる夜とあってか、モスクには通常の礼拝時よりもさらに厳粛な雰囲気が漂い、集まった人々の表情にもいつもとは一味違う真剣さが感じられます。男女別に設けられたいずれのスペースでも特に、様々な年齢層の人々がコーランに頭を当てている動作が印象的でした。

 

一心に祈りをささげる男性と若い女性。この瞬間の彼らの脳裏にあるのは、ただ神のみといってもよいでしょう。

 

思わず感極まって涙する男性の姿も見られました。

もちろん、コーランの朗誦も欠かせません。

 

 

 

大人たちに混じって、一心不乱にコーランを読みふける少女。まだ幼いながらも信仰心の篤いこの少女の祈祷は、きっと神に聞き届けられることでしょう。

 

 

ガドルの夜の祈祷に参加した親子連れ。きっと神様も、これらの親子をいつまでも守ってくださることでしょう。

 

 

また、夜間の祈祷を捧げる場所は、必ずしもモスクではなくともよいとされています。要は、祈祷をする人々の気持ちの問題ではないかと思われます。モスク内に加えて、夜の闇に包まれた野外のあちらこちらで、熱心に聖なる夜の祈りにふける人々の姿がとても印象的でした。

 

生まれ持った宗教は違えど、これらの人々による夜を徹しての熱心な祈祷の姿に、一人の人間としてどうか彼らの祈りが神に聞き届けられますように、と願わずにはいられません。

 

ラマダンでの各地のエフタル会場や、ガドルの徹夜での礼拝から、様々な年齢層や職業・家庭環境にあると思われる一般大衆が、イスラムという共通の旗の下に行動をともにし、断食や礼拝を通して人間形成、そして神に近づくという最終的な目標に向かって励んでいる様子が伺えます。また、イスラムが特定の人々のみのものではなく広く一般の人々に信奉され、ラマダンでの集団での祈祷やエフタル会食などを通して、あらゆる年齢や階層の人々を社会に加わらせ、団結させる機能を持つ事が見て取れました。さらに、本来は何不自由ない生活をしているであろう人々もあえて断食をし、空腹状態の体験により貧しい人々や、世界各地で戦争や天災などにより、自分たちよりもっと厳しい状況に置かれている人々に心を寄せ、そうした人々への共感や同情心を培うことで、全ての人々が神のもとに平等となることを目指す、イスラムの狙いが見事に具現されていました。そして、いずれの場面も、現代においてはどちらかというと忘れられがちな、人智を超えた神への畏敬の念が溢れており、国際社会に向かってイスラムの醍醐味や真骨頂、神のもとでの万人の平等、四海同胞という真のメッセージを訴えかけるものといえるのではないでしょうか。

来月半ばの断食明けの祝祭をもって、今年のラマダンは終了し、人々はこの1ヶ月間に培った節制、禁欲、自己形成、自己浄化を胸に、再び通常の生活に戻る事になります。この1ヶ月間に彼らが断食という修練を通して得たものはきっと、彼らの今後の生活にも生かされることでしょう。

日照時間が長い中で長時間の断食を全うし、また夜を徹して必死に祈りを捧げた人々に心から敬意を示しつつ、今月のレポートを締めくくりたいと思います。

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