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イラン北西部ガズヴィーン州のアラムート城砦

エルブルズ山脈にあり要害堅固をもって知られるアラムート城砦跡

 

アラムート城砦の復元予想図(その1)

 

アラムート城砦から望むガゾルハーン村の全景

 

アラムート城砦のある断崖絶壁

 

もうかなり前のこのレポートで、かつてはイランの首都として栄えたガズヴィーンの見所をいくつかご紹介してまいりました。ガズヴィーンの町は、かつてはシルクロードの要衝として栄え、そして現在でもカスピ海沿岸地域や、イラン西部の高原地帯を首都テヘランと結ぶ重要な中継地点としての機能を果たしています。今月は、テヘランから北西におよそ150キロほど離れたガズヴィーン州にあるイスラム関連の史跡で、難攻不落の城として知られるアラムート城砦跡をご紹介してまいりましょう。

ニザール派の始祖ハサン・サッバーフが35年間に渡り居住していたと思われる城砦内の西側にある建物

 

まずは、アラムート城砦の歴史や立地条件など、この城砦のあらましについてご説明したいと思います。

この城砦の名称であるアラムートとは、地元の古い方言で「鷲の巣」を意味しています。これは、この城砦が実際に鷲が巣を作るような峻険な場所に位置していることによるものです。より正確には、この城砦はガズヴィーン州とその北側に隣接するマーザンダラーン州との境界域、しかも海抜2100mほどのエルブルズ山脈のアラムート山頂にあり、行政区分上はガズヴィーン州ガズヴィーン行政区ルードバールアラムート地区ガゾルハーン村に立地しています。

 

 

この城砦のあるアラムート山は四方が崖になっており(中央部の雲のかかった山頂付近に城砦がある)、また、周辺にはオヴァーン湖という小さな湖があります。

 

 

なお、アラムート城砦のお膝元とされるガーゾルハーン村では、養蜂が盛んです。

 

アラムート城砦はイスラム教イスマーイール派の一支派、アサシン教団(暗殺教団)として知られる、セルジューク朝時代のニザール派の始祖ハサン=サッバーフ(1050-1124)が、1090年にアラムート山を占領して増改築し、彼自身はここに1124年までの35年間住んでいたものとされています。

ニザール派の始祖ハサン・サッバーフ(1050-1124)

ハサン・サッバーフは、現在のテヘラン南方の聖地ゴムに生まれ、イラン北東部の町ネイシャーブールにある学術機関・ニザーミーヤ学院で学問を修めました。彼は、セルジューク朝時代の為政者マリク・シャーにより追放処分となった後、イスマーイーリー派の宗教原理を学ぶために、1076年から3年にわたり、エジプトのファーティマ朝のもとに赴きました。イランに帰国後は、自らの宗教活動のためイラン全国を支配下に治め、最終的にこのアラムートの地を自らの活動の拠点に選んだということです。正確には、この城砦は1400年ほど前のイスラム初期に初めて建設され、1090年にハサン・サッバーフはここを占拠した際に、それまでの城主にここを退去させる代償として、大量の黄金を渡したとされています。

また、ハサン・サッバーフは政治家としての側面もあったほか、敬虔な人物で思想家でもあり、さらには城砦内に自らの図書館や書斎を持ち、天文学や薬学をも学ぶという、勉強家としての一面もあったということです。彼自身、そして彼の元で教育を受けた人物は、当時のイスラム圏全域において政治・軍事を左右し、国運や歴史を揺り動かす有力者だったといわれています。

 

それ以後1256年にチンギス・ハンの孫フラグ・ハンに陥落されるまで、この教団はここを根城として西アジア各地に暗殺者を送り、アッバース朝、セルジューク朝、十字軍の要人らを狂信的に暗殺し、君主たちに恐れられたと言われています。また、歴史的な史料によれば、モンゴル帝国の支配者フラグ・ハンの攻撃を受けて破壊された後、特に今から500年前のサファヴィー朝時代には監獄などとして利用された時期もあったとされています。しかし、考古学的な発掘調査の結果、この城砦は監獄として利用されていたのみならず、城砦内に人々が暮らし、社会的にも高く位置づけられていたことが判明しています。現在では、城壁や遺構の一部のみが残っており、この城砦は2002年にイラン政府より国の文化財に指定されています。

城砦の敷地内に残っている貯水用スペースの跡

 

国の文化財に指定されていることを示す標識

 

アラムート城砦からモンゴル軍の襲来に応戦するアサシン教団の兵士たちを描いた絵画

 

ところで、このアサシンとは英語の動詞assassinateの語源にもなっており、さらにさかのぼるとアラビア語で大麻を意味する言葉・ハシーシュに由来するということです。これは、一説によれば、この教団が死後の楽園をイメージするものとして、刺客らに対し秘薬として大麻を用いていたことによるものだとされています。

さて、アラムート城砦にアクセスするには、テヘランからは直行ルートがないため、まずはテヘランからガズヴィーン市に向かうことになります。目安としては、道路交通事情を考えてテヘランから最低4時間、ガスヴィーンからは2,3時間ぐらいを見ておけばよいかと思います。

今回は、途中で少々渋滞に遭遇したこともあって、ガズヴィーンから3時間近く曲がりくねった九十九折の山道をひたすら進むことになりました。周りの岩肌に幾重にも重なった地層が見られることから、この地域は地質学年代の点でかなりの古い歴史を有しているものと思われます。褶曲している箇所も多いことから、この地域では太古の昔に大きな地殻の変動があったものと見受けられます。

 

そして遂に、アラムート城砦のある大岩が見えてきました。

 

いざ上り口に到着してみると、一体こんなところにどうやって城砦を造ったのだろうか、と思わずにはいられないほどの大岩が立ちはだかっています。しかも、お目当ての城砦はさらにその上にあるということでした。そばで見ると改めて、難攻不落、要害堅固というイメージが湧いてきます。接近してみると、断崖絶壁の上に現在修理中と見られる城砦があるのがわかりました。

 

 

この階段に始まって、城砦内の最上部まであわせて735段もの階段を上ることになります。この階段の一部は、200年ほど前のガージャール朝時代に造られたと言われており、当時は城砦にたどり着くまで400段ほどの階段を上る代わりに、ラバを使用していたということです。城砦までの順路が始まる以下の写真の階段は比較的なだらかですが、城砦の入り口に到達するまでには、傾斜のきつい箇所や、転落に注意すべき箇所もあり、慎重に歩を進める必要があります。この城砦の見学に当たっては、飲料水などを携帯し、水分を補給するのがよいかもしれません。

さらに、傾斜のきつい順路や転落に注意すべき箇所などが続いています。

 

足元に気をつけながら、傾斜のきつい箇所や滑りやすい場所を幾度も通り抜け40分ほども歩いたでしょうか。とうとう城砦の入り口に到着しました。この木戸を開けて城砦の中に足を踏み入れることになります。これは、城砦への唯一の入り口であり、城砦の北東部側に設けられています。

 

この城砦は、現在は修理中とのことで、あちらこちらに作業用の足枠が設置されていました。傾斜の激しい敷地内にも階段が数多くあり、城砦内の移動もなかなか大変なものです。なお、城砦の建設に使われている資材は、周辺に存在する石やレンガ、石灰モルタルなどです。なお、城砦の東側のセクションには、城砦の警備・保安担当者とその家族が暮らしていたとされています。以下の写真に写っている箇所が、その場所に相当するということです。

 

 

しかし、それでも要害堅固な地理的条件の中、山にへばりつくようにしっかりと城砦が建設され、ハサン・サッバーフをはじめとするアサシン教団がここを死守していたのだということが見て取れました。

城砦の全長はおよそ120メートル、敷地幅は10メートルから35メートルまでの間で増減し、敷地の総面積は2万m2以上にも及びます。また、この城砦は西側のセクションと東側のセクションに分かれ、西側のセクションのほうが高さがあり、より大きなスペースを占めています。

 

 

 

険しい山中で、兵士をはじめこの城砦内に住む人々にとって何よりも大切なのは水の確保です。この城砦の建築構造の中でも特に注目したいのは、直径10センチほどの送水管が配備され、貯水スペースがいくつも設けられていることです。当時、近くの泉の水をこの城砦に引き、これを石製の貯水槽に備蓄していたほか、貯水槽の一部には雨水を貯めるためのものもあったということです。特に、城砦の北西側にある石造り貯水スペースには、今でも冬と春の降雨時に雨水が溜まるということです。

 

いわゆる石の貯水槽のほかにも、城砦内には貯水用の穴が設けられています。

 

さらに、数多くの石室や土室らしきものの跡もたくさん見られました。専門のガイドの方の話によれば、城砦内にはレンガや陶器を生産する釜や工房もあり、数多くの人々が居住していた上、当時すでに先進的な医療施設まであり、コレラやペストなどの伝染病の治療のほか、外科手術までも行われていたそうです。

 

通気孔と思われる穴の向こうには、土室や石室がいくつもあります。当時、ここにはたくさんの人々が暮らし、様々な活動に従事していたものと思われます。

 

内部の一室の様子。修理中のため足枠がかけられています。

 

とにかく、城砦内の順路も傾斜がきつい箇所や階段がたくさんあり、途中で水分をこまめに補給し、休息を入れながら進むとよいと思います。

 

 

また、修理中のため足場が少々よくない箇所もありますので、足元に注意する必要があります。

 

 

岩の中をくぐる通路も設けられていました。ガイドの方のお話では、当時は城砦内にいくつもの道路が設けられ、城塞都市のようなものが形成されていたということです。

 

そしてもちろん、外敵の襲来などを迅速に把握するための監視塔と見られる建造物の廃墟も残っています。城砦内には、合計で9本ほどのこうした塔の廃墟が存在します。

 

 

この城砦の敷地のうち、特に南側は非常に急な傾斜の崖に面しています。しかも、さらに外敵に対する防備を万全にするため、当時は南側に全長50m、幅2mほどの堀が掘削され、まさに鉄壁の防護力を誇っていたということです。

峻険な山の斜面に造られ、外敵から城内を守るための防護壁の多くは、現在では残念ながら破壊されてしまっています。当時、この場所から兵士たちが外敵に向かってたくさんの矢を放ったのかもしれません。

 

確かに、今ではそのほとんどが廃墟となっているものの、建物や防護壁を形成する石やレンガが規則正しく正確に積まれている様子は、実に驚くべきものです。

 

 

 

順路の最終地点に到達し、敷地内の見学を一通り終えた後、今度は城砦から周りを見渡してみました。城砦から望む周辺のエルブルズ山脈の連なりもまた見事です。また、爽やかな春風が吹いており、長時間の車での移動や数多くの階段を上ってきた際の疲れを癒してくれます。

 

いくつもの地層が重なって見えることから、この地域の山々は地質学的に相当に古く、また古代に近くの変動があったものと見られます。

 

この地域はテヘランよりは相当に気温が低いと思われ、5月に入ったというのに周辺の山々にはまだ残雪が見られます。

 

土室の壁に空けられた穴から見た周辺の景色。

 

さて、見学を終えて今度はこれまで来たルートを下っていくことになりますが、やはり安全上の注意は欠かせません。中には、近道の急激なルートとやや時間のかかるなだらかなルートが選べるところもあり、帰りはなだらかなルートを選ぶことにしました。城砦内のいずれのスポットも、遠い昔にここで繰り広げられた数々の凄惨な戦い、当時の城砦の繁栄ぶり、そしてこのような要害堅固な場所を本拠地に選び、ここに鉄壁の城砦を築いたハサン・サッバーフの意思の強さを、改めて思い起こさせるものでした。

 

アラムート城砦の復元予想図(その2)

 

 

アラムート城砦見学の後、ちょうど帰りのルート上にあり、城砦から車で30分ほどの距離にあるオヴァーン湖に立ち寄りました。この湖は、今から500年ほど前の地すべりにより形成されたと考えられています。

 

「アラムート城砦まで39km、オヴァーン湖まで8km」という案内を示した標識

 

オヴァーン湖に到着するまで、ガズヴィーンの自然の美景がとても印象的でした。車窓からは、緑豊かな山や草原の間に、黄色や紫色の花々が美しく咲き乱れ、見る者の目を和ませてくれます。

 

オヴァーン湖は、天然の淡水湖としてはイラン国内最大とされ、総面積は7万m2、全長325メートル、幅は最大275メートルで、水深は最も深いところで6.8mほどとされています。

また、この湖は海抜1850mの高地に位置しており、湖水は泉からの湧き水によるものです。さらに、この湖とその周辺地域はカニやカエル、コイ、ニジマス、カメなどの水生生物をはじめ、多様な生物(ヤマネコ、キツネ、イノシシ、クマ、ワシ、タカ、カッコウ、カササギ、キツツキ、ジャッカル、フクロウ、オオカミ、テン、カササギ)が生息しており、夏にはハクチョウやカモなどの渡り鳥が飛来してきます。

ここでは、夏には水浴もでき、春から夏にかけては遊覧用のボート乗りや釣りが楽しめます。さらに、湖畔にキャンプを張ることも可能ですが、この地域は山がちなため、夜には気温が相当に下がることから夏でもここでのキャンプには十分な防寒対策が必要とのことです。

オヴァーン湖畔でのキャンプの様子

 

今回は、アラムート城砦を見学した帰りにこの湖に立ち寄りました。ここでは、2人乗りのペダル式スワンボートに乗れるとのこと。係員さんから渡された救命胴衣を身につけて、1時間ほど春の爽やかな陽気の中で、遊覧を楽しむことができました。

 

こうして、夕暮れ時までオヴァーン湖での行楽を楽しみ、アラムート城砦の壮大さとオヴァーン湖がかもし出す自然の美景を記憶に刻み、帰途につきました。

 

ガズヴィーンは、テヘランからおよそ150kmほどの距離で、テヘランからの日帰りもできる距離にあります。しかし、ガズヴィーン州と一口に申しましても州自体が非常に大きく、ガズヴィーン市内の名所旧跡のほかに市外や州内のそのほかの行政区にも、大きな見所が存在します。今月は、カスピ海よりも手前にあり、テヘランから気軽にアクセスできる意外な見所をご紹介いたしましたが、いかがでしたでしょうか。

今後も、イランの知られざる見所をたくさんご紹介してまいります。どうぞ、お楽しみに。

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