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イラン西部・クルド民族の町ビージャールとガムチョガイ城砦

遠くから見たガムチョガイ城砦

 

ここしばらく、新型コロナウイルスをはじめとする諸般の事情で、国内の移動すらままならなかったことから、イランの数多くの見所をご紹介できずにいました。しかしやっと先日、大都市圏から遠く離れた町を訪問することができました。今回は、本当に久しぶりの国内旅行で、しかも初めて訪れたイラクとの国境に近い、イラン西部コルデスターン州の小さな町ビージャールと、その近郊にある同州内の最も古いとされるメディア王朝時代の城砦のレポートをお届けいたします。

 

まず、コルデスターン州ビージャールについて簡単にご紹介してまいりましょう。ここは行政区画上は1つの郡とされ、その歴史は非常に古く、紀元前2000年代にまで遡ると言われています。また、北東部はザンジャーン州、北西部は西アーザルバーイジャーン州テカーブ郡、南はハメダーン、そして西は州の中心サナンダジ郡にそれぞれ隣接し、テヘランからは472km、州の中心都市サナンダジからは142km離れています。

さらに、ここは「イランの屋根」と呼ばれる通り、郡の総面積の3分の1が山岳地帯であり、典型的な高山気候区に位置しています。また、この郡の海抜高度は1948mで、イラン国内で最も海抜高度の高い市群とされています。さらに、2016年の時点での総人口は5万7000人ほどで、そのほとんどを山岳民族のクルド人が占め、独自のクルド語を使用し、イランの国教であるシーア派イスラム教徒のほかスンニー派の信者もいます。

現存する史料によれば、この町はメディア王朝時代には現在のアゼルバイジャン共和国を含むアゼルバイジャン地方と、メディア王国の首都エクバターナ(現在のイラン・ハメダーン州)に接した、戦略的に重要な地域であったことから、常にメディア王朝の注目を集めていました。その後、紀元前6世紀に興ったアケメネス朝時代には、戦略的な要衝としてではなく、経済や農業の中心地として栄えたとされています。そして、12世紀から13世紀ごろには、チンギス・ハン率いるモンゴル軍の襲撃を受けたということです。これを防衛するための城砦・「チンギスの城砦」がこの町に造られたものの、現在のビージャールにはその廃墟のみが残されています。

しかし、ビージャールにはこれよりももっと古い紀元前のものとされるガムチョガ城砦が存在しています。これについては後ほどすることにいたしましょう。

さらにその後、今から500年前ほど前のサファヴィー朝時代には、その創始者イスマーイール王の支配下に置かれ、小規模な村となり、19世紀にはさらに大きな町に発展しました。その後第1次世界大戦中にはイギリス、ロシア、オスマン・トルコ帝国に包囲され、さらに1918年には大飢饉に見舞われるといった苦難にも遭遇しています。その後の王朝時代の行政区画により、一時期はハメダーン州に属していましたが、1958年の新たな行政区画により、コルデスターン州に区分され、現在に至っています。

なお、ビージャールという地名の語源については諸説がありますが、古くはペルシャ語でビードザール、即ち「ビード(柳)+ザール(~の生える所)」が縮小されてビージャールとなったとする説が有力とされています。

そして、このビージャールは数多くの著名人を輩出した町でもあります。その代表格として、ガージャール朝時代の政治家で外交官、文人でもあったアミール・ネザーム・ギャッルースィーを挙げることができます。この人物が非常に有名であることから、ビージャールは「ギャッルースィーのビージャール」などとも称されるほどです。さらに、テヘラン市内のある地区にも、この人物の名前を冠した街路が存在します。

アミール・ネザーム・ギャッルースィー(1820-1900)

 

 

さて、それではここで、「イランの屋根」に当たる、ビージャール市から北に60キロほど離れたガムチョガイ村にある、ガムチョガイ城砦をご紹介してまいりましょう。

 

この城砦のあるガムチョガイ村は、総人口が約300人、70世帯あまりが暮らすごく小さな集落です。この城砦は、1986年にイラン政府より国有文化財に指定されています。切り立った険しい峡谷にへばり付くように立地していることから、当初この城砦は「王の谷間」城砦と呼ばれていたということです。複数のイラン人考古学者らによる研究調査の結果、この城砦の最初の建設部分は今から4000年近く前、即ち紀元前2000年から2500年にまで遡ることが判明したということです。また、この城砦の近辺で発見された碑文が、ヒエログリフと呼ばれる象形文字に類似しており、しかもこの地域でこうした文字を使用したのがシュメール人だとされることから、この城砦が、シュメール人のものだったとする学説も存在しています。

構造上、この城砦の南側と東側は比較的険しい断崖絶壁に面している一方で、北側の高さは幾分緩やかで、地上からの高さも低く、出入り口と思われる扉はこの方角にあります。城砦の壁は様々な形の石やモルタルで造られ、また半円筒状の複数の塔が建っています。また、城砦を取り囲む壁は、近隣の西アーザルバーイジャーン州テカーブにあるサーサーン朝・ゾロアスター教聖地の遺跡で、ユネスコ世界遺産にも指定されている「タフテ・ソレイマーン」に類似していることから、城砦の壁の部分はサーサーン朝時代に造られた可能性があるということです。

この城砦の重要な特徴として、海抜40.1mの地点に貯水池が造られており、山腹には42段の階段状の通路になったトンネルがあることが指摘できます。

さて、この城砦の見学を終えてから、再びビージャールに戻り、市内の伝統的な市場・バーザールを見学しました。新型コロナウイルスの影響とあってか、以前よりは人出は幾分少なめで、マスクをつけた人の姿が見られました。

イラン国内のこうした伝統的なバザールには、服飾、家庭用品、雑貨、食品など、実に多種多様な商品が陳列、販売されていますが、今回特に印象に残ったのが、伝統的な香料・香辛料などを販売している商店でした。店先には、日本ではそれほど見かけないと思われる香辛料が所狭しと並べられ、店員さんによる量り売りで販売されています。

 

市場見学を終えて帰途に着いた際、ビージャール郡から抜ける前に、今から500年近く前のサファヴィー朝時代のものとされる、サラヴァートアーバード橋の前をちょうど通りかかったため、下車してこの橋も見学してみました。

サラヴァートアーバード橋をバックに記念撮影

この橋は、サファヴィー朝時代に石材を基本として建築されましたが、その後今から200年ほど前のガージャール朝時代くらいまでに修復工事が加えられているということです。この橋がかけられているのは、コルデスターン州および西アーザルバーイジャーン州を水源としてカスピ海に注ぎ、イラン有数の長さを誇るゲゼルウザン川です。しかし、地球温暖化の影響でしょうか、河川の水は干上がっていました。

サラヴァートアーバード橋は、全長およそ130m、地上からの高さは8.5m~12.5mほどで、それぞれ大きさが多少異なるアーチ型の穴が9つほど開いています。また、地理的にコルデスターン州の中心都市サナンダジや同州に隣接するザンジャーン州やハメダーン州といった、イラン西部の諸都市を結ぶ役割を果たしている、ということです。

さて、今回は時間の都合で訪れることができませんでしたが、コルデスターン州のほかの諸都市、そして隣接した西アーザルバージャーン州には、世界遺産に登録されている見所をはじめ、数多くの名所旧跡が存在しています。また、この地域の主要な住民であるクルド人の文化にも、次の機会にぜひ触れてみたいと考えています。現在のコロナ危機が一刻も早く落ち着き、再び国内旅行がしやすくなることを祈りつつ、今月のレポートを締めくくりたいと思います。

 

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