*テヘラン便りで取り上げた地域の旅行手配も承ります*
今月上旬に、フランス・パリで、ユネスコ無形文化遺産保護条約の第7回政府間委員会が開催されました。イランも、148カ国に上るこの国際条約の加盟国の1つです。今回の会合では、イランから登録申請が出されていた、同国中部カーシャーンの近郊の町マシュハド・アルダハールで行われる、宗教的なガーリーシューヤーンと呼ばれる絨毯洗いの儀式が、ユネスコ無形文化遺産に登録を果たしました。なお、今回は世界各国の36件に上る無形文化遺産が、ユネスコに登録申請を出しています。ちなみに、今回は日本からも、和歌山県の民俗芸能・那智の田楽が、ユネスコに登録されることになりました。
イランからは、これまで9件に上る無形文化財がユネスコ無形遺産に登録されています。それらの無形文化財とは、ナッガーリーと呼ばれる物語りの語り部、ペルシャ湾の伝統的な航海技術、春の新年ノウルーズの祝祭、イスラムの殉教劇タアズィーエ、勇者パフラヴァーンの儀式、イラン東部・北ホラーサーン州の郷土音楽、南部ファールス州の伝統的な絨毯製造技術、イランの伝統音楽、そしてイラン中部カーシャーンの伝統的な絨毯織りの技術となっています。
ユネスコ無形文化遺産認定の目的とその対象
ユネスコ無形文化遺産保護条約は、2003年に世界に存在する各種の芸術儀礼、風俗習慣といった、幅広い範疇に渡る無形文化財の保護を目的に採択されました。それ以来現在まで、この条約の政府間委員会が、様々な国の無形文化財の調査や登録に関する業務を行っています。ユネスコ無形文化遺産の登録は、世界各国の無形文化財のより徹底した保護と、それらに対する理解を深めることが目的です。そうした無形文化遺産には、歴史を通した各国の国民の創造性や文化の多様性を示す、様々な諸国民の精神性に関わる伝承的な文化の重要な部分も含まれています。
無形遺産には、次にあげる2つの範疇の文化財が含まれます。1つは、伝承的な儀式や慣習を示すもので、各国の国民の間の文化の違いやその重要性が現れているものを指します。そして、もう1つは現在忘れられつつある儀式や慣習などで、その保護と伝承に努めなければならないものとなっています。このため、これらが無形遺産として国際機関に登録されることで、他国の人々がその儀式や習慣に対する理解を深め、それが忘れ去られることなく保持されうることになります。
文化遺産を育むイランの歴史と文明
イラン高原は、7000年前という太古の昔から、文化を生み出す世界の文明の発祥地の1つでした。イラン民族は、国際舞台で独自の際立った役割を演じ、歴史上の多くの時代において輝かしいイメージを創り上げていたのです。考古学的な調査からは、イランの文化・芸術に加えて、イラン人が常に自らの文明に文化的な要素をもたらし、また世界的な文明の創造や刷新にも寄与してきたことが分かっています。
生きた文化の指標の1つとなるものは、ある信条そして、過去の文化や民間信仰の経歴が保持され、未来の世代にまで受け継がれる儀式や風俗習慣が維持されていることです。これらの慣行儀礼は、時にはある宗教に端を発し、信者がその宗教を精神性と融合させ、統一性や団結を高めます。ある宗教的な祝祭の実施、或いはイスラム教に見られるラマザーン月やモハッラム月の儀式は、イランの宗教的な行事の1つであり、慣行儀礼と結びついているとともに、イラン人の文化的な経歴としてイランの風俗習慣を形成しています。これらの風俗習慣に加えて、イランの国内各地でも宗教的、民族的な要素が凝縮された地域特有の祭礼が行われますが、その1つがガーリーシューヤーンと呼ばれる、宗教的なルーツを有するじゅうたん洗いの儀式です。
マシュハド・アルダハール村の絨毯洗浄行事『ガーリシューヤーン』、ユネスコに登録
ペルシャ語でガーリシューヤーンと呼ばれる、宗教にまつわるじゅうたん洗いの儀式は毎年、10月上旬のある金曜日、即ちイラン暦の7月にあたるメフル月の第2金曜日に、イラン中部の町カーシャーン近郊にある、マシュハド・アルダハールという村落で行われます。これは、イスラム太陰暦ではなく、イラン暦に基づいて行われる唯一のイスラム教の行事であり、これまで1000年以上にわたり全く同じ方式により、マシュハド・アルダハールの村にて行われています。この儀式は、シーア派5代目イマーム・ムハンマドバーゲルの息子アリーの殉教日に行われます。この儀式を生み出し、その実行役を担っているのは、イラン中部の町カーシャーン近郊にあるフィーンという村落の人々です。
ガーリシューヤーンの行事の起原と概要
イラン中部の町カーシャーンとその近郊の人々は、昔からイスラムの預言者ムハンマドの一門を敬愛してきており、この町はシーア派イスラム教の重要な中心地の1つとされています。5代目イマーム・ムハンマドバーゲルは在位中に、カーシャーンの人々の求めに応じ、自分の子どもの1人である息子のアリーを、人々の宗教的な指導者としてカーシャーンの地に赴かせます。ムハンマドバーゲルの息子アリーは、カーシャーンの町の近郊にあるマシュハド・アルダハールの村落を、安住の地に選びました。彼は、人徳を備え、清らかで高貴な人物であったことから人々に敬愛されており、また時の暴虐政権ウマイヤ朝とは、決して折り合うことはありませんでした。
西暦734年のある日、カーシャーン近郊の村フィーンの人々と、アリーの友人たちは、アリーの自宅がウマイヤ政権の者たちにより包囲されたという知らせを聞きつけます。彼らはすぐさま、木の棒を持ってアリーの住むマシュハド・アルダハールの村に向かいましたが、彼らが村に到着したときには、アリーは既に殉教していました。しかも、事態は何とも無残なもので、アリーの亡骸には頭部がなく、無数の傷が残っていました。駆けつけた人々は、殉教者アリーの亡骸をじゅうたんの中央に置き、特殊な方法で葬儀を行い、泉の水で洗浄したのです。そして彼らは、アリーがかねてから遺言していた場所にその亡骸を運び、埋葬したのでした。
それ以来毎年、カーシャーンの町の近郊のフィーンの村人は、5代目イマーム・ムハンマドバーゲルの息子のアリーの殉教と、この偉人の埋葬に思いを馳せるために、マシュハド・アルダハールの村にてじゅうたん洗いの儀式を行います。ガーリーシューヤーンと呼ばれるこの儀式では、殉教者アリーが埋葬されている建物の中に敷かれているじゅうたんの1枚を使用し、それを当時彼の亡骸がくるまれていたじゅうたんに見立て、これを人々が運び出します。円筒状に巻いたこのじゅうたんを、若者たちが担ぎ、殉教者アリーが埋葬されている場所の近くにある泉まで運びます。この行列の後に、長い木の棒を持った人々の行列が続き、手に持った木の棒を振り上げながら、アリーを殺めた憎しき人物と闘う動作を見せます。
さらに、これらの人々は運んだじゅうたんを泉のそばに広げ、泉の冷水で洗ってから、再び意気盛んに、殉教者アリーが埋葬されている場所に戻ります。洗ったじゅうたんが、アリーの埋葬場所に入る前には、人々が再び木の棒を振り上げ、走り、アリーを偲ぶスローガンを叫び、アリーを殺めた憎しき人物との闘いを再現します。洗ったじゅうたんは、殉教者アリーの埋葬してある建物の入り口に運ばれ、また別の人々の集団に引き渡され、建物の中に運び込まれますが、このときにも、独特の儀式が行われます。
ガーリシューヤーンの儀式の特徴
このじゅうたん洗いの儀式は、カーシャーンの近郊にあるフィーンという村落の人々のみによって行われ、それ以外の人が行うことはできず、見学に回ることになります。この儀式への参加者は年々増加しており、この宗教的な儀式に関心を抱く人々が、イラン全国各地からマシュハド・アルダハールの村に見物にやってきます。なお、イランのメディアの報道では、この儀式への参加者は20万人以上と発表されています。
ガーリーシューヤーンと呼ばれる、宗教的なこのじゅうたん洗いの儀式の特徴として興味深いもう1つの点は、次のようなものです。つまり、イランではイスラム教の宗教的な儀式は全て、イスラム太陰暦に基づいて行われるのに対し、この儀式だけはイラン独自の太陽暦で定められた時期に行われるということです。一部の研究者の間では、このじゅうたん洗いの儀式がイラン暦に基づいて行われる理由として、この儀式がイスラムの行事でありながら、イランの国家的な複数の行事の流れを汲んでいることが指摘されています。また、これらの研究者の考えでは、イスラムが伝来する前にこの地域に広まっていた一連の儀礼慣行によって、このイスラムの行事がイランの人々の儀式と結びつき、それまでの追悼行事とは違った斬新な形式により行われ、しかもイラン暦に基づいてこの地域の人々のみによって、独占的に行われるようになった、とされています。
ガーリシューヤーンの行事開催地の特徴
シーア派5代目イマーム・ムハンマドバーゲルの息子アリーが埋葬されている聖廟の建物は、イマームザーデ・ソルターンアリーと呼ばれ、800年の歴史を誇りますが、特に今から500年前のサファヴィー朝時代と、200年前のガージャール朝時代には建築学的な装飾が施され、その周辺に様々な建物が加えられました。これらの建造物は、アルダルという名前の山の峠と川のそばに立地しており、その近郊の村落と平原には、幾つかの城砦やイスラムの偉人をまつった建物、そして古い建物がありますが、これらはかつてこの地域が繁栄していたことを物語るものです。イマームザーデと呼ばれる、イスラムの偉人の聖廟の境内には、大きな水場と壁画が存在し、イランの現代詩人で画家でもあったソフラーブ・セペフリーも、この聖廟の敷地内に眠っています。
なお、今回また1つ、イランの重要無形文化財がユネスコに登録を果たしましたことにつきまして、イラン政府及び、イラン国民の皆様に心から祝賀の意を申し述べたいと思います。