シルクロードを渡るラスター彩、イランから日本まで

 

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テヘランで、大ラスター彩展開催、故加藤卓男氏の悲願が遂に実現
人間国宝の陶芸家の故・加藤卓男氏は、古代ペルシャの陶器の中で最も高度な技術を有するラスター彩の制作により、世界的な名声を博しています。彼は、自分の子息である7代加藤幸兵衛氏と共に、日本の陶芸を世界の陶芸界に紹介してきました。また、著作『砂漠が誘う』の中で、イランのラスター彩の技術を紹介しており、長年にわたる研究の結果、この技術の再現に成功しています。先月4日から24日までの期間に、在イラン日本大使館は、イラン国立博物館、イラン陶芸協会、そして国際交流基金の協力により、テヘランで「大ラスター彩展ー古代から現代まで」と題した、ラスター彩の展覧会が開かれました。この展覧会では、30点に上る加藤幸兵衛氏の作品と、その父である加藤卓男氏の8点の作品が、10名のイラン人のラスター彩陶芸家の作品と共に展示されました。

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故・加藤卓男氏は1960年代から、イランで研究を重ねる中、イランのラスター彩の神秘の解明に成功しました。彼は、イランのラスター彩の技術を使用した陶器の制作により、世界から大きく注目されています。加藤卓男氏は、ラスター彩の故郷であるイランを再訪し、イランでの個展の開催を切望しながら、2005年にこの世を去りました。ラスター彩の神秘が解明されてから実に半世紀を経て、加藤卓男氏の作品が、その子息の加藤幸兵衛氏のラスター彩の作品と共に、『里帰り』と称するこの展示会で展示されることになったのです。
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世界に誇るイランのラスター彩

イランのラスター彩の技術は、世界の陶芸の中でも誇り高い、価値あるものとされ、イランでその技術や美の頂点を極めています。ラスターとは、窯の中で焼成された後に金属的な光沢を放つ釉薬全般を指しており、その最も優れたスタイルは、イランにおける伝統的なスタイルでした。この陶芸技術は、セルジューク朝、イル・ハン朝、そしてティムール朝時代にかけて、イランの幾つかの氏族のみの秘法とされ、他の人々に伝授されることはありませんでした。そしてその後、ラスター彩の技術やその製作法は一度、消え去ることになったのです。ラスター彩技術について記した、現存する最も古い書籍は、モンゴル王朝の書記官であったアボルガーセム・カーシャーニーの著作であり、この人物の親族はラスター彩陶器の製作者だったということです。

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第7代、故・加藤幸兵衛氏から見たイラン芸術

第7代、故・加藤幸兵衛氏は、テヘランでの今回のラスター彩の展覧会の開催について、次のように語っています。「今回の展覧会、そしてそれ以前に、私はイラン人の先生方から多くのことを学んできました。イランと日本の陶芸には、確かに相違点はありますが、大切なことは意見や情報の交換を行い、新たな作品を提示する事です。イランと日本の陶芸には間違いなく技術的、心理学的、そして宗教的な問題が存在しており、これらの問題は陶芸の技術の進歩が円滑化される上で、批評や研究の対象になりうるでしょう」

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故・加藤幸兵衛氏はまた、イランの美術にどれほど影響されたかという質疑に対し、次のように述べています。「東洋文化圏の出身である私のような人々にとって、ペルシャ絨毯に始まり建築、陶芸に至るまでのイラン芸術、そして特にこれらの芸術に存在する空間や奥深さは、学ぶところが非常に多く、また注目すべきものです。私は、1人の日本人として自国の美術や文化の影響を、より多く受けていますが、現在は、私の中にあるものと、イラン芸術や文化の中から自分が汲み取ったものを融合することにより、新しいものを生み出し、新たな扉を開こうと考えています」 加藤幸兵衛氏はさらに、モスクに見られるイラン建築の繊細さについて触れ、次のように述べています。「イランで、モスクの繊細な建築様式を目にするとき、こうした建築や美術が宗教的な源を有することが分かります。ですが、イラン人の芸術家たちが、宗教をどのように、これほど美しい芸術作品に取り入れていったのかを、是非知りたいと考えています」

ラスター彩の歴史と特質

ラスター彩は、金そのものを使用していないにもかかわらず、金属的な光沢を放ち、虹色の輝きを持つと言われています。ラスター彩は、中世から近世にかけての時代に、イランや中東地域で盛んになりましたが、それ以前にも化粧タイルによる装飾に使用されていました。また、今から1300年ほど前のエジプトでは、ガラスの装飾に使用されています。ラスター彩の製作過程は、次のようなものです。まず、下地となる陶器に釉薬を施した後、窯の中で焼成し、その上に銅や銀などの酸化物で文様を描き、再び窯の中で焼成します。これにより、金属的な光沢を放つラスター彩が出来上がります。

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ラスター彩に施される文様や図柄は、技術的、構造的、美学的な側面に加えて、当時の人々や支配者の暮らしぶりの水準をうかがわせます。例えば、イル・ハン朝時代のラスター彩を研究してみると、当時の支配者たちが自分たちの王朝を正当化し、安定させるために多大に尽力していたことが分かります。この時代のラスター彩には、竜や草花、スィーモルグと呼ばれる伝説上の鳥、空に浮かぶ雲、モンゴル風の衣服などの図案が見られます。ラスター彩の興味深い点の1つは、金を全く使用することなく、焼成された後に金属的な光沢を放つことです。この特徴により、イスラムでは金銀で造られた器の使用が禁止されたことから、陶器が最適な代替物とされ、宮廷や貴族の人々の生活に普及していきました。

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ラスター彩に使用される釉薬は実際に、光沢を放つ金属粒子でできた薄い層であり、白い鉛釉の表面に形成され、焼成された後に鏡や金属のような光沢を放ちます。こうした特徴の原因は、金属酸化物が焼成により還元されることで、純粋な金属が釉薬の表面に定着し、美しい光沢を放つようになることにあります。普通の釉薬が施された陶器の表面は、光を吸収してしまうため光沢を放つことはありません。しかし、特別な釉薬を施したラスター彩の表面は、ほぼ完全に光が反射するものでした。この釉薬は、幅広い配色の光を完全に反射し、鏡のように光らせるものです。この釉薬の金属的な光沢は金や銀、あるいは銅に似た光沢を放つこともあります。ラスター彩は、光の変化により様々な色に輝くという特質を持っていました。ラスター彩の表面には、非常に多くの色彩が見られ、黄金、光沢のある黄色、茶色形の色彩や赤銅色、ルビー色、明るい緑、オリーブ色、光沢のあるトルコブルー色などが見られます。

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古くから実用品とされてきたラスター彩

歴史を紐解いてみると、中流階級の人々の多くは金や銀で出来た食器を所有することはできず、ラスター彩による陶器は彼らの誇りに相応しいものだったことが分かります。高品質のラスター彩は、目を見張るほど美しく製作されており、手の込んだ緻密な図案が施されています。しかし、その技法が秘法として守られてきたラスター彩の釉薬の複雑な製造技術は、1つの陶器に結集し、研究者にとって興味深い神秘的な雰囲気をかもし出すと共に、彼らを長年にわたり魅了してきました。イラン北西部にある、ゾロアスター教神殿の遺跡・タフテソレイマーンでは、他のどの遺跡よりも中国風の図柄である竜や不死鳥、鶴、空に浮かぶ雲、ハスの花などのデザインが施された陶器が、数多く出土しています。
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しかし、モンゴル系のイル・ハン朝や、この王朝に召抱えられたイラン人の陶芸家とちは、少しずつ状況を変化させていきました。ササン朝時代の文様や芸術的な要素の一部、そしてササン朝独自のモチーフが、新しい環境に即した新しいアプローチにより、ラスター彩の図案に加えられていったのです。この時代のラスター彩には、乗馬や弓術、狩猟、王宮での謁見や宴、草花の文様、イランの伝説上の動物や鳥の図柄が施されています。

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ラスター彩の復活、再現

その後の時代には、ラスター彩は様々な理由によりあまり使用されなくなりました。しかし、20世紀になると、芸術を探求する人々の研究により、それまで忘れ去られていたラスター彩が再び脚光を浴び、イランの陶芸家が製作した歴史的、技術的に価値のある作品が、世界に紹介されるようになってきています。日本を初めとする国々では、イランのラスター彩が多くの人々に愛好されるようになり、イランの技術による数多くの作品が製作され、陶芸家たちがこの技術のアップデートに成功しています。イラン人のラスター彩の陶芸家や、それに倣う日本人の陶芸家の作品に触れてみれば、皆様も間違いなく、驚くべきその美しさに心を奪われ、感銘を受けるものと思われます。

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