イラン西部ハメダーン州の景勝地・アリーサドル洞窟とラーレジーン市の陶芸

専用のボートで地底湖を移動できるアリーサドル洞窟

様々な形の鍾乳石が連なる洞窟内

 

イランの陶芸の中心地の1つ・ラーレジーン焼きによる飾り皿

 

 

今回は、テヘランから300キロほど離れた、イラン西部ハメダーン州にある同国最大規模の鍾乳洞・アリーサドル洞窟と、この州の陶芸についてご紹介してまいりましょう。

 

アリーサドル洞窟は、イラン最大規模の洞窟とされ、透明度の高い地底湖が存在し、その水面をボートで進める距離が世界で最も長いと言われています。正確には、この洞窟はハメダーン州キャブード・ラーハング行政区、即ちこの州の中心・ハメダーン市の北西に約75キロ離れた、標高およそ2100メートルの丘陵地帯に位置しており、また地質学的なこの洞窟の歴史は、1億9000万年から1億5000万年前のジュラ紀にまでさかのぼると言われています。この長い歴史を誇る洞窟は、1963年に初めてハメダーン登山評議会のメンバー14人による、手製の筏を使用しての専門的な発掘調査が行われました。

当時の発掘隊のメンバー

 

彼らが地底湖の湖面をボートで進み、きめ細やかな発掘作業に挑んだ結果、詳細な情報が得られたことから、この洞窟内の様々なルートの存在やその内部の美景が明らかになりました。もっとも、1973年までは洞窟内のルートは最初は非常に狭く小さく、1962年以来ハメダーン登山評議会の議長を務め、市や州からも認知されていたアブドッラー・ジャージルー氏が、個人的に作業に着手し、地元民の助けを借りて内部のルートの拡大作業に従事ししました。その結果、1974年にようやく幅5メートル、高さ3メートルにまで拡大されたということです。その後は、洞窟内の一部に強化用のコンクリートを流し込む作業が行われ、内部を照らす照明設備や遊覧用のボートなどが装備され、1976年から一般公開されています。

ジャージルー氏のアリーサドル洞窟の開発に成功したというニュースは、当時のパフレヴィー国王にも届き、一般公開の開始からおよそ2ヵ月後には国王自身がこの洞窟を訪れるに至った、ということです。こうして、この洞窟は今では年間およそ100万人が訪れる一大景勝地となり、周辺の道路はすべて舗装され、観光客用の宿泊施設も充実しています。また、この洞窟は、その近隣にあるアリーサドル村にちなんで命名されたといわれています。

 

このような歴史を経てきたアリーサドルの洞窟を、今回念願かなって訪問できることになり、わくわくしながら出発しました。テヘランから高速でまず150キロほど離れたガズヴィーン州に向かい、同州の南西に隣接したハメダーン州に入ります。この時はまだ、イランの春の新年ノウルーズの期間中だったこともあり、到着してみるとアリーサドル洞窟のある敷地の入り口を示す大きな看板が出ていました。看板の左上には、テヘランからハメダーンまで290km」という表示も出ています。

 

さて、敷地のゲートをくぐり、順路を歩いて入場券を買い求めようとしたら、ここは相当人気のあるスポットなのか、長蛇の列ができていました。しかし、発券手続きは比較的スムーズなようで、予想よりは早く番が回ってきて入場券を買い求めることができました。さて、いよいよお目当ての洞窟の入り口が見えてきました。ここから中に入ることになります。

 

中に入ると、順路の入り口があり、列を作って並び、係員さんに入場券を渡すと、水濡れ防止用の専用のジャケットを渡してくれました。これは、この洞窟の内部には、至るところに上から水滴が滴り落ちてくる箇所が多くあるためだということです。前を歩く人々の後についてゆき、いよいよ洞窟そのものの入り口から中に足を踏み入れました。さあ、これからいよいよ1時間半ほどにわたる洞窟内の探検が始まります。

前の人の後について、足元に気をつけて順路を進んでいきます。

洞窟内のガイドさんのお話によれば、これまでの発掘調査ではこの洞窟内のルートのうち、延べ440kmにも及ぶ様々なルートの存在が確認されているものの、実際にはこの洞窟に関してはまだ知られていない部分が多く、ルート全体の距離が通算でどのくらいになるかは、まだはっきりわかっていない、ということでした。因みに、今回私たちが見学する順路はおよそ2kmほどだということです。

 

いざ、中に入ってみると、色々な形をした鍾乳石が色とりどりにライトアップされ、大自然がかもし出す神秘の世界とでも言えそうな、そして幻想的な世界が広がっていました。様々な形の鍾乳石が生み出す大自然の芸術に、透明度の高い地底湖が見事にマッチしている風景が、いたるところに見られました。

 

驚いたことに、洞窟内全体の気温は、年中を通しておよそ14℃ほどに保たれているものの、いずれの季節にここを見学するにも防寒着が必要だということです。それから、洞窟内では空気の動きや風がないため、ロウソクを灯してもその炎は決して揺れないそうです。また、地底湖の湖底から洞窟の天井までの距離は、最大で54mにもなるそうです。

とにかく、どこを見渡しても天然の彫刻博物館のような光景が続き、きれいにライトアップされたその美しさに驚かされました。

ちなみに、ガイドの方のお話では、鍾乳石は100年で1ミリ成長するとのこと。これだけの形に出来上がるには、相当の歳月がかかっていることが伺えます。中には、カリフラワー、針、傘など、その形状にふさわしい名称がつけられているものもありました。

 

「鷲のかぎ爪」の名称がつけられている岩(中央からやや右よりの赤い円で示した部分)。

 

この洞窟の形成には、人為的な開発は一切なされておらず、またかつては盗賊などに襲われた際の隠れ場所、そして飲料水・農業用水の貯水のために使われていた時期もあったということです。

順路の途中には、踊り場のような、途中で少々休息する場所と思われる場所もありました。

 

鍾乳石に見入る見学者。

 

この洞窟の一番の見所の1つに、「1000の鍾乳石の広間」があります。ここには、本当に数え切れないくらいの鍾乳石がびっしり連なっており、この洞窟の歴史の長さをうかがわせます。

 

「竜のかぎ爪」と呼ばれる岩。本当に竜が出てきそうです。

 

中国の「孔子様」に似たような岩もありました。

 

「石の滝」と呼ばれる鍾乳石。本当に滝の流れを思わせます。

 

ところで、順路内には水溜りがある箇所も存在します。周りの光景に気をとられて思わず水溜りに足を踏み入れる可能性がありますので、注意が必要です。もっとも、水溜りの深いところでは通行用の橋がかけられています。また、天井から水が滴り落ちてくるところもありますので、そのような箇所ではうまく水滴をよけながら進まなければなりません。

 

洞窟内で、写真撮影をするカップル。

 

親子連れの姿もたくさん見かけました。

 

しかし、何と言っても、この洞窟の最大の魅力は専用ボートに乗っての洞窟内の地底湖の遊覧です。不思議な形の鍾乳石がかもし出す幻想の世界に興奮しながら、遊覧ボート乗り場に向かいました。すでに、大勢の人々がきちんと並んで順番を待っています。

 

係員さんの支持に従い、1人ずつ慎重にボートに乗ります。

 

遊覧用ボートは、3艘ずつ連結されており、その先に先導用ボートがつながれています。

 

そしてもちろん、先導者の脇に座ることもできます。

 

ا本日も、見学客の数が相当に多いようで、別の見学者の一行とすれ違いました。

 

 

女性客も多く見られました。

 

遊覧ボートに乗ってみると、地底湖の透明度の高いことが、手に取るようにわかります。肉眼で、水深10mぐらいまで見えるとのこと。鍾乳石とともに、この洞窟に花を添えているといえるのではないでしょうか。この幻想の世界もまた格別でした。なお、この洞窟の地底湖の深さは0.5mから14mとされています。そして、地底湖の湖底が黄色、赤、紫、茶色、緑、青など、様々な色に見えるのは、地表面下に鉄、マグネシウム、亜鉛、鉛、銅といったミネラル分が含まれているからだということです。

 

地底湖遊覧の際に、安全上の面から立ち入り禁止となっている箇所を見つけました。

 

一連の幻想の世界を見学した後、やはり順路に沿って出口に向かいます。このコース全体で300段ほどの階段があり、また一部には照明の光が完全には届かず、いささか暗いところもありますので、最後まで足元に注意しながら進み、見学終了です。

 

地底湖のある世界最大級の洞窟を、ボートに乗って見学したことは、本当に感慨深い思い出となりました。ここは、イラン西部の有数の景勝地・名所といえるのではないかと思います。

 

さて、アリーサドル洞窟という景勝地を見学した後、今回の旅の締めくくりとして,この洞窟から南におよそ50km強離れた、イランの陶芸の中心地ラーレジーンに向かいました。日本の焼き物といえば九谷焼や有田焼、信楽焼などが、そして世界では景徳鎮などが有名かと思われます。ですが、日本ではイランにも陶磁器産業があることは、それほど知られていないかも知れません。ですが、実際にはラーレジーンは世界有数の陶芸の町でもあるのです。

そもそも、イランの陶芸の歴史は非常に古く、考古学的な発掘調査から南西部古代都市スーサ(シューシュ)、中部カーシャーン、テヘラン市南方の町レイなど、各地で陶芸が盛んであったことが判明しています。現存する史料によれば、イランにおける陶芸の歴史は紀元前8000年よりも前に遡るとされています。また、陶芸の発達に大きく寄与したのが、轆轤の発明であり、これは紀元前4世紀ごろだと推定されているそうです。

さて、いざラーレジーンに到着してみると、さすがは陶芸の町だけあって、市内の中心にある広場に、焼き物を手に持った職人らしき男性の大きな像が建っているのが、まず目に付きました。

 

ラーレジーンの町は、ハメダーン州バハール行政区内に位置し、この町の名称は、一説によれば「チューリップの咲き乱れる町」だと言われています。イラン国内で特にラーレジーンの町で陶芸が定着、発展した理由としては、13世紀にのモンゴルのチンギス・ハーンが遠征の際にこの地域を通りかかった際、この町の人々の一部を中国に遣わして中国の陶芸を習得させ、その後これらの人々がこの町に帰郷して陶芸に従事したことによる、とする説が有力だそうです。

 

街中を歩いてみると、通りを挟んで延々と陶磁器を販売する商店が軒を連ねています。それもそのはず、地元のある関係者の話によれば、人口がおよそ1万5000人ほどのこの町には、陶磁器の工房が850箇所、陶磁器の販売店が250も存在し、またハメダーン州からほかの地域に出荷される産物全体の20%を占めているとのことです。

1軒1軒のぞいて歩くには、とても時間が足りず、あのお店も見たい、このお店の商品も見てみたいとあちらこちらを見て回っているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

ここで生産される陶磁器にも色々ありますが、特に目を引いたのは、カラフルで細かい模様がちりばめられている壷や飾り皿などでした。

 

店内にはいずれも、食器や飾り皿と思われるもののほかにも、壷や貯金箱など実に多種多様な陶磁器が陳列されており、見る者の目を楽しませてくれます。

 

そしてもちろん、実際に焼き物の製作が行われている工房もありました。陶磁器の生産は、石膏型作り、生地作り、焼成、絵付けなど多くの工程を専門の職人さんが担当する分業体制で成り立っているということです。どこの工房をのぞいても、職人さん達が一心に轆轤を回したり、絵付けなどの作業に取り組んでいました。

 

生地作りの様子。

 

轆轤を回して形を整えている様子。

 

回っている轆轤に向かう職人さんの慎重な手つきに、見学者全員が注目しました。

 

竈に入れる前の大量の器。

 

焼成の様子。轆轤を使用して丹念に形を整えた器を竈に入れます。焼成には950℃から1000℃もの高い温度が必要だそうです。

 

たくさん出来上がった素焼きの貯金箱。

 

絵付けの様子。

 

中には、女性の職人さんが作業に当たっている工房もありました。ここラーレジーンでは、陶芸に従事する女性もたくさんいるそうです。

 

ある工房では、まだ幼い子供が轆轤に向かっている姿を見かけました。指導に当たっているのは、子供のお祖父さんでしょうか。この子供さんも、将来はきっと、素晴らしい陶芸家になることでしょう。

 

あちらこちらの工房では、懸命に作業に取り組む、様々な年齢層の職人さんのひたむきな姿に感銘を受け、またそうして丹念に仕上げられた数多くの陶芸品の華やかさを満喫しながら、陶芸の町ラーレジーンを後にしました。

 

イランの手工芸の町と聞いて、真っ先に頭に浮かぶのは中部イスファハーンかもしれません。ですが、ここラーレジーンも負けず劣らず、世界に誇る陶芸の町として幅を利かせています。ハメダーン州を訪れた際には、もうだいぶ前にご紹介した岸壁の古代碑文ギャンジナーメ、、偉大な医学者ブーアリー・スィーナーの廟などに加えて、今回ご紹介しました大自然の景勝地アリーサドル洞窟と、陶芸の町ラーレジーンを、是非見学してみてはいかがでしょうか。

今後も随時、イランの景勝地や手工芸などについてご紹介してまいります。どうぞ、お楽しみに。

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