旅行

特別レポート;イラク巡礼体験記(1)

南部カルバラーのイマーム・ホセイン霊廟の入り口

伝統的なバザールの一こま(南部カルバラー市)

イマーム・アリー霊廟(南部ナジャフ市)

皆様もご存じのように、イランをはじめとするイスラム諸国は先だってラマダンと呼ばれる断食月にあり、去る3月末に断食明けを迎えました。またイランでは日本の春分の日から始まる春の新年ノウルーズ休暇も終わり、平常モードに戻っています。国際ニュースでは、中東に関してはどちらかといえばきな臭い話題が飛び交っている中、イランでの市民生活はいたって平穏で、国政をはじめすべてが通常通り進行しています。

そうした中、この度ちょうど運よくイランから少々足を延ばし、陸の国境を隔てたイランの隣国・イラクを訪問する機会に恵まれました。

今回のタイトルは、皆様にとりましてまず「おや?」「!!?」と感じられたのではないでしょうか。イランから見れば身近な隣国の1つ・イラクは、一般の日本人の皆様にとりましてはメディアやネットニュースなどから「湾岸戦争」、「怖い」「危険」というイメージが真っ先に浮かんでくるかもしれません。

これまでこの「テヘラン便り」では、毎月イランでの日常の一こまや最新情勢、イランに関する話題をお届けしてきました。「イラク」と聞いて、さて何が始まるのかと皆様にとりましてはきっと興味津々かもしれません。首都バグダッド市内には、学校の歴史の教科書に必ず出てくるチグリス川が流れ、南部にはイスラム教シーア派の重要な聖地やモスクがあります。そうした巡礼地は今この瞬間にも大勢の巡礼客が訪れ、市場には数多くの品々が並び、多くの買い物客でにぎわっています。筆者にとりましても、ニュースなどで頻繁に見聞きしていたイラクという国の現実の一部を垣間見る貴重な経験となりました。そこで今月と来月の2回にわたり、テヘラン便り史上初めて「特別レポート」といたしまして、日本人にとってはいささかとっつきにくい、近寄りがたいと思われがちな、尚且つ知られざるイランの隣国・イラクの様子を、一部ではありますが写真と共にお伝えしていきたいと思います。バグダッド市に通じる街道脇のナツメヤシの木立

イラクはイランの西隣に陸の国境を接しており、イラン人にとってはビザなしで気楽に渡航できる国の1つです。それは、さながら日本人が韓国や中国、台湾などに気楽に出かけられるようなものと考えてよいでしょう。特に南部カルバラーとナジャフにはイスラム教シーア派の聖地があることから、シーア派教徒のイラン人による団体巡礼ツアーも数多く実施されています。陸の国境を接していることから、イラン西部の国境都市メフラーン、ガスレ・シーリーン、ホスラヴィ―などからの出入国も決して少なくありません。しかし、イラン人の巡礼客が多いことから、イラン・テヘランからイラクには首都バグダッドはもちろん、イスラム教シーア派の偉人とされる初代イマーム・アリーの霊廟のある南部ナジャフ市などにも直行便が出ています。筆者は今回この直行便を利用し、イラクの3大都市とされるナジャフ、カルバラー、バグダッドを順に北上する形でこの歴史ある国の一部を見学してきました。以下に、今回のイラク巡礼旅行の一こまを順にご紹介してまいります。

イラク巡礼者用専門に別個の空港ターミナルが存在

さて、今回の出国に当たっては、イランの空の玄関口となっているテヘラン・イマームホメイニー国際空港(略称コード;IKA)にまず出向きました。実は今回初めて知ったのですが、このテヘラン国際空港にはいつも筆者が日本への帰国やその他の国への渡航に利用している通常のターミナル(テヘラン州ロバートキャリーム郡、テヘラン市の南西35㎞)からさらに7㎞離れたところに、イラク巡礼専用の別のターミナルが設けられているということでした。このイラク渡航専用ターミナルはサラーム空港(正式にはテヘラン・イマームホメイニー空港サラーム・ターミナル)と呼ばれ、コロナ直前の2019年に開港したということです。イランに過去24年滞在している筆者にとっても、この空港を利用するのは初めてのことで、最初から「どんな空港だろうか」と、到着前から早くもワクワクドキドキでした。

テヘラン市内を出発し、市外に出て空港に近づいてくると、空港の所在を示す標識が見えてきました。そして、イラク巡礼者専用のサラーム空港まであと少し、という標識もありました。

さらに進むと、遂にサラーム空港の建物が見えてきました。近づいてみると、なかなかデラックスな空港のようです。これは到着者用の出口です。出発者はこの入り口からターミナル内に入ります。

イラク専用の空港とはいえ、考えていた以上に広く感じられ、また非常に清潔な印象を受けました。特に巡礼シーズンで混雑する時期などを見込んでか、出発階に移動するエスカレーターが結構長いことも驚きでした。

とはいえ、やはり巡礼者用のターミナルとあってか、いわゆる観光・行楽ムードは一切なく、旅行客の層もかなり限られ、全体的に利用客の数も少なく空いていて、出だしから他の普通の空港にはない厳粛な雰囲気が感じられました。大型のモスクの内部のような雰囲気が感じられる空港内のエリアの一部

出発までにまだ時間があったので、この機会にと空港内を少々見学してみました。いつも使用しているイマームホメイニー国際空港よりはさすがに小さい空港ではあるものの、免税店や喫煙コーナーも設けられています。サラーム空港内の免税店

喫煙コーナーもありましたが、この時は誰もいませんでした。普通の観光旅行ではなく、宗教目的での巡礼に行くということで、しかもラマダン中ということもあり、ショッピングや喫煙なども旅行客自らが自粛、自制しているのでしょうか。

その一方で、搭乗前の荷物検査やパスポートのチェックなどは、そのほかの空港とそれほど変わりません。チェックインを済ませて搭乗券をもらい、いよいよイラクに行くのだという実感がわいてきました。テヘラン・イマームホメイニー空港発イラク・ナジャフ行きの搭乗券

また、イスラム巡礼者用の空港ということで、イスラムの聖典コーランの大きなオブジェが広いロビーに飾られているのがとても印象的でした。さらに、巡礼者用ターミナルとあって、女性客はすでにチャードルと呼ばれる、頭からすっぽりと体全体を覆う黒装束をまとっている人が大半でした。男性も、鮮やかな色柄物の服を着ている人はほとんどいませんでした。サラーム空港ロビーにて。ターバンを被った聖職者や、巡礼用の黒いチャードルをまとった女性の姿が目立ちます

なお、イランではイスラム教徒の断食月、いわゆるラマダンと呼ばれる時期には街中の一般の飲食店は、日中は営業しませんが、イスラムの戒律上旅行者は断食が免除されるため、空港内のカフェ・飲食店は平常通り営業しています。頭にターバンを被ったイスラム聖職者の方も、一般客に交じって飲食していました。

朝早くに自宅を出発したため、空港内のカフェで朝食をとってからいよいよ搭乗口に向かいます。前述したとおり、巡礼者専用ターミナルとあってか、女性は軒並み、黒のチャードル姿で、当然ながら空港内がすでに巡礼ムード一色という感じでした。これは、聖地・巡礼地のモスクに入る際に、女性は頭から体をすっぽりと覆う服装が求められるためです。なお、紺や白などを基調とした色柄物もありますが、一般的には黒が無難とされているようです。ちなみに、筆者も今回の旅行に備えて、出発前にアラブ式とされるチャードルを買い求めておきました。搭乗ゲートの様子。黒装束姿の女性客が行列を作っており、また男性も地味な服装の人々がほとんどです。

さて、今回搭乗するのはイランの航空会社の1つ・カスピアン航空です。タラップを上って搭乗します。もっとも、チャードル姿の女性客とは対照的に、女性の客室乗務員さんは普通に頭髪を覆うヘジャーブのある制服姿でした。機内では、偶然にもアフガン人のイスラム聖職者の方と一緒の列になりました。普通の旅行では、まず遭遇しない光景ではないでしょうか。

ちなみに、この方のように黒いターバン(ペルシャ語で「アンマーメ」)を被っている聖職者はイスラムの預言者ムハンマドを先祖に持つ人たちで、預言者の末裔を意味するセイイェドを名乗っています。一方、白いターバンを被っている人は預言者の家系の出自・血統ではなく神学校で学んで聖職者となった人で、モッラーと呼ばれます。

さて、今回乗ったカスピアン航空は、テヘランからイラク・ナジャフまでを約1時間半ほどで結んでいます。航路としては、以下のようにイランとイラクの陸の国境を通過するかたちになります。

さて、離陸して定まった航路に乗り機体も安定したところで、機内食が配られました。ラマダン月とあってか、紙の箱の表面にもペルシャ語で「ラマダーン・キャリーム(恵み多いラマダン、おめでとう)」の文字が入っています。さすが、イスラム圏の航空会社です。

そして中身のほうは、飛行時間が短いことからハムとレタス、ソース付きのイラン式サンドイッチ、コーラ、ミネラルウォ―ターの軽食でした。

今回は飛行機で国境を超えるとあって、イランとイラクの国境はどのようなものかと、非常に注目していました。予定の航路によれば、まずは国境を超える前にトルコからイラン南西部に向かって走るザグロス山脈上空を通過するということでした。機内から見たザグロス山脈。連峰の部分は雪を被っています

そして、いよいよイランとイラクの国境を越えます。CAさんのお話では、以下の写真が国境を流れるアルヴァンドルード川だということでした。右下の細く見える部分がアルヴァンドルード川。飛行機の飛行方向からして、川のこちら側がイラン、向こう側がイラクと思われます

そしてついに、イラク領空に入りました。乾燥した国、砂漠というイメージとは違って、上空から見たイラクは、以外にも緑が多い国のようです。

さて、テヘラン空港を出発してから約1時間半後となるイラク時間の正午ごろ、ナジャフ空港に降り立ちました。イラクとイランの間には時差があり、イランの方が30分進んでいるということです。やはり、巡礼地のある空港とあってか、女性は軒並みチャードル姿でした。ナジャフ空港のロビー

さて、筆者も飛行機を降りてから、丈の長い黒いチャードルをまといました。今回筆者が着用したのは、頭からすっぽりとかぶり、あごに引っ掛けるゴムがついていて両袖を通す形になっているアラブ式のチャードルでした。これからは、巡礼地の見学が終わって首都バグダッドに行くまでは、このチャードルを常に着用することになります。ナジャフ空港にて。筆者もここからはアラブ式チャードルを着用

ナジャフ空港での入国審査ではどんな対応をされるのか、日本人だからといって留め置かれて色々事情を聴かれるのではと一瞬不安になりましたが、そのようなことはなく手続きはスムーズに進み、あっけなくあっさりと終わりました。

ナジャフ市はイラクの首都バグダッドの南方約160㎞に位置し、イスラム教シーア派初代イマーム・アリーの霊廟があることから、シーア派教徒であるイランの人々の身近な巡礼先となっています。それと同時に、1979年にイスラム革命を主導したルーホッラー・ホメイニー師が、当時のイランのパフレヴィー国王が始めた近代化政策「白色革命」に反対し1964年に国外追放され、以後長らく滞在していた町でもあります。

いざ荷物検査などを終えて空港の外に出ると、大きなバスが何台も並んでいて、盛んにペルシャ語が聞こえてきます。どうやら、イランからの巡礼団体ツアー専門のバスのようでした。実際、行き先を確認すると、その全部がこのナジャフにあるイマーム・アリー霊廟行きになっていました。筆者は夫ともに個人で来たため、空港周辺でこの霊廟行きのライトバンを見つけ、他数名の巡礼客とともに乗り込んで、まずは第1の目的地であるイマーム・アリー霊廟に向かいました。

イマーム・アリー霊廟付近の街中の様子。歩いているのは、ほとんどが巡礼客や聖職者

さて、霊廟の入り口に近い場所で車を降りてみると、大都市でこそないものの、黒ずくめのチャードルをまとった女性巡礼客をはじめ、津々浦々から巡礼目的にやってきた人々や聖職者などが往来していました。

ところがここで驚いたことに、霊廟の敷地内に入る手前の、つまり霊廟につながるバザール街に入る時点で男女別々の入り口が設けられており、空港での検査のように女性の係官から身体検査を受けました。もちろん、検査官の女性も黒いチャードルを被っています。ここでは写真撮影が許可されず、チェックを受けた後は順路に従ってそのまま前に進むように指示されました。一方で、筆者のような東洋系の顔立ちの巡礼者は、この地の人々にとって相当珍しかったようです。係官の女性から、「アフガニスタン人ですか?」と聞かれ、片言のアラビア語で「アナ・ヤバニーヤ(日本人です)」と答えると、その場にいた係官やほかの巡礼客たちも、「???」とばかりに驚いた表情で、非常に不思議そうにこちらを見ていました。

霊廟区域への入域に当たっての身体検査を終えて外に出ると、別の検査室から出てきた男性客らとも合流しました。霊廟につながる道の両側には色々な商店が並び、昔ながらの、また私たち日本人から見て異国情緒あふれるバザールが続いています。イマーム・アリー霊廟につながるバザールの入り口にて。この前の段階で身体検査があり、この区域への入域は厳重に管理されています

昔ながらの商店街・バザールの奥に見えるイマーム・アリー霊廟(金色の丸屋根と2本の尖塔の部分)

次に、バザール通りを抜けていざ、霊廟となっている大きなモスクの建物の入り口に向かって進みます。このモスクは非常に大きく、建物内に入る入り口がいくつもあります。霊廟の入り口の1つを背景に。シーア派有数のモスクへの入場を前に少々緊張しました

ちなみに、この大きなモスク霊廟に祀られているイマーム・アリーは「信徒の長(アミーロル・モウメ二ー)」とも呼ばれています。本名はアリー・イブン・アビー・ターリブと称し、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドの従兄弟かつ、娘婿にあたる人物で、正統カリフ時代の第4代カリフ(在位656~661)として知られています。ムハンマドと同じハーシム家の出身でもある彼は、シリアのウマイヤ家ムアーウィヤと対立した末に和解したものの661年、和解に反対する勢力によって暗殺されました。しかし、アリーをきっかけに、後にアリーとその子孫のみをカリフ・統治者及びイスラムの指導者として認めるシーア派が形成され、もう1つの宗派であるスンニー派と両雄を成すことになりました。またその後に誕生したアリーの子孫は、イスラムに沿って人々を教え導く導師・イマームとみなされて、現在に至っています。

さて、モスクの建物内には、靴を脱いで男女別々に分かれて中に入ります。靴は入り口の預り所にあずけることもできますが、自分でビニール袋などを用意して、その中に入れて持って歩く方が無難かもしれません。とにかく、霊廟そのものが非常に大きいことから、入り口も数多く設けられています。

ところで、この霊廟は非常に敷地面積が大きく、歩いての移動も大変であることから、大規模な空港などに見られるような移動車も走っています。こうした移動車には、歩行が困難な巡礼者のための車いすも備え付けてあります。

建物の内部に足を踏み入れてまず目を引いたのは、天井にかけて細かい鏡が張り巡らされ、数多くの太い柱に支えられた天井にいくつものアーチが連なっていることでした。さらに、大きなシャンデリアの光が鏡細工張りの壁や天井に反射して、煌びやかな光景を生み出しています。いくつものアーチ型の天井が連なる内装、イスラム独特の建築様式と幾何学的なデザインに思わず心打たれました。また、大勢の人々の話声や騒めきはあるものの、非常に厳粛な雰囲気にあふれています。煌々と輝く豪華なシャンデリアと鏡張りのアーチの連なりを背景に

もちろんここでも男性と女性のスペースに分かれ、各人が思い思いに祈りを捧げ、祈祷し、イスラム世界きっての偉人に思いをはせています。男性用のスペースで、一心不乱にコーランを読誦する人々

女性用スペースにて。子供連れの巡礼者もおり、各人が思い思いに祈りを捧げ、イマーム・アリーの偉大さを肌で感じ取っているようでした

このモスクをご主人とともに訪れたという、イラン南部シーラーズ市出身のある女性T・Kさんは、「子供時代から、このモスクを訪れることが夢でした。今、念願かなってここに来ることができてよかったです。心が洗われるようです。また来たいです」と、感慨深げに語っていました。

そして、この霊廟の見せ場の一つは、やはり何といっても、実際にイマームアリーの棺が中にあるという、金属の囲いで覆われた祠堂ではないでしょうか。この祠堂の大きさは5.1 x 6.35mの長方形で、約1万0,500メスガール(1メスガールは約5g)の金と200万メスガールの銀で造られています。なお、先ほど登場したシーラーズ出身の女性T・Kさんのご主人の話では、「これはシーア派の一派とされるイスマーイール派の指導者セイフォッディンの命により、インド人芸術家の手によって約5年をかけて建てられた」ということです。

また、この祠堂の大きな特徴の一つは、各部位に見られる葡萄をモチーフとした浮彫のような模様があることです。先ほどの女性の話によれば、この祠堂に数多くの葡萄のモチーフが刻まれている理由の1つとして、葡萄が多くの効能を持つ果物として、祝福と尊厳の象徴とされ、これらの特徴がイスラム教徒にとっての祝福と尊厳の源であるイマーム・アリーの人物像に合致しているからだということでした。

さらに、イマーム・アリー霊廟のもう1つの注目すべき特徴として、著名なイスラム学者や為政者なども埋葬されていることが挙げられます。

ちなみに、この霊廟内に埋葬されているそのほかの人物として、ミールザー・シーラーズィー、モガッダス・アルダビーリー、モッラー・アフマド・ナラーギー、モハッデス・ヌーリー、アッラーマ・ヒッリーなどの偉大なシーア派の学者が挙げられます。さらには、イスラムの統治者やブワイフ朝及び、シャー・アッバース・サファヴィー朝時代の為政者の一部、ガージャール朝の為政者モハンマド・ハーン・ガージャール、そして同王朝のファトフ・アリー・シャーの子供たちもこの霊廟の一角に埋葬されているということです。

とにかく、この霊廟はあまりにも大きく、全部をきちんと見て回るにはとても時間が足らず、次の見学場所に行かなければならないのが非常に名残惜しく感じられました。ですが、イマームアリーという人物像の偉大さ、そしてこの偉人と霊廟に対する巡礼者たちの思い入れは存分に体感できたと思っています。殉教後も現在までこれほど多くの人々の心をひきつけているイマームアリーに敬意を表しつつ、霊廟を後にしました。

出口にて。「ヤーアリー!」

イラン人の間ではよく、「ヤー・アリー」という慣用句が使われています。これは文字通りには「おお、アリーよ!」の意味ですが、驚いた時や、重いものを持ち上げる時、座っていて立ち上がる時、別れ際に相手に敬意を表する場合など、いろいろな場合に使われます。ちなみに、言われた相手は「アリー・ヤーレット(アリーがあなたを助けてくれるように)」と返すのが普通です。このようなところにも、特にシーア派を信奉するイラン人の心には、イマームアリーへの思い入れが深く根付いていることがうかがえるのではないでしょうか。

さて、イマームアリー霊廟の近辺にはもちろん、アラビアンナイト・千夜一夜物語を連想させるような昔ながらのバザールもあります。この機会にと、ナジャフ市内のバザールも覗いてみました。屋内式のバザール。中央にイマーム・アリーと思しき人物の肖像画のようなものが掲げられています。

バザールは相当の距離にわたって続いているようです。

バザール内の製菓店。いろいろな形のカラフルなお菓子が所せましと並んでいます。あまりの色鮮やかさに、どれもみんな食べたくなってしまいそうです。

貴金属店もあり、商品がふんだんに展示されていました。

肉屋さんの様子。すでにパック済みのものも売られていますが、まだ切りさばいていない肉が吊り下げられています。これはウシか羊の肉でしょうか。

バザール内のジュースやさん。日本の自動販売機のようなものはありませんが、新鮮なフルーツを使って、注文通りの組み合わせで出来立てのジュースを出してくれます。

おいしそうな鳥の丸焼きをグリルで回しながら焼いて売るお店もありました。

ケバブやさん。串刺しにした肉を直火で炙って焼いたものを売るこうした形態の店舗は、イランのものとよく似ています。

パックやタッパーに入れられたナツメヤシの他、各種のピクルスが売られていました。

このような感じで、バザールには食物をはじめとする大量の商品がたくさん並んでおり、見る者の目を楽しませてくれました。

この日の予定としてはテヘランから飛行機でナジャフ入りし、イマームアリー霊廟と近辺のバザール見学を済ませて、その日のうちに次の目的地であるカルバラーへと車で向かうことになっていました。実際、ナジャフからカルバラーまでは車で1時間少々かかりました。夕方に着いたカルバラーではまず宿泊先を確保し、ひとまず荷物を降ろして休憩しました。今夜一晩泊まることになったのは、この地の著名な聖地・イマームホセイン霊廟にほど近い、ルルアト・アル・バフラというホテルで、とても小ぎれいなホテルです。ちなみに、このホテルにはイランからの巡礼団体ツアーの人々が多数宿泊していました。しかも、普段からイラン人巡礼者が多く泊まることから、ホテルのフロントや係員もペルシャ語のできる人が多く、館内にはペルシャ語の表記もありました。外観はもちろん、フロントもデラックスで広く、かなり良いホテルだったと思います。

そして、宿泊することになった部屋は2人部屋で広く、清潔で快適でした。トイレとシャワーもとても使いやすかったです。

ちなみに、気になる宿泊料ですが、トイレ、シャワー、1泊朝食付の2人部屋で5000イラク・ディナール(日本円で約5000円)でした。

さて、このホテルで少々休憩し一息ついてから、イラクのもう1つの聖地・カルバラーの見学が始まります。この続きは来月のレポートでたっぷりとお届けしてまいります。どうぞ、お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ABOUT ME
yamaguchi
IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。