料理

2000年前から伝わるイランの伝統料理フェセンジャーンをどうぞ

肉団子にザクロの粒を添えて

サフランで黄色く染めたお焦げの付け合わせとともに

四季折々の変化に富んだ気候風土を誇るイランの広大な国土では、実に様々な農作物が収穫され、それらをふんだんに使った美味しい料理が数多く作られています。筆者もこれまで通算24年近くイランに滞在してきた中で、和食とはベースとなる食材や味付け、調理法こそ違えど、イラン食独自の素晴らしさに感銘を受け、イランならではの食の魅力に数多く触れてまいりました。主にイランに在住していた時期には、和食や和菓子が無性に恋しくなり、一時帰国した際にはほとんど和食を食べていました。しかし約2年ほど前から、イランと日本を定期的に往来する生活を続けている中、日本にいる間は普通の日本食も好んで食べる一方で、逆に偶にはイラン料理が食べたくなります。

このレポートでは、これまでにも様々なイランの家庭料理や伝統料理をご紹介してまいりました。写真付きでレシピや作り方の紹介文を書いていると、イラン料理のあの独特の風味や、現地で販売されている米や野菜、肉、調味料などを使って自分なりのイラン料理を作っていた時のことが懐かしく思い出されます。今回は、イラン料理の中でも比較的カロリーが高く、来客やホームパーティー向けにもよく作られ、サーサーン朝時代以来2000年もの歴史を誇るとされる伝統料理・フェセンジャ―ン(ザクロのペーストとクルミによる肉の煮込み)をご紹介したいと思います。

骨付きの鶏肉を使った例

そもそも、普通の日本的な感覚では肉とクルミ、そして果物であるザクロを一緒に煮込むのは何となく合わないような感じがするかもしれません。筆者自身も今から二十数年前に初めてこのメニューの作り方や材料を聞いた第1印象は「???」というものでした。しかしながら、出来上がった料理を食べてみると、甘酸っぱいザクロの風味とクルミの油が肉とうまく溶け合って、何とも言えないほど興味深い風味を生み出しており、それ以来この料理は筆者の特に好きなメニューの1つになっています。

ちなみに、イランではこの料理は鶏肉や七面鳥の肉で作られる場合もあれば、牛ひき肉あるいは羊のひき肉の小さなミートボールを入れることもあり、そのいずれも独自の良さがあると思います。ですが、今回は作業が比較的少ないと思われる、鶏肉を使ったフェセンジャ―ンをご紹介します。ここでは鶏むね肉を使いますが、お好みによって骨付きのもも肉や唐揚げ用、ささ身などを使ってもよいと思います。

まずは、基本的なレシピと作り方からご紹介してまいりましょう。

<用意するもの>4人分

・鶏むね肉、もしくはもも肉;(むね肉は4枚、もも肉は4本)

・玉ねぎ(大き目のもの) ;1個

・むきクルミを砕いたもの ;300g

・ザクロのペースト    ;カレー用スプーン2杯

・砂糖(お好みで)    ;カレー用スプーン2杯

・湯でといたサフラン   ;カレー用スプーン2杯

・塩、胡椒、ターメリック ;適量

・サラダオイル      ;適量

・米           ;4合

*ザクロのペーストは、外国の食材を扱う専門店、もしくはイランの食材を扱う専門店などの他、最近ではネットでも入手できるようです。

<作り方>

*ここではおかず(ペルシャ語でホレシュト)の作り方のみご紹介します。通常は主食にイラン式のライスを添えますので、以前にご紹介した湯取り法、もしくはお手持ちの炊飯器で普通にライスを焚いておいてください。ちなみに、ペルシャ語で言うホレシュトを「シチュー」と訳す場合もあるようですが、米飯にかけて一緒に食べることから、ここではおかずと解釈します。

1.鶏肉に皮がついていれば取り除き、よく洗ってざるに空け、水分を切っておく。余計な水分がなくなったところで、適量の塩、胡椒、ターメリックで下味をつけ、プラスチック容器などに入れて蓋をし寝かせ、冷蔵庫の中で保管する。

2.鍋に適量のサラダオイルを入れ、みじん切りにした玉ねぎを透き通るまで炒める。

3.玉ねぎの色が透きとおってきたら、細かく砕いたクルミの粉末を加え、玉ねぎと一緒に1分ぐらい炒める。

4.マグカップ8~9杯の水を加えて強火にし、沸騰させる。沸騰したら弱火にし、クルミから油がにじみ出てくるまで煮続ける。

5.弱火でゆっくり煮込んでクルミが変色し、煮汁の表面に油の層ができてきたら、ザクロのペーストを加える(目安は2,3時間ほど。クルミの油の層が表面にできるまでじっくり煮込む)。(注)ザクロジュースだと水っぽくなるため、この料理ではどろっとしたザクロのペーストを使います

6.1.で味付けし冷蔵庫に保管しておいた鶏肉を適量のサラダオイルでさっと炒め、サフランの粉末を湯でといたものを加え、表面が少々きつね色になるまで炒める7.5.にサフランと一緒に炒めた鶏肉を加えて、鶏肉にザクロの風味がしみ込むまでじっくり煮込む(目安は約1時間半)。この時にお好みで、甘味を強くしたい場合は砂糖を加えてもOK

8.適切な器に盛り付け、サラダやピクルス、ヨーグルトなどを添え、炊き立てのライスにどろっとしたフェセンジャ―ンをかけてどうぞ!

なお、盛り付け方は趣向により様々で、サフランでライスを黄色く染めるほか、ザクロの粒やクルミ、ピスタチオを鏤めるなど、色んな方法があります。クルミとピスタチオを鏤めた例

ザクロの粒で装飾

カラフルなサラダを添えて

ミートボールと装飾用にクルミの塊を使った例

ところで、イランで最も人気があり風味のよい料理の一つであるフェセンジャーンの歴史と起源は、この地の文化と歴史に深く根ざしており、この料理に関するあるペルシャ語のサイトによりますと、歴史的には約2000年前のサーサーン朝時代にまで遡るそうです。またこの料理はイランで最も古い料理の一つと考えられており、サーサーン朝時代には西暦の2月末から3月後半に当たる時期および、その後の西暦の春分の日にあたるイランの春の新年・ノウルーズの儀式で冬の終わりと春の始まりを祝うために作られていたということです。

それから時代が下って、イスラム王朝であるサファヴィー朝(1501~1736)の建国者、イスマーイール1世(在位1501~1524)の宮廷料理人を務めた、ヌーロッラーという人物の論文には、「ブカルメまたはブカルメ・ピラフ」と呼ばれる料理が記されています。この料理はザクロの実、クルミ、アーモンド、ザクロペースト、黒い干しブドウ、ひき肉のミートボールを組み合わせて作られていたとされ、これらの原材料から、このレシピは現代のフェセンジャーンとほぼ同じであることが分かります。

サファヴィー朝の建国者・イスマーイール1世(在位1501~1524)

また、サファヴィー朝のアッバース2世(在位1642~1666)の宮廷料理人が著した『調理とその産業に関する業績書』という著作には、「スィヤプロウ(黒いピラフのことと推測される)」という料理について触れられています。この料理の材料としては皮をむいたアーモンド、ザクロの実、羊肉、レーズンとされており、このことからこの料理には、現在のフェセンジャーンではないかと考えられます。             アッバース2世(在位1642~1666)

このように、16世紀から18世紀にかけてはフェセンジャ―ンにはクルミに加えて、もしくはクルミの代わりにアーモンドを入れるのが習慣だったとされています。

そして、さらに時代が下ってガージャール朝時代になると、フェセンジャーンは気位の高い王室の料理とみなされ、主に宮廷人や裕福な家庭の食卓に並ぶことが多くなったということです。当時、フェセンジャーンは「フスージャーン」と呼ばれ、この時代の為政者で美食家として知られるナーセロッディーン・シャーの好物でもあり、宮廷で働く料理人は皆、王の好物であるこの料理を上手に作ることを要求されていたと言われています。 当時の宮廷人の1人の記録には、次のように述べられているということです;「ある日、私は宮廷人らが会議を行う部屋の前を通りかかった。その時、王と側近たちはあることについてしきりに議論していた。私は、何を話しているのだろうと、好奇心から聞き耳を立てた。すると、中にいる人々がフェセンジャーンとゴルメ・サブズィ(野菜と赤インゲンと肉の煮込み料理)について、どちらがより美味しいか、そしてどうすれば美味しく調理できるかについて話しているのが聞こえてきた」

さらに、ガージャール朝の王子の1人で、この時代の王の1人ファトフ・アリー・シャーの孫にあたるナーデル・ミールザーが著したイラン料理のレシピ集『ホレシュトの書』には、当時はフォソージャンと呼ばれていた料理とその調理法について次のように記されています:

「タバリスターン(イラン北部、現在のカスピ海東海岸に面したマーザンダラーン州)とギーラーンでは、フェセンジャーンはこの名前で呼ばれている。一部の記録ではフォソージャンと書いてあるのを見たことがある。どちらが正しいのかは不明だが、言語学者の見解の方が正しく、より信憑性があると思われる。さて、本題に入るが、この料理には2種類ある。1つ目は、ヤマウズラ、キジ、雄鶏や雌鶏などの家禽、シャコなどの鳥の肉で作るものである。この料理は冬、夏、秋、春に作られ、様々な調理法で作られ、どれも美味しい。もう1つは、乳を沢山飲んで太った子羊の肉で作るもので、これもまた独特の醍醐味がある。作り方はいずれも以下のとおりである。まず、生臭みを消すため、いずれの種類の鳥でも塩をふり、良質の油を鍋に注ぎ、熱して鶏肉を投入する。鶏肉にほんのり焼き色がついたら、必要に応じて水を加え、火を強めて少しずつ火が通るまで煮る。次に、皮をむいたアーモンドの実またはクルミをすり鉢に入れ、柔らかくなるまですりつぶす。油が飛び出さないように、少量の水を振りかける。柔らかくなったら、すりつぶし、水に注ぎ、ふるいで適量だけ濾す。適量のザクロの実をすりつぶし、同様に濾す。アーモンドまたはクルミの実をすりつぶし、肉の入った鍋に入れ、全体に色がつくよう濾したザクロを加える。全体がよく煮えて油に溶けたら、砂糖で味付けするか、ブドウのシロップ、ペルシャブタクサ(せり科の植物)を加える。お好みで鶏卵を割って添えても良い。夏には焼きナスを添えることもできる。ザクロの実が手に入らない場合は、酸味を加えるのに未熟なブドウの汁やセイヨウサンシュユ、サワーチェリーを使ってもよい。マーザンダラーンでは、熱した鉄を入れて黒くなるまで煮る。そのほかの鳥や草食動物、水鳥、魚など、あらゆる種類の肉を使う場合も、これまでに説明したのと同じ方法で調理できる」

なお、ナーセルロッディーン・シャーの専属シェフ、ミールザー・アリー・アクバル・ハーン・カーシャーニーが著した『料理一覧』という著作には、様々な種類のフェセンジャーンが紹介されており、その中には、クルミやアーモンドの代わりに、煮豆、マルメロ、ニンジンが使われているものもあるということです。     ミールザー・アリー・アクバルハーンの著作「料理一覧」の表紙

さて、この料理の正確な発祥地についても諸説があり、一説ではフェセンジャ―ンの発祥地は北部ギーラーン州パスィハーン村だとされています。また一部の資料によれば、この料理はイラン南部ファールス州が発祥地とされ、この州の独特の地理的・文化的特徴、そしてこの地域でフェセンジャ―ンの主要な材料となるザクロが大量生産されることによって生まれたと言われています。

古代において、フェセンジャーンを作る際にはクルミが主要な食材の一つとして用いられていました。特にイランは気候風土がクルミの生育に適していることから、国内にはクルミが自生する地域が数多く存在します。ザクロもまた、イランを代表する果物の一つであり、古代からこの地の文化と料理において特別な位置を占めてきました。また、ザクロが持つ独特の酸味と甘みがクルミや鶏肉などと溶け合い、絶妙の風味と香りを生み出しています。

なお、フェセンジャ―ンという名称の語源についても複数の説があり、ある説では、この料理を作る際に使われる特殊な形状の陶器を指すペルシャ語「ファサンジュ」に由来していると言われています。

またもう1つの説として、イラン北部ギーラーン州の一部で話されるターレシュ方言の「ヴィザインジャン」という料理名にさかのぼる、というものがあります。「ヴィズ」とはこの地の方言でクルミを意味し、「インジャン」とは細かく砕くこと、つまりクルミを細かく砕いたおかずを意味しています。そして、このヴィザインジャンという言葉がイラン北部からより内陸にある中部地域に伝わっていった際に、発音しやすいように次第にフェセンジュン、そして最終的に「フェセンジャ―ン」に変わっていった、とされています。

しかし今や、このフェセンジャーンはこうした説とは全く関係なくイラン全国各地で普通に作られており、基本的な食材としてクルミの実以外にも、調理者の好みやその土地の気候風土に合わせて様々な材料が使われています。例えば北部、特にギーラーン州では、狩猟で得られた鳥の肉が使われ、過去にはアヒルの肉が使われていたそうです。また、中部では牛肉や羊肉などの家畜の赤身肉をすりおろして丸めたものを使うそうです。さらに、地域によってはピスタチオを入れる地域もあります。しかも、ガージャール朝のレシピで奇妙なのは、フェセンジャ―ンの色全体を濃い茶色にするために、鉄や馬蹄鉄が加えられていたことです。実際、多くのイラン人の間では、今でもフェセンジャーンが濃い茶色、より黒に近いほど高品質で美味しいと考えられているようです。

さて、今回はイランに古くから伝わる家庭料理の1つで、しかもザクロとクルミ、肉類というちょっと変わった組み合わせの煮込み料理をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。ザクロのペーストはまず和食には登場しないかと思われますが、最近ではネットでも入手できるようです。もし、ザクロのペーストが調達可能でしたら、和食にはない、イラン特有の食材の組み合わせと風味をぜひ味わっていただければと思います。

今後ともまた、折に触れてイラン独自の食文化や料理などについて、随時ご紹介してまいります。どうぞ、お楽しみに。

 

ABOUT ME
yamaguchi
IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。