工芸芸術

イランの伝統的な打楽器・トンバク

いよいよ、2020年が幕を開けました。イランをはじめとする中東はメディアの報道などで既にご存知のとおり、波乱の幕開けとなりましたが、最近になってようやくそうした一連の喧騒も落ち着きつつあります。そのような中で最近、あるつてでイランの伝統的な楽器に触れる機会に恵まれるようになりました。日本にも邦楽や雅楽に登場する筝や琴、琵琶や鼓、三味線、笙などの伝統楽器が存在しますが、同様にイランにも伝統的な打楽器、弦楽器、管楽器が数多くあり、ほかの文化圏とはまた違った独自の音楽文化を形成しています。今回はその中でも、イランの伝統的な打楽器の1つであるトンバクという楽器をご紹介してまいりましょう。

トンバクは、全体としての形状は写真からもご覧のように、一言で言えば木製のワイングラスのような形状となっています。高さはおよそ50センチほどで、直径30センチ強ほどのグラスの口にあたる部分には、ヤギやラクダなどの皮が張られています。また、本体の部分はクルミやマツ、クワの木などで出来ており、素材によって全体の色合いに違いがあります。ですが、この楽器として最も好ましい素材はクルミの木とされており、その理由として耐久性があることや音の響きがよい事、さらにはその木材繊維により美しい縞模様が見られることなどが挙げられます。

楽器によっては、本体の表面に細かい細工やペルシャ書道による文字などが施されたものもある
美しい天然の縞模様が見られるトンバク

演奏法としては、いすなどに座った状態でワイングラス状の本体を膝に乗せ、左手の前腕を乗せてトンバクの本体をしっかり固定した上で、左手首から先と右手で叩いて演奏します。この際、両手の手先を最大限に動かす必要があります。

現代イランの著名なトンバクの奏者として、ハージーハーン・ザルブギール、イーサー・アーガーバーシー、巨匠ホセイン・テヘラーニー、モハンマド・イスマーイーリー、バフマン・ラジャビー、ナーセル・ファルハングハーなどが挙げられます。

現代トンバクの奏法の父とも称される巨匠ホセイン・テヘラーニー(1911-1974)

木材を使用してのトンバクの制作には、非常に時間がかかるそうです。まず、クルミなどの適切な原木を適当な大きさに切り、全体としての形を作った後に中身を削りだします。そして、この状態の素材を袋の中に入れるか、あるいは特別な場所に安置して4ヶ月ほど置き、その後さらに1年間、普通の状態で空気にさらし、その上でワイングラス状の口の部分に動物の皮を張ります。さらに、先にご紹介したように、本体の表面に細かい細工などを施す場合もあります。

トンバクの制作過程

トンバクの最古の録音版は歴史は、ガージャール朝時代(1796~1925)のものとされていますが、トンバクそのものの歴史はもっと古く、7世紀ごろのイスラム伝来前に遡るとも言われています。これに関して、長年トンバクの指導に当たっているある知人の話によれば、当時ペルシャと呼ばれたイランで話されていたパフラヴィー語で、トンバクはトンバラグと呼ばれ、これがヨーロッパに伝わってヨーロッパ音楽文化圏のタンバリンの語源になった、という説があるそうです。

さらに、イランの伝統的な古式体操とされるズールハーネのジムでは、トンバクなどのイランの伝統打楽器が使用され、選手らがその打楽器のリズムに合わせて体操を行うとされていますが、これはすでにイスラム伝来前のイランで行われていた、という記録もあるそうです。

イランの伝統的体操・ズールハーネでの体操の様子
トンバクはズールハーネでも使用される

また、特にこの数十年間でトンバクは大きく進歩し、現在では独奏楽器としても使用されるほか、イランの他の伝統楽器(打弦楽器サントゥールなど)やバイオリン、歌唱などとの共演にも登場します。また、トンバクという名称の由来に関しては、両手で交互に叩いたときの音が「トン」、「バク」と聞こえるからであるというオノマトペにそった説がかなり有力なようです。

トンバクは、イラン人にとって決してハードルの高い特別な楽器ではありません。日本でいうお稽古事としてピアノやエレクトーンなどが一般的であると同様に、イランの街中の至るところにある音楽教室で、トンバクはそのほかのイランの伝統楽器と同様にごく普通に教えられており、様々な年齢層の人々がやってきます。テヘラン市内のある音楽教室の関係者の話では、トンバクの習得を始めるにあたっては最低満6歳に達している事が望ましいそうです。

テヘラン市内の音楽教室でトンバクを学ぶ小中学生

さて、私もこの機会にトンバクに実際に触れてみました。何本かの指先でたたいてみると、何とも言えない独特の響きが伝わってきます。人工の素材によらない天然素材ならではの特徴でしょうか。鋭い響きではなく、しかし決して弱いものではなく、まろやかな響きといったほうがふさわしいようです。日本でいう鼓に相当するような感じを受けますが、先にお話したように決して特別な世界の人だけが触れるものではなく、イランでは様々な年齢層の人々に広く親しまれています。奈良の正倉院に収蔵されている螺鈿紫檀五弦琵琶の表面に、ラクダに乗るペルシャ人が描かれていることは非常によく知られており、またこのことはイランと日本が遠い昔からシルクロードを通してつながれていたことを物語るものです。アジアの両極端にありながら、イランと日本にはそれぞれ伝統的な打楽器が存在し、現代まで受け継がれているという、両国の1つの文化的な共通点といってもよいのではないでしょうか。

時代が下るとともに、世界各地で様々なジャンルの現代音楽が生まれていますが、そうした中でも、国として誇るべき伝統音楽や伝統楽器が若い世代に受け継がれていくことを切に願ってやみません。

本年も、皆様に様々な角度からのホットなテヘラン便りをお届けしてまいります。どうぞ、お楽しみに。