日常生活

イラン人の引越し事情

「イラン全国どこでも運送を承ります」という運送会社の宣伝広告の例

前回は、日本よりもはるかに長いイラン人の子供たちの夏休みについてご紹介しました。しかし、イランでは夏といえば引越しのシーズンでもあります。それは、学校の就学年度が終わって夏休みとなり、またそれにあわせて企業や官公庁の転勤や異動などの辞令が出される時期にあたるからです。今回は、ちょうどその時期を迎えているテヘランを中心としたイランの引越し・家探し事情、そしてそれにまつわる話題を、実例を交えながらお届けする事にいたしましょう。

テヘランを中心とした場合、引越しのパターンは大きく3つに分けられます。1つは、22の地区に分けられたテヘラン市内での引越し(例えば第10地区から第5地区への転居)、もう1つは、ほかの諸都市あるいはテヘラン市郊外からテヘラン市内に転入してくる場合、そしてテヘラン市内から市外、あるいはほかの諸都市に転居するパターンです。

イラン人の住居は一般的に、日本の家屋よりも大型で天井も高くなっています。また、現在ではひところに比べるとイラン人の家族親戚同士の行き来や、来客の頻度は幾分少なくなっているものの、今なおラマダン月や春の新年ノウルーズを初めとした特別な折や冠婚葬祭をはじめ、折りあるごとにみんなで集まり、食事や茶菓を共にする事が多く、また来客を外部の飲食店に呼んでもてなすことは日本と比べて少ないといえます。このため、富裕層と中間層以下の間の格差は確かにあるものの、一般的にイラン人の間では家具や絨毯、装飾品などを数多く取り揃え、趣向を凝らす傾向が強くなっています。そのため、引越しは多くイラン人にとって非常に多くのエネルギーを必要とする一大作業とされ、「引越しをするごとに家財道具が傷む」といった嘆きの声も聞かれます。また引越しが無事に終わると、その喜びや安堵、手伝ってくれた人への感謝を込めて、自分の職場などにお菓子を配るといった習慣もあります。

さて、イラン人が引越しをする際には、特に家族もちの場合、どのような点を重視するのでしょうか。そこで実際に最近、テヘラン市内で引越しをした36歳の既婚男性A・Sさん(会社員、4歳の子供あり)に、ご自身の体験を語ってもらいました。

「このたび、妻の実家のあるアパートの、妻の実家のすぐ下の階に引っ越してきました。実は、私たちはつい1年ほど前にここから車で20分ほど離れたアパートに引っ越したばかりだったのですが、妻の実家の下の階の方がちょうど引っ越すというので、前のアパートも決して悪くはなかったのですが、4年前に妻の母がなくなり、妻の父が1人暮らしだったため、ここにきました。義父にとって、やはり実の娘がそばにいるのは何よりも心強いと思います。新居は、前の家と比べて、テヘラン市内のさらに北部(上手)に位置し、また100平米とやや大きい事から、値段も割高になりましたが、引っ越してきてよかったです」

ここでA・Sさんに、一般のイラン人の間では新居探しに当たって、どのような点が重視されているのかについて尋ねてみました。

「もちろん、人によっても引越しの理由は様々だと思いますが、やはり一番多いのは自分あるいは配偶者の職場に近い、子供の学校に近い、というのがメインではないでしょうか。もちろん、交通の便や周囲の環境、日当たり、買い物の便も考える必要があります。また、テヘランでは最近大型の公共バスBRTや、地下鉄が以前よりも充実してきてはいるものの、移動の手段はやはり自家用車というケースが多いので、特に自家用車を持つ人にとっては、ガレージあるいは駐車場があるかも大きなポイントになります。

それと、自分から見て引越しの主な目的と思われるものの要素の1つに、親兄弟の家の近くに住みたい、というものがあります。今回私たちの引越しの理由がまさにそれです。前に住んでいた家は、環境や住み心地の面でも決して悪いものではなく、つい1年ほど前に引っ越したばかりですっかり落ち着いていましたから、そこでいくらも経たないうちにまた引越しというのは、少々億劫だと感じる人もいるかもしれません。しかし、イランでは結婚後も自分の実家や親兄弟、あるいは配偶者の実家のそば、いわゆるスープの冷めない距離に住みたいと考える人は、今でも決して少なくないと思います。もちろん、勤務上の理由などで親兄弟が互いに遠く離れ、それぞれ違う都市に住まなければならないというケースも沢山ありますが。それから、イランでは親兄弟や親戚の間で頻繁に訪問しあったり、また友人知人を食事やお茶に招待するというケースが多くなっています。このため、やはり来客の際にあまりにみすぼらしいあばら家では恥ずかしい、との思いが強く、じゅうたんや家具に趣向を凝らし、また食器類も多めに、また皿洗い器なども備え、さらには寝具も最近では床に布団をしくよりもベッドを好む傾向が強まっていることから、できれば広い家を好む傾向が強いようです。具体的には、自分の感覚でいうと来客用の広間1つと台所、トイレ、浴室のほかに寝室が2つ、全体でおよそ80から100平米ぐらいでしょうか。

それから、もう1つのポイントとして、できれば市内でも下町ではなく、比較的経済状況のよい、また文化的にも高いレベルにある人々が住む、より北の方、上手のほうに住みたいと考える人が多くなっています。世間体ですよね。もっとも、最近は、特にテヘランは住宅の価格が高騰していることもあり、必ずしも100%希望にかなった住宅が見つからないこともしばしばです。そこはやはり、自分の経済力を考えて無理のない範囲の物件を選ぶ事になります。もちろん、住宅購入の際に親の援助を受けたり、勤務先などのローンで購入するケースもあります」

 

ここで、テヘラン市の地区・区画分け状況を、地図によりご紹介することにいたしましょう。以下の地図が示しているように、テヘラン市といっても非常に大きく、全部で22の区域に分かれており、また、どちらかというと東西に長く伸びているのがわかります。

この地図が示しているように、テヘラン市内の一番南に位置しているのが、順に第20、19、16、15の各地区、その少々上手に、順に左から右に第18,17、12,14地区、そのさらに上手のほうに第9、10,11、13地区となっていて、一般にはこれらの地域がいわゆる下町とされています。最も西側に位置しているのは第21地区と22地区、もっとも東側に位置しているのが第4地区となります。そして最も上手にあり、いわゆる高級住宅街が立ち並び、富裕層が最も多く住むのが第1地区と認識されているようです。テヘラン市は、非常に面白いことに、市全体で大きいなだらかな坂のような構造になっています。下町から上手に行くにつれて少しずつ海抜高度も高くなり、気温が下がり、上手に行けばいくほど富裕層が多くなり、したがって総体的に上手にいくほど住宅費も高くなるという、非常に面白い現象が見られます。そのため、同じテヘラン市内でありながら、下町と上手では、住民の間の生活ぶりに大きな違いが見られ、経済格差がくっきりと現れています。

特に昨今では、国際情勢の影響などから、イランの貨幣価値が大きく下がり、その一方でインフレが存在するため、これにともなって住宅費も高騰しています。現在のテヘランでの住宅費は、日本円に換算した場合、場所によっては日本並み、あるいはそれ以上のところも決して少なくありません。また、テヘランはほかの諸都市よりも住宅費などをはじめとする生活費が高く、さらに日本と同様に交通の便のよい所や、いわゆる高級ブランド住宅街・地域とみなされる所などは、当然ながら割高となります。

 

さて、先ほどのA・Sさん一家は、上の地図でいうと中ほどにおいて南北に伸びている第2地区内での引越しをしたとのこと。第2地区内でも南のほうから、さらに北のほうに転居したことになります。そこは交通の便もよく、近くにはきれいなショッピングセンターもあるほか、場所的にも経済的に比較的恵まれた人々が多く住む地域とされ、いわゆるイラン人の感覚では、さらに上手の方角に引っ越したわけですから、「あら、いいところにお住まいですね」と羨ましがられる地区に住む事になったわけです。とりあえず新居への荷物の移動が済んで、今度はそれらを室内に配置するという作業に入っていますが、これがまたなかなか大変なようです。とても1日や2日では終わらず、2週間くらいはかかりそうだとのこと。これにはどうやらほかにもいろいろな理由が絡んでいるようです。A・Sさんは、今回の引越し作業の現在までの経過を振り返ってみて、次のように語っています。

「何しろ、家財道具や装飾品、寝具、食器類が多く、いずれも相当の金額を出して手に入れたものですし、ガラスものなど壊れやすいものが多かったため、梱包作業に非常に手間がかりました。そして、前に済んでいたアパートの3階からエレベーターで運び出すのも一苦労。アパートの3階まで何度行き来したことでしょうか。われわれ夫婦だけではとても足りないため、義父や妻の兄弟たちにも手伝ってもらい、運送会社のトラックに積み込むまでが第1関門。積み終わってやれやれと思いきや、いかんせん壊れ物が多いわけですから、新居に到着するまでに、トラックの荷台の中で破損していやしないかと冷や冷やしました。新居もアパートの3階でして、とりあえず冷蔵庫やガステーブル、来客の接待用のソファーやテーブル、食器や装飾品など大半のものをそこに運び、なるべく隅のほうにまとめました」

「しかし、新居が新築ではなく、以前の住人が何年も居住した後に私たちが入居する事になったため、壁が相当に黒ずんでいて、新たに塗りなおすことになりました。もちろんこれにも別途に費用がかかります。この壁の塗りなおし作業が完了し、塗料のにおいが消えるまで1週間から10日ほどかかるため、その間はすぐ上の階の妻の実家に身を寄せています。義父にも色々迷惑をかけてしまっており、申し訳なく感じています。それから、台所の食器棚も相当に汚れ、また一部破損しているため取り替えることになりましたが、これが思いのほか高額でして痛い出費となりました。また、窓の大きさも新居では一回り大きく、それまで使っていたカーテンでは使えないため、新しく注文しなおさなければならず、ここでも臨時出費。しかもここは、いわゆるいい場所とされている地域でもあり、世間体も考えると、あまり安物のカーテンはつけられず、それなりのお値段のものをつける必要があります。自分はまだ30代ですが、早くも、引越しはもう懲りたという感じです。何とかこれが最後の引越しになるよう願っています(笑)」

 

さて、本格的に家具を配置する前には、新築のいかんを問わず、一連の清掃作業が必要になりますが、新築でない場合は特に、日本で言う畳の交換やふすまの張替えなどと同様に、イランでは壁の塗りなおし、壁紙の取替えなどが必要になります。今回、A・Sさんの場合は先にお話してくれたトラブルのほかに、ここで以外な出来事に遭遇したのこと。これについては、次のように語ってくれました。

「新居は、その前の住人が8年間いたこともあり、相当に壁が汚れていまして、とてもこのままでは生活できないと思いました。しかし、壁全体を塗りなおすのは大変だから、一部に壁紙を張ろうと思いまして、先日暑い中、妻と一緒に壁紙の専門店に足を運びました。ところが、そのお店の店員さんは、まず私たちがどこの地区に住んでいるかと尋ねてきました。何か品物を購入してそれを配送してもらうのに届け先の住所を告げるならともかく、壁紙を貼り付けてもらうのに何故、私たちがどこに居住しているのかなどを尋ねる必要があるのか、皆様は疑問に思われるかもしれません。実は、これには理由があります。つまり、その壁紙の販売店は、顧客の居住区域がどのような地域であるか、つまり下町か高級住宅街かを見極めて、“いわゆる世間でいい場所とされているところに住む顧客には、高額な壁紙を薦めて、作業も早く進めることで高い利益が得られる。そうでない地区に住む顧客なら、高級な壁紙は薦められず、したがって採算がとれない”とみなし、顧客の居住区やその背景にある経済状況を指標にして、顧客を損得勘定で識別しているわけです。結局私たちは、お金という目で見られているわけですよね。人間としての価値よりも、所有する住居や車、服装、居住地域などの経済的な指標のみで人間が識別されてしまうなんて、なんとも理不尽な世の中になったものです。どちらにお住まいですか、などと表向きは丁寧に応対しながら、実はこれほど失礼な事はないと思います。私たちはこの不愉快な一件で、もううんざりしてしまい、この壁紙販売店への反発の意味をこめて、壁紙を止めて壁全体を塗りなおすことにしました。でも、お蔭様でかえって安くついてよかったです(笑)。皆さんにも声を大にして言いたいです。“こんな業者は、こちらから願い下げにしましょう!”」

 

テヘラン市内のある壁紙販売店の宣伝広告の一例

 

 

さて、今度は逆に、テヘランから南に400キロほど離れた町イスファハーンからテヘランに引っ越してきた、H・Mさん(40歳、既婚、鍼灸師として自営、8歳の子供1人あり)一家の例をご紹介することにいたしましょう。H・Mさんは今回、地方都市よりも多くの可能性、特により多くの顧客が得られるという可能性を見込んで、テヘランにやってきました。確かに、職業面での可能性や収入、生活面での便利さの面では、テヘランはやはり一番だと感じているものの、地方都市にはなかった問題にも直面しています。今回、H・Mさんが暮らす事になった住居は、第2地区内でも前出のA・Sさんよりさらに上手の区域です。H・Mさんは、今回の引越しについて、次のように語っています。

「これまでは、妻の生まれ故郷であるイスファハーンで暮らしていましたが、今回思い切って、自分が鍼灸医学を習った恩師のつてをたより、テヘランに引っ越してきました。こちらに暮らしてみて早くも1ヶ月が経とうとしています。この間に気がついたことは、テヘランは大都市ということもあり、地方都市よりも職場でのストレスや渋滞など、各種のストレスが多いようで、そのせいか私のところに治療を求めてやってくる人もイスファハーンよりはるかに多く、お蔭様で仕事のほうはとても繁盛しています。ところが、それ以上に住宅費をはじめとする生活費全般が予想以上にはるかに高いことに驚かされました。私たちは、イスファハーンでは市内でも一番閑静な住宅街とされる区域で、150平米の一戸建ての家で生活していました。もちろん、持ち家でして、7年前に購入したものでした。市内の一等地とされているところの一戸建てでしたから、この物件をテナントに貸して、その賃料と自分の収入があれば、物価高のテヘランでもしかるべき生活はできるだろうと見込んでいました。また、周囲の住環境や交通の便から、妻がこの地区を希望し、また自分が今回恩師のつてでこの地域にクリニックを開業できることになったので、ここに来たわけですが、何と予想以上に家賃が高いことに驚かされました。新しく借りることになったアパートは、イスファハーンでの我が家の面積のわずか3分の1の50平米で、予算ぎりぎり。知り合いの知り合いの、そのまた知り合いにあたる日本人の方にこの件をお話したところ、その方がいわく、“現在の国際レートに換算したら、それじゃあ家賃だけを比べたら、東京23区のワンルームマンションとそれほど変わらないじゃないか!いっそのこと東京に来て生活したら?”とのこと(笑)。

イスファハーンで使っていた大型のソファーやベッドなどを置く場所がなく、やむなく新居に合うサイズのものを購入しました。おまけに、テヘランはガスや電気代などの光熱費も地方都市より割高です。いきなり出鼻をくじかれたという感じでした。そこで、これからは生活費の足しにするということで、妻も以前に働いていたときの経験を生かし、あるつてでコンピュータ関連の企業で働き始めました。夫婦共働きは大変ですけれど、自分で選んだ道ですし、これから子供の学費をはじめ、何かとお金がかかります。子供も少々大きくなり、また妻もそろそろ社会に出たいと望んでいたことから、まあちょうどよかったのかな、と感じています」

 

H・Mさんにはこの秋から小学校3年生に上がる娘さんがいます。現在は夏休み中ですが、そろそろ娘を通わせる学校を探さなくてはなりません。ところが、人口の多いテヘランなら、学校探しには不自由しないだろう、と高をくくっていたのが大誤算。テヘラン市内の上手は、比較的裕福な人々が住む地域とあって、この地区には私立学校しかなく、しかも一番安い学校でもイスファハーンよりはるかに高額なのにびっくり。これについて、奥様は次のように語っています。

「イランでは、公立学校と私立学校の間には、教師1人当たりに対する児童生徒の数、施設などの備品、コンピュータ教育や音楽・美術など主要科目以外の芸術教育などの充実度、国定教科書以上に上乗せして高度な内容を教育する、そのほかに給食が出るなど、非常に大きな違いがあります。もっとも、私立学校といえどピンからキリまであり、ある程度の学費の私立学校なら、公立学校とそれほど変わりはなく、お金を出す価値はないと思います。子供をいい学校に入れたい、少しでもよい教育を受けさせたいと思うのは、子供を持つ親なら誰でも同じだと思います。ですが、やはりこちらにも予算の問題がありますし、あまりにも法外な金額なら、少々遠くてもスクールバスのある公立学校に入れるつもりです。実際に、全国統一の大学入試で毎年上位の順位に入って、テヘラン大などの難関大学に合格する人は、ほとんどが地方出身者です。そういう人は、みんな公立学校の卒業者ですし、家庭教師をつけてもらったり、また学校以外の強化クラス(日本で言う塾や予備校に相当するもの)に通ったわけでもありません。自分の学習意欲により、自分の力を頼りに、ひたすら勉強してそうした状況に上りつめたわけです。私自身も、地方都市のイスファハーンですべて公立の小中高等学校に通い、学校の授業だけできちんと国立大学にも合格できました。私が聞いたことのある、ある外国の諺には、“子供を1日だけ満腹させたければ、子供に魚を与えなさい。でも子供を常に満腹させたければ、子供に魚の取り方を教えなさい”というものがあります。親が環境や便宜、お金などすべて与えてやるよりも、自分で必要なものを入手できる、作り出せるように育てるのが本当の教育、愛情なのではないでしょうか」

最後の部分の、奥様の力のこもったコメントが印象的でした。

 

さて、最後に、今度はテヘランから地方都市に転居した人の例をご紹介しましょう。テヘラン出身のR・Wさん(45歳、既婚、航空会社勤務、高校生と中学生の子供2人)は、このたび転勤で、テヘランからイラン北部カスピ海の港湾都市ラシュトに転居しました。お仕事柄転勤が多いようで、これまでにもペルシャ湾に浮かぶイラン領の島・キーシュ島、中部ヤズド、北東部マシュハド、西部ケルマーンシャーなどに勤務上居住した経験があり、日本でいう転勤族に相当するといえます。R・Wさんはこれまで、国内のさまざまな都市に居住した経験について、次のように語っています。

「私の勤める会社は、イラン全国に支店があるため、国内のあらゆる都市に転勤を言い渡される可能性があります。しかし、私は、どの地方都市に転勤が決まっても、ほかではできない貴重な経験をするのだとプラスに捉えてきました。イランは国土が広いため、イラン人であってもイラン国内を全て見て回り、知り尽くす事は難しいのではないでしょうか。でも私は仕事柄、家族とともに国内の色々なところに住んで、普通ではできない経験ができたと思います。ただ、ある町にずっと住み続けると、特に子供たちがその土地の方言を覚えてしまい、次に別の町に行ったときにその方言がつい出てしまって、「あれ?同じイランなのに言葉がまったく違う」などという珍現象が起きたこともしばしばでした。マシュハドからケルマーンシャーに引っ越したときには、マシュハドでは東洋人に風貌の似たトルクメン人がたくさんいて、地元の方言に慣れていたのですが、ケルマーンシャーでは、打って変わってクルド人が多く、街中でもまったく違うクルド語が飛び交っていて、街中の人々の外見や服装がガラリと変わり、私たちはしばらく戸惑いました。ですが、そこでの生活にも慣れ、しばらくしてテヘランに戻ってきたら、回りの人から、“あなたたちはクルド人ですか?お子さんたちは立派なクルド語を話していますが”と言われ、”いえ、私たちはテヘランの出身です”と苦笑いした事を覚えています(笑)」

現在住んでいるラシュトの住み心地、そして、ある都市から別の都市への引越し全般について、R・Wさんは次のように語っています。

「テヘランと違って、ラシュトはカスピ海に面していることから、湿気の多い地域です。ここでの唯一の問題は、洗濯物などがテヘランと違って乾きにくいことです。また食物も傷みやすいので、なるべく買い置きはしないようにしています。それと、雨がよく降るので、自宅はもちろん、勤めに出る際にも常に傘を携帯しています。でも、ここはギーラーン州の中心都市ではあるものの、テヘランよりは物価も安く、またカスピ海という絶好のリゾート地ですし、自然環境も多く、子供たちが携帯電話やネットゲームに夢中になるよりは、自然環境により多く触れることができるのでよかったと思います。それから、ここでの生活のもう1つのメリットとして、テヘランにはないおいしい食材が豊富に手に入る事があげられます。特に、ギーラーン州でとれるお米、茶葉、魚、野菜は最高です!

私たちは、いつもほかの町への転居の前には、今度はどんな生活が待っているのだろうかと、やはり多少は不安になります。でも、これまでのいずれの町に関しても、今振り返ってみると決して嫌だったと思うことはありません。むしろ、一定期間あるところに住んで、住み慣れてくると、今度はそこを離れるのが惜しくなるくらいです。今では、妻や子供たちはこれまでの引越しで知り合った、色々な町の友達や知り合いと、テレグラムでやりとりし、いつかまた必ず会おうと約束しています。こうした生活の難点をしいて挙げるとすれば、引越しが多いために、普通のイラン人のようにあまり高価な家具や大量の食器を保有できない、所有物を最小限にしなければならない事ぐらいでしょうか。でも、私たちはモノを持つよりも、たくさんの人との思い出や貴重な経験を大事にしたいと考えています。お蔭様で、妻や子供たちも、環境が変わっても困らないような順応性がついたのではないでしょうか。これは、お金では決して買えない貴重な宝物です。これから、ラシュトでの滞在がどんなものになるかが楽しみです」

 

以上、3人のイラン人の引越しの実例をご紹介しましたが、実に色々な出来事、ハプニング、思い出がこめられていることがわかります。これからしばらくすると、学校の新学期に向けて引越しの動向も落ち着き、イラン各地でまた人々の新しい生活が始まることになります。それぞれの皆さんの新天地での生活が、さらに充実したものになることを祈って、今回のレポートを締めくくることにいたしましょう。