色鮮やかな地元の伝統衣装に身を包んだ女性(ギーラーン州の収穫祭で)
収穫の喜びを表す地元の男性(マーザンダラーン州にて)
日本では近年、必ずしも「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざ通りではなく、秋分を過ぎても厳しい猛暑が続くことが多く、春と秋が短くなる傾向にあると言われていますが、それでもやっと最近では、朝晩を中心に凌ぎやすくなってきたのではないでしょうか。特に秋は米や果物などの収穫のシーズンに当たり、特に稲作に従事する農家などでは台風の襲来前に稲を無事に刈り取れて一安心、といった話をよく耳にします。日本の稲作地帯と言えば、特に新潟県、銘柄では魚沼産のコシヒカリなどが有名かと思います。
同時に、北半球に位置し日本とほぼ同緯度に位置するイランでも秋は米の収穫のシーズンであり、特に北部のカスピ海沿岸地域では米の収穫を祝い神に感謝する伝統的な収穫祭が行われています。そこで今回は、ちょうど先だって行われていた北部カスピ海地域の複数個所における米の収穫祭の様子をご紹介していきたいと思います。大勢の人々が参加して開催(マーザンダラーン州)
ちなみに、今回ご紹介するイラン北部地域のギーラーン州とマーザンダラーン州は、以下の地図のように首都テヘランよりも北方に位置し、カスピ海に面しており、温帯湿潤気候区に属する日本と気候風土の面で非常に類似しています。
米はナンとともにイラン人の主食の1つであり、イランでも非常に大切にされています。実際に筆者は、イラン人の間で「足元に落ちた米粒さえも踏みつぶさないように気をつけなければならない」と言われるのをと聞いたことがありますが、これは踏みつぶしてしまうと家に対する祝福や恵みがが失われる、と考えられていることによるそうです。
イラン人の間では、常に成長し続けるものは祝福や恵みの象徴と言われています。中でも特に一本の稲穂が幾筋にも実り、作物が絶えず成長し続けること、そして農民が豊穣と実りを祈願し続けることから、米は善と祝福の象徴とされ、幸運と前兆をもたらすと言われています。
ギーラーン州での田植えの様子
ギーラーン州での稲の収穫の様子
ギーラーン州の農業関係者の話では、その年の最後の稲穂を保管しておくと、その年に幸運と祝福がもたらされると言われています。この稲穂は1年間家の中に保管され、翌年、その稲穂から収穫した米を分け、一部は耕作のために土地を準備する雄牛(現地の方言で「ヴァルザイ」)に与え、残りは恩恵が与えられることを願いつつ新年の米蔵に収める、ということです。
さて、イランでの米の収穫祭の儀式は通常、9月の中旬から後半、正確にはイラン歴シャフリーヴァル月(西暦8月23日から9月21日)の末の木曜日または金曜日に行われます。この祝祭は、もともとギーラーン州が起源だと言われていますが、それはこの州内に約238ヘクタールにも及ぶ稲作地帯があることによります。ギーラーン州の人々は協力、友情、そして産物の恵みへの感謝からこの祝祭を開催します。もっとも、今回ご紹介する収穫祭はギーラーン州だけのものではなく、隣接のマーザンダラーン州などでも開催されています。
ギーラーン州に残る収穫祭の儀式は、先祖から受け継がれてきた根深い信仰や信念の象徴と考えられ、比較的長い歴史と背景を持ち、この地域に暮らす民族の文化的アイデンティティを象徴する存在です。この儀式は農耕慣習を基盤としており、この州の人々の生活や米の生産と深く関わっています。ギーラーン州の人々は、稲と稲作は単なる植物や畑を超えた存在だと信じており、かつてはこの州の大半の村落では、稲作農家は仕事を終えると稲に語りかけ、その恵みを祈願していたということです。盆にのせた米粒を前に神への感謝をささげる男性
ギーラーン州の収穫祭は、日本の明治時代とほぼ同時期に当たるガージャール朝時代から、稲作シーズンの終了時、つまり田植え、稲刈り、そして収穫という一通りの作業を終えた後の時期に、水田の過酷な稲作労働から解放されるために行われてきました。もっとも、中にはもっとはるか昔、つまり古代から行われていたとする説もあるそうです。
さて、現在のこの収穫祭では、伝統的な農具を用いて収穫と脱穀の儀式が象徴的に執り行われ、ギーラーン州の伝統的な衣装を身にまとった稲作農家の人々が地元の歌を歌い、ソルナーと呼ばれるラッパに似た角笛のような笛を吹きます。
マーザンダラーン州での収穫祭の様子。伝統的な弦楽器や打楽器も演奏されます
また、伝統的な地元の装束をまとった経験豊かな年配の農民が通常、マジマエイと呼ばれる銅製の容器を3回空に掲げ、神に雨と太陽(稲穂の成長に必要な要素)の恵みがあるよう祈ります。
その後、リズミカルで劇的な動きで、稲を植え、世話をし、収穫する象徴的な動作を行います。以下に、ギーラーン州フーマン、ソウメエ・サラー、レズヴァーンシャフル、チャーボクサルといった複数の町における収穫祭の様子をご覧下さい。ソウメエ・サラーにて
レズヴァ―ン・シャフルにて
フーマンでの収穫祭
レズヴァ―ンシャフルでの象徴的な稲の収集の様子
フーマンで農機具を使用しての脱穀・農作業ショー
ソウメエ・サラーにて
農機具を使った象徴的な儀式(フーマンにて)
籾摺りショーの様子(チャーボクサルにて)
会場の一角では、大人の参加者の様子につられて、小さな子供も楽しそうに籾摺りを体験しています。
最後に、米粒がたっぷり入った椀を頭に乗せ、両手を天に掲げて祝福に感謝します。
地元の成人女性や未成年少女たちは色鮮やかな民族衣装を身にまとい、伝統的なお菓子や手工芸品の販売に当たります。地元の伝統衣装を身に着けお菓子を売る少女たち
特別の屋台で地元形式のナンを作る女性
色鮮やかな手編みの籠やざるなどを販売するコーナー
またこの祝祭では地元の伝統楽器が演奏され、郷土民謡などが歌われるとともに、伝統的な郷土料理が作られ、香ばしい風味が漂い、人々が収穫の喜びに歓声を上げています。
さらに、この儀式のもう一つの興味深い点は、「アル―ス・バラ―ン」と呼ばれる、花嫁を婚家に連れて行く象徴的な儀式が、古代から収穫祭と同時に執り行われているということです。これはギーラーン州の地元民の民間信仰に遡るもので、新郎新婦に幸運と富をもたらすと言われています。この伝統的かつ象徴的な儀式では、新郎新婦が伝統楽器の音色と参列者の興奮の中を先導され、地元の若い少女たちが稲穂とお菓子でいっぱいの盆を頭に乗せ、地元の衣装を身にまとい、幸せな二人を喜びと踊りの中で婚家へと導きます。カラフルな地元の伝統衣装をまとった女性たちに付き添われる新郎新婦
米や稲穂、菓子などを盛った盆を頭にのせて新郎新婦を誘導する少女
新郎新婦を導く女性たちの行列
ここで、フーマンでの収穫祭に参加した同地出身の女性、A・Sさんはギーラーン州で行われていた昔の風習について、次のように語ってくれました:
「遠い昔、ギーラーン州の稲作農家は稲刈りと脱穀を終え、新米を炊く最初の日に親戚や知人、村の有力者などを自宅に招き、夕食を共にしました。集まった人々は皆一緒に座り、今後の神の恵みやよい出来事があるよう祈った後、料理が振る舞われました。伝えられるところでは、食事を振舞った家の主人は家禽たちにも、稲田の恵みとして炊いた米を与えたと言われています」
そして、ギーラーン州が日本と気候風土が類似していて降雨も多く、日本のように稲作が盛んであることにちなんで、次のようなメッセージを伝えています;
「私の生まれ育ったギーラーン州フーマンは、イラン国内でも有数の緑豊かな地域であり、稲作が盛んです。日本も緑が多く稲作が盛んだと聞いています。イランは西アジア、日本は極東アジアと地理的には遠く離れていますが、そのような中で雨の多い気候と稲作が盛んであるという共通点があるのは、とても興味深いことです。ぜひ、日本の皆様にも私たちの住む地域・ギーラーン州がイラン有数の稲作地帯であり、米の収穫を神に感謝する収穫祭が行われていることを知っていただくとともに、緑あふれる美しいギーラーン州に遊びにきていただきたいです」
さらに、この収穫祭では、アトラクション的なものとしてラーファンドバーズィーと呼ばれる綱渡りのショー、ギーレマルディと呼ばれる相撲のような独特の格闘技、伝統的な農具の展示など、この地域に古くから伝わる伝統慣習が披露されます。
以下は、ギーラーン州の収穫祭で行われたラーファンドバーズィ―・綱渡りショーの様子です。
綱渡りをする主役はパフラヴァ―ンと呼ばれ、祈りを唱え、神の恵みを称えながら綱の上に登り、棒を使ってバランスを取りながら綱を渡り、様々な芝居がかった動きで人々や観客を魅了します。同時に、主役を助ける、シェイターナクと呼ばれるわき役がユーモラスな動きで人々の笑いを誘い、角笛(場合によってはケトルドラムのような打楽器)を奏でる者が郷土の音楽を奏でます。また、綱渡りをする主役は、非常にアクロバット的な動作を披露することもあります。

そして、以下はイラン北部地方に伝わる伝統的な格闘技でレスリングに似たスポーツ・ギーレマルディの様子です。
この象徴的な競技を行う男性は、開始前にまっすぐにイスラム教徒の礼拝の方向であるメッカの方向・キブラに向かって祈りを捧げ、次にイラン北部地域から見て東の方角にある、ホラーサーン・ラザヴィ―州の方向を向き、胸に手を当てて、シーア派第8代イマーム・レザーに向かって心の中でレスリング実施の許可を求めます。これは、同州の聖地マシュハドにイマーム・レザーが祭られている霊廟があることによります。
さらに、農具の製作・展示も行われます。
さて、今回はイラン国内でも日本と気候が似ていて降雨量も多く、緑豊かなカスピ海沿岸地域での収穫祭の様子をお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか。日本から遠く離れた西アジア、しかも一般的には乾燥した砂漠の国と考えられているイランで、米の収穫祭が行われていることは、日本の一般の皆様にとって大きな驚きかもしれません。しかし、これまでのこのレポートでも何度もお伝えしていますように、イランではパンの他に米も重要な主食とされ、イラン人の日常の食卓にも米飯は必ず登場します。また、イランでも日本と同様に米は非常に大切にされており、またイランにはイスラムをはじめとする宗教的な文化が根付いていることから、米をはじめとする農作物の収穫を祝い、神に感謝をささげることは、特に農業の盛んな地域や農業関係者にとって極めて重視されています。これまでの苦労が実り、稲を無事に刈り取ったことで、農業関係者の喜びも一入ではないでしょうか。また来年も無事に稲の刈り取りがなされ、収穫祭が開催されることを願って、今月のレポートを締めくくりたいと思います。

