型抜きなどで幾何学的装飾を加えたハルヴァー。最初の炒め具合によって、色合いに濃淡の違いが出ています。
読者の皆様、新年おめでとうございます。今年はコロナ危機やウクライナ危機がまだ完全収束しない中での年明けとなり、日本でも一時的に入国に当たっての規制が一部復活するなど、先の見通しが立たない状況にあります。特に、先だっては日本がコロナ感染急拡大にともない、中国からの入国・帰国に際して臨時に水際対策を復活させており、これに対し中国側も日本人向け査証の発給を停止するなど、旅行・観光業界を取り巻く事情もめまぐるしく動いています。
また、イランも昨年発生した国内デモが今なお続いており、こちらもまだまだ目が離せません。しかし、そのような中でもできる限り皆様にイランの素晴らしさをお伝えしてまいりたいと思います。
さて、先日あるご近所さんから、手作りのおいしいデザート・お菓子を願掛けとしてご馳走になりました。これまでにもいくつか、家庭で作れるデザートの作り方をご紹介してまいりましたが、今回はそれらに一見似ているものの、少々固さのあるハルヴァーと呼ばれるお菓子です。全体として安定するため、型抜きなどにより表面に美しい幾何学模様などの装飾が施されることが多く、工夫次第で風味はもとより、見た目も非常に美しいものが作れます。そこで、2023年の新春初のレポートとなった今回は、イランの家庭用デザートの1つ・ハルヴァー(Halva)と、これにまつわる話題をお届けしてまいりましょう。
なお、実際にはイランには様々な種類や形状、また様々な材料を使ったハルヴァーが存在しますが、今回は一般家庭でよく願掛け用などに作られている、最も基本的なハルヴァーの作り方をご紹介してまいります。
<用意するもの>
・小麦粉(できればふるいにかけて完全に細かい粒だけを使用する) 2カップ
・砂糖 1/5カップ
・サラダオイル 1カップ
・バラ水 1/3カップ
・バター 25g
・サフランの粉末 少量
・カルダモンの粉末 少量
ここでは、イランで使われている調理用の計量カップ(大)を基準にしていますが、日本でお試しいただく場合は、少々背の高いコップなどを基準に考えていただいてもよろしいかと思われます。小麦粉と砂糖の比率は、上記の写真もご参考にしていただければと思います。
また、もし可能であれば、お好みで表面の装飾用に乾燥したバラの花びらを添えることもできます。
<作り方>
1.鍋にカップ1杯分の水を入れて沸騰させ、全分量の砂糖を入れて混ぜながら熱する。砂糖が完全に溶けて液状になったところへ、適量のサフランの粉末とバラ水を加える。
2.好みによって、カルダモンの粉末を加える場合はこの段階で加える。弱火でゆっくり混ぜながら、バラ水の匂いがなくなったら火を止め、覚ましておく。(味付け用シロップの出来上がり)
3.別の鍋もしくはフライパンを熱し、小麦粉をそのまま(油しで)弱火から中火でゆっくり炒める。
4.小麦粉に少々色がついてきたところで、溶かしたバターと適量のサラダオイルを、炒めた小麦粉の上に少しずつ混ぜながらかけていく。
5.先ほどから炒めてきた小麦粉と油をよく混ぜ合わせながらさらにじっくりいためる。
出来上がりの際の色合いが明るい茶色、もしくはこげ茶色になるかは、このときの炒め具合で決まります。もし、より濃い色合いをお好みであれば、より時間をかけてじっくり炒めてください。
6.小麦粉がお好みの色合いになったところで弱火にし、2.で作っておいたシロップを少しずつ加えながら、さらによく混ぜ合わせる。なお、今回ハルヴァーをご馳走になったご近所さんの話ですと、このときはなるべく急速に混ぜ、また鍋を左右に揺らしながら、中の材料が鍋の片方に集まるようにするとよいそうです。
油で炒めた小麦粉にシロップを混ぜていくと、次第にパン生地のようになってきます。
また、もしこのとき出来上がりの状態が緩い、液状に近いようでしたら再び弱火でゆっくり混ぜながら熱して、ある程度の硬さに固まるようにしてください。
7.出来上がったハルヴァーを、冷めないうちに盛り付ける。
さて、現在のイランでは主に紅茶やパンなどとともに食されることが多いこのハルヴァーについて、その成立背景やこれにまつわる話題をお届けしてまいりましょう。
まず、ハルヴァーという言葉自体は元々アラビア語で「甘い食物」もしくは「甘い肉」と意味し、多くの歴史家の間では、ハルヴァーの前身となる菓子は紀元前3000年ころに出現したとされています。特に主な材料として小麦が使われていることは、小麦が死の穢れに打ち勝つという喪の慣習や思想に関係しているとされ、現在のイラクを流れるチグリス・ユーフラテス川流域および、ゾロアスター教徒の習慣においては、小麦から作られるパンは死者に捧げるものと考えられているということです。さらに、当初ハルヴァーは小麦粉と動物から取れる油で作られていたことから、一説によれば動物と植物の世界を結びつけるもの、ひいては宇宙の統一ともみなされていたそうです。
さて、今回ご紹介したような現在のイランで一般的な家庭用ハルヴァーの原型が成立したのは、今から500年ほど前のサファヴィー王朝時代のアッバース大王の治世だと言われています。
サファヴィー朝の為政者アッバース大王(位1588~1629)
当時、アッバース大王がトップに君臨するサファヴィー王朝の宮廷内では、イスラム宗教問題の調査・研究のために、諸科学に精通したイスラム学者であるとともに哲学者・数学者・天文学者・文人でもあったシェイフ・バハーイーという人物が、政府から任命された宗教学者として力を発揮していました。
シェイフ・バハーイー(1547~1621)
この時、冬の厳寒期に戦争をしていたことから、アッバース大王は自らの顧問役に対し、遠征時の兵糧とするため、兵士らが携帯しやすく、滋養に必須の十分な食材を含んでいて、しかも兵士らが大抵は携帯しているパンとともに摂取でき、しかも必要なエネルギーを確保できるような食物を作るよう命じます。
これを受けて宮廷内の有力者シェイフ・バハーイーは、胡麻に詳しい専門家および、ブドウのエキスの専門家に諮問し、アドバイスを受けます。このことから、シェイフバハーイーは胡麻を石臼で挽いて作った粉が50%、ブドウとナツメヤシのエキスが50%を占める生地のようなものを、当時の伝統的な方法でこしらえ、兵士たちに提供します。これは、殊のほかアッバース軍兵たちの間で好評を博したということです。
それから時代は下り、1933年には当時アゼルバイジャンの町バクー(旧ソ連、現在は同国の首都)においてハルヴァーの製造に携わっていたハージー・モスィーブ・デラフシャーニーという人物が、それまでのブドウやナツメヤシの抽出液に代えて砂糖とグルコースを追加した製法を生み出しました。それにより、現在の砂糖を使用してのハルヴァーの調理法が確立したということです。
特に挽き胡麻を使ったハルヴァーは、しばらくは来客の接待用に出されていたとされています。しかし、砂糖が市場に大量に出回るようになってからは、それまで使っていた干しブドウやブドウのエキスに代わって砂糖が使われ、現在の形でハルヴァーとして広く一般に出回るようになったということです。
さらに、隆盛を誇ったサファヴィー朝の首都イスファハーン(現在のイラン中部の都市)は「世界の半分」とも評され、当時の西アジアの多くを支配下に収めるとともに、東はインドのムガール朝、西はオスマン・トルコとも接していました。このことから、ハルヴァーは当時のこれらの地域に含まれる現在のイランの近隣国や地域の言葉にも流入しています。例えば、古代インド語の1つ・サンスクリット語ではHalava、エジプトではHalawa、ギリシャではHalvas、イスラエルの公用語ヘブライ語ではHalvah、アラビア語ではHahwa、もしくはHalawi、Hilwa、トルコではHelva、インドではHalvaと呼ばれているそうです。
また、歴史上の言い伝えによりますと、オスマン・トルコ帝国の最盛期にその頂点に君臨し、壮麗帝の異名を取った君主スレイマーン1世(1520~1566)は、大の甘党・お菓子好きだったとされています。
スレイマーン1世(1494~1566)
このため、当時のオスマン朝の宮殿にはハルヴァー・ハーネ(ペルシャ語で「菓子の館」の意)と呼ばれる菓子専門の調理場を設け、そこでは30種類以上もの菓子が製造されたということです。それらのうち、胡麻を材料として作られたものがオスマン朝の支配下にあったルーマニアの人々に受け入れられ、東欧に移住したユダヤ人などに伝えられたということです。
その後、17世紀のトルコ・イスタンブールでは、エリートやインテリ階級の人々が「ヘルヴァの晩餐」と称する豪華な晩餐会を開催しており、これらの場では会議や議論、交渉の合間に菓子が振舞われていたと言われています。なお、現在のトルコでもハルヴァーは非常に人気のある菓子とされ、今なお同国の多くの地域では出産や葬儀などの特別な折にハルヴァーが出されているとのことです。
ところで、イランにおきましても宗教的な記念日や、身内を亡くした人などが願掛けとして一般に振舞うことの多いハルヴァーは、ことわざにも使われています。
現在でも使われるペルシャ語のことわざの1つに、「ハルヴァー、ハルヴァーと言っても口は甘くならない」というものがあります。
最初にもご紹介しましたとおり、ハルヴァーの調理には相当量の砂糖が使用され、出来上がりもかなり甘味が強くなります。しかし、いくら甘味の強いハルヴァーの話をしたところで、実際にハルヴァーを食べなければその本当の甘味を味わうことはできません。
このことから、口では何か大きなことをする、壮大な計画や甘い夢、成功哲学などを雄弁に語っておきながら、実際には全く努力せず行動を起こさないような人、または実現しえない事柄をいかにも成し遂げたかのように、または実現可能であるかのように大言壮語する人などについて、このことわざが使われています。日本語で言うと、「口では大阪の城も建つ」「口自慢の仕事下手」「絵に描いた餅」のような意味合いを持つと思われます。
最後にハルヴァーの盛り付け例をいくつか提示しますので、ご参考にしていただければと思います。
長時間炒めて、幾何学模様をつけた例
生け花を添えた例
さらに、必ずしも大皿に盛り付けなくとも、ウエハースの間に挟んだり、ロールケーキのようにするなど、様々なバリエーションができます。
以上、今回はイランの一般家庭で頻繁に作られる菓子ハルヴァーとこれにまつわる話題や歴史的な背景についてお届けしました。
本年も是非、続けて「テヘラン便り」をお楽しみいただければ幸いです。来月以降もどうぞ、お楽しみに。