麺を用いたイランの代表的な料理;アーシュレシュテ(野菜・豆類と麺のごった煮スープ)
麺入りピラフ・レシュテポロウ;肉団子と大粒の干しブドウを添えて
ペルシャ語で「レシュテ・ファランギー」と呼ばれるヨーロッパ風麺を使ったスープ
日本ではまだまだ寒さが続くこの時期、温かい食べ物が各家庭の食卓に登場し、街中の飲食店でも多くのお客様を集めているころではないでしょうか。イランでもこの時期、街中に茹でた熱々のビートを販売する屋台が出るのはもはや風物詩ともいえるものです。さらには大きめの公園などにライトバンでやってきて、出来立てのごった煮スープなどの温かいメニューを販売する「移動スープ屋さん」も冬の寒い時期に大繁盛し、大勢の人々が行列を作っている光景も見られます。
さて、イランという国は日本から遠く離れた未知の国、日本とは風俗習慣、食文化も全く違う国というイメージがあると思われます。特に、麺類といえば日本の蕎麦やそうめん、うどん、中国伝来のラーメン、東南アジア・ベトナムのフォー、イタリアのパスタ、英語でいうヌードルなどがすぐにイメージとして思い浮かび、中東に位置するイランに麺などとはイメージ的に合わない、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、一見イランとは全く関係なさそうなこの食材が、実はイランの食文化に古来から存在し、しかも宗教を初めとした信条面で深い意味を持っています。そこで今回は、イランの食文化に見る小麦粉の麺の歴史や、それにまつわる話題などをお届けしたいと思います。
ペルシャ語では調理用の麺はレシュテと呼ばれています。そもそも、レシュテという言葉は辞書で引くと「糸、ひも」という基本的な意味の他にも「連なり、絆、縁、(大学などの)学科、分野、領域」、さらには「紡いだ」という形容詞としての意味も載っています。ですが、イランでは調理用の麺の総称としてレシュテという言葉が使われており、さらにどのメニューに使用するかによって、厳密には使用する麺の種類や呼称、形状も異なります。ですが、いずれも糸や紐のように細長いことに由来していると考えられます。ちなみにイランでは、いわゆるイタリア起源のスパゲッティはマカロニと呼ばれており、日常の食卓にもよく登場しますが、今回は割愛します。
イランで調理用の麺として一般に出回っているのは、主に以下の3種類が知られています;
1;ごった煮スープ(アーシュ)用麺長さ約20㎝強、太さ2㎜程の小麦粉の麺で、主にアーシュと呼ばれる「野菜と豆のごった煮スープ」に使われています。ビニール袋入りで販売されているものもあり、色は全体的に白またはアイボリーに近く、水分を含みやすい材質です。この麺の入った非常に有名なごった煮スープ「アーシュ・レシュテ」は、家庭料理の定番でもあるほか、宗教的な行事や記念日に街中などで配布されるほか、願掛けをする人などが大量に作って配る代表的なメニューでもあります。
2.麺入りピラフ(ポロウ)用の麺米粉でできた麺で、ペルシャ語では「レシュテ・ポロウイー」と呼ばれています。色はやや褐色で、前出のアーシュ用のレシュテより若干細いと思われ、また調理した際に水分を含み口の中で溶けやすいものの、ドロドロではなくもう少しこしがあると思われます。
3.トマトペースト入りスープ用麺(レシュテ・ファランギー)ペルシャ語では、「ヨーロッパ風の麺」を意味する「レシュテ・ファランギー」と呼ばれています。前出の2種類と比べてやや硬めで、全体的に黄土色に近い色です。ビニール袋入りでぐるぐる巻きになっている場合が多いですが、使いやすい長さに砕かれているものもあります。調理すると水分を吸収し、本来の太さよりもやや太くなります。
では、ここからはイランにおける麺の歴史についてお話しましょう。いずれも複数の説がありますが、その中でも特に有力とされている説をもとに説明していきます。
まず、麺といえば日本や中国、韓国などの東アジア、さらには東南アジアなどのイメージが思い浮かび、中東に位置するイランには麺がそもそも存在せず、後になって外国から伝来したのでは、というイメージを持たれる方も少なくないのではないでしょうか。参考までに、日本に麺が伝来したのは、奈良時代に中国から入って来たとされています。しかしながら、イランにおける麺・レシュテは外国伝来ではなく、イランで製法が考案されていたとする説が有力です。
その根拠として、史料などからイランでは既に紀元前7000年~前6000年の時点で小麦が栽培されていたことが判明しており、必然的に小麦を引いて粉にしたものを捏ねて丸めて生地を作り、パンや麺の製造が相当古くから行われていたと推測されることが挙げられます。
ちなみに、10世紀ごろのものとされる最古のアラビア語の料理本によりますと、イランで初めて小麦粉の麺・レシュテが考案されたのは、現在のイランを含む広い領域を支配していたサーサーン朝のホスロー1世(位AD531~579)の時代だと言われています。
「公正なるホスロー・アヌーシールワーン」として名高いサーサーン朝ペルシャ帝国第22代国王ホスロー1世
狩りに興じるホスロー1世が彫刻された銀皿
さて、歴史的な伝承によれば、狩りを非常に愛好していたとされるホスロー1世はある時、狩りに出かけた際に、召使に対し野生のロバの肉でスープを作るように命じます。ですが、彼は後から思いつきで「小麦粉の生地の欠片」を、このスープに加えてはと提案します。このことが、イランでスープに小麦粉の麺を入れる元祖になったのではないかと言われています。
また、食材としての小麦粉の麺が「レシュテ」という名称で書物や文献に登場するのは11世紀ごろだと言われています。中世の時代にあった当時、イランが世界に誇る医学者・哲学者イブン・スィーナーによるアラビア語の著作には、「イランを初め当時イラン文化圏にあった現在の中央アジア(ウズベキスタン)にレシュテという麺類が存在する」と述べられているということです。また、イブン・スィーナーによれば、当時イラン文化圏にあった現在のウズベキスタンでは麺は「リシュタ」と呼ばれており、さらに当時のアラビア文化圏にも「イットリア」と呼ばれる麺類が存在していたということです。イスラム世界最大の知識人とも評されるイブン・スィーナー(980~1037)
ところで、イランではそもそも料理に麺を入れることにどのような意味があると考えられているのでしょうか。
イランに30年近く滞在した経歴のある、マーガレット・シェイダというイギリス人女性が執筆した「ペルシャの伝説の料理」という著作によりますと、イランでは細長い麺を馬を制御する手綱、ひいては人生を左右する手綱に例え、そうした麺の入った料理を大きな決断や一念発起をする時、または一大変化の時などに作っていたということです。
また、このイギリス人女性はもう1つの考え方として、麺・レシュテは細長く互いに絡み合いやすいことから、人生のしがらみや人々とのかかわり、社会との結びつきに例えられ、そこからさらに発展して神との結びつきの意味合いが生じた、としています。
このことから、麺という食材、さらには特に麺入りの料理が自らの決意や心に決めた約束などを周りの人々や近隣社会、さらには神に意思表示し、誓約し誓いを立てる意味を持つようになったということです。
さて、イランでは麺を使った代表的な料理として、今回のレポートの冒頭や以前のレポートでもテーマに取り上げた、野菜と豆類のごった煮スープ「アーシュレシュテ」があります。イランの代表的な麺入り料理・アーシュレシュテ。独自の乳製品クルトや炒めた玉ねぎ、ミントなどを添えて。レシュテにより全体的にどろりとした風味に。
特にこの料理は現在のイランにおいて、ラマダンなどの宗教行事や、イスラムの偉人の生誕日、殉教日といった宗教上の記念日などに、街中などでも大量に作られ一般に配布されるほか、願掛けをする人が自発的に作ってご近所さんなどに配る様子が頻繁に見られます。宗教行事の際などに一般配布用に大量に作られるアーシュレシュテ
特に麺入りスープ「アーシュレシュテ」が、宗教的行事や願掛けのための配布用に作られるのは、一度に大量に作りやすいことの他、複数の野菜類や豆類に麺類などを含み栄養価も高いこと、さらには麺には人生を左右する手綱、人生のしがらみや人々、社会、神との関わり合いといった意味が込められていることだとされています。こうした諸々の理由が重なって、麺入り料理の中でもアーシュレシュテが宗教的な意味合いを持つ料理と考えられるようになり、特に自らの決意や意思表示を神への誓約と見なし、さらには願い事の実現に神の助けを求めることを示すシンボルとされるようになったということです。
実際に、現在のイランでは家族などの大切な人が長旅に出るときの道中の安全や、病気の治癒回復を願う人、そしてこれから兵役に就く息子を持つ女性が、息子が兵役を終えて無事に終わって返ってくるようにとの願いを込めてアーシュレシュテなど(それ以外のメニューの場合もあり)を作り近隣などに配布する様子が見られます。
近隣を訪ね願掛け用の食事を配る女性
日本では古くから麺の文化に馴染みがあり、麺に関する考え方として、年越しそばにおける「細く長く生きる」といったものがよく引き合いに出されるかと思われます。一方で、一見すると食材としての麺に縁もゆかりもなさそうなと思われがちな西アジア・イランにも麺を使った料理があり、しかもそこに独自の概念や思想が込められていることは、一日本人としての筆者にとって驚きとともに、新しい発見でした。特に、麺の持つ特徴や性質が神や宗教に結び付けられているのは、日本とはまた異なる新鮮な見方を示すものではないかと思われます。
今後もまた、日本にはないと思われるイラン独自の食文化やそれにまつわる話題などを随時お届けしてまいります。どうぞ、お楽しみに。