料理

代表的なイラン料理・チェロキャバーブにまつわる話題

サフランで黄色く染めた米飯とお焦げ、焼きトマト、ハーブ、レモンを添えて

焼きたてのパンに包んで食べることも

最近にわかに中東情勢が緊迫化しており、これにまつわるニュースが日々世界のメディアを賑わせています。そして、イランも中東諸国の1つであり、さらに何かと昨今の中東での紛争やその関係勢力に色々な意味でつながりがあるとされることから、イランもしばしばニュースに取り上げられています。もしかすると、イランでも日本のメディアに出てくるようなきな臭い事態が繰り広げられているのでは、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、そうした外側から見た事情とは異なり、イランは治安が比較的安定しており、交通も非常に発達しています。またコロナ禍が終息したこともあって、街中には再び大勢の人々の往来が戻り、巷の外食産業も再び活況を取り戻してきています。街中のレストランでのチェロキャバーブの例。主食にパンもしくは、サフランで染めた米飯に炭火で炙ったトマト、玉ねぎ、ウルシ科の調味料ス―マック、コカ・コーラなどの清涼飲料水が添えられることが多くなっています。

このレポートでもこれまでにたびたび、イラン料理に関する話題や、手近にある材料で比較的簡単に作れそうな「イランの家庭料理」について取り上げてまいりました。今回は、最近にわかに騒がれている中東という地域の食文化の1つでもあり、またイランの国民食ともいえる存在で、日本でも「シシケバブ」などとして知られている、イラン式焼肉と米飯「チェロキャバーブ」にまつわる話題を取り上げてまいりたいと思います。

新鮮な肉やトマトなどを金属製の串に刺し直火で炙る様子

まず、チェロキャバーブという名称ですが、チェロとはペルシャ語で米飯、ライスを指しています。そしてキャバーブとは、イランをはじめとする中東地域で食される、肉や魚、野菜をローストした料理の総称であり、日本では一般的にトルコのケバブ、特にシシケバブやドネルケバブなどが知られているかと思います。ちなみに、ペルシャ語では كباب‎ (kabāb, キャバーブ)と表記されます。

また、キャバーブにもいくつかの種類があり、外部のレストランなどでも非常にバラエティーに富んだメニューが提供されています。その主なものを以下にご紹介しましょう。

1.クービーデ式キャバーブ

クービーデとは、ペルシャ語で「叩き潰した」を意味し、数あるキャバーブの中でも最もポピュラーなものとされています。肉が完全に潰され柔らかくなっていて、とても食べやすくなっています。

2.バルグ式キャバーブ

バルグとは、ペルシャ語で「葉(のように薄いもの)」を意味しており、実際その名の通り前出のクービーデよりも平べったい形状となっています。主な材料は、ヒレ肉とラムです。

3.ジュージェ・キャバーブ

ジュージェとは若鳥、ひな鳥を指しており、これも、イランでは数あるキャバーブの中で最もよく食されるメニューの1つです。柔らかい若鳥の肉を一口大の大きさに切ったものにレモン汁、玉ねぎの薄切り、サフランなどをよく混ぜ合わせたものを、じっくり炭火で焼いた味は格別です。

4.チェンジェ式キャバーブ

純粋なイラン発祥のキャバーブで、後にトルコ・アナトリア方面や中東地域全体に広がり、現在では世界各地に広まっています。

原材料は主にラム(フィレおよび臀部)、オリーブ油、レモン汁、塩、コショウなどで、コロコロした形が特徴です。

また地域によって発音に少しずつ違いがあり、本来はケンジェまたはゲンジェと呼ばれ、チェンジェというのはアゼルバイジャン・トルコ語での呼び名です。クルド語やイラン南部ではケンジェと呼ばれます。

5.シシリク式キャバーブ

イラン北東部マシュハドにあるシャンディズが発祥源とされており、骨付きのあばら骨が使われています。日本ではシャシリクとして知られており、既にご存じの方も多いかと思われます。

また、バルグ式とクービーデ式の両方を組み合わせたものはソルターニー(王宮)式と呼ばれているそうです。

さらに、ラムとジュージェを組み合わせたキャバーブは、ネギンダール(宝石つき)と呼ばれています。

さて、ここでイランにおけるチェロキャバーブの歴史について、少々触れてみたいと思います。

今から500年ほど前のサファヴィー朝時代にイランを訪れたヨーロッパの旅行家や歴史家の残した著作や記録には、イランで調理されていたいわゆるイラン式の米飯、ピクルス、ジャムについて多くのことが語られているようですが、チェロキャバーブについてはほとんど述べられていないということです。このことからおそらく、その歴史はかなり高い確率で、今から150年ほど前のガージャール朝時代(1796―1925)の歴史家ミールザー・モハンマドレザー・モウタメドルケターブが著した史料に基づくものだろうとされています。

ガージャール朝時代のキャバーブ作りの様子

キャバーブはもともと、コーカサス地域(旧ソ連から独立した現在のアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアを含む地域)を由来とし、当時は同地域の方式・形状で調理されていました。前出の歴史家によれば、それはガージャール朝国王ナーセロッディーン・シャーの個人的な命令により、この為政者の専属の調理人らによって、しばらく後に形式が変わり、現在の形になった、言われています。つまり、現在の形式のチェロキャバーブというメニューの考案そして命名も、ナーセロッディーン・シャーによるものとされています。

ちなみに、ナーセロッディーンシャーがある日突然、テヘラン市近郊の町レイにある聖地に巡礼にいきたいと言い出した場合、宮中の召使などは王の命令によりその1日前に現地に赴いて、1000本から2000本のキャバーブを用意しておく必要があったということです。当日、1000人もの取り巻きや身内の者などとともに、レイの町にやって来たナーセロッディ―ンシャーに対しては、必ず生で食べるハーブ野菜や玉ねぎとともにチェロキャバーブが出されたと言われています。

さらに、チェロキャバーブはイランの政治の舞台にも登場しています。1906年から1911年の立憲革命時代にあったイラン北西部の町タブリーズで、立憲革命推進派の人物が演説をしていたところ、キャバーブ屋を運営するある人物が、立憲的とはどういうことかと尋ねます。

すると、演説していた人物は質問者に対し、「それは安価なキャバーブのことだ」と答え、続けて、手で細長いキャバーブの長さを示して見せ、「キャバーブの長さは自分のこの腕の長さぐらいだ」と述べたということです。

また、キャバーブにまつわる話として次のようなものもあります。1945年、日本とロシアが交戦状態に陥った時にロシアから輸入される砂糖の価格が高騰した際、当時のテヘランの為政者だったアフマドハーン・アラーオッドウレが、イランへの砂糖の輸入を担当していた2人の大商人、イスマーイール・ハーンおよび、ハーシェム・ガンディを処罰しようと、むち打ち刑を命じました。それは、この2人が当時のイランでの砂糖の価格を釣り上げていたことによります。

しかし、500回のむち打ち刑を命じたものの、既定の回数に達する前に正午の昼食の時間となります。すると、刑の実施を命じた為政者アラーオッドウレは、「昼食の時間が来たのでむち打ちを一旦停止せよ。チェロキャバーブの用意ができている。刑を受ける時は鞭で打たれ、昼食時にはチェロキャバーブを食べよ。食事が済んでから残りのむち打ちを受けるがよい」として、昼食後に刑の実施を再開させたということです。

ちなみに、テヘランに初めてチェロキャバーブを出す飲食店が出現したのは、今から120年ほど前のこととされています。もっとも、当初はこうした店で女性がほかの男性に交じって飲食することは許されておらず、一家の男性が持ち帰り用に購入したものを自宅で食べることだけが許可されていたということです。または、場合によっては、チェロキャバーブ店に頼んで自宅に届けてもらう方法もあったものの、店内で食べるような好ましい状況で自宅にいる女性たちの元に届くことはなかった、とされています。今から120年ほど前のテヘランのレストランのウェイター

しかし、現在では以下の写真のように誰もが気軽に入って、できたてのメニューをおいしく食べることができます。お店によっては、店内の装飾やウェイターの服装にも非常に工夫が凝らされています。そして勿論、出前や配達を行っている店舗も多くなっています。現在のチェロキャバーブ店のウェイター

テヘラン市内のチェロキャバーブ・レストランの例

では以下に、本格的なイラン式チェロキャバーブ・クービーデの作り方を順にご説明してまいりましょう。

用意するものはひき肉、玉ねぎ、それぞれ適量の塩、コショウ、ターメリック、シナモン少々、そしてサフランの粉末を湯に溶かしたものです。

1.まず、ひき肉を精肉機にかけてもう1度引きます。これで、肉の粒がさらに細かくなります。叩き潰されたように肉の粒が細かくなり、クービーデとなります。

2.玉ねぎの皮をむく。安全にすりおろすため、玉ねぎのへた(根)の部分は切り取らずに持ち手として残しておく。玉ねぎの根の手前まですりおろす。

3.すりおろした玉ねぎの水分を切り、1.のひき肉に加える

4.3.に塩を加える

5.4.に適量のコショウとターメリック、少量のシナモンを加える

6.5.にサフランの粉末を湯で溶いたもの、もしくはサフランを煎じたものを加える

7.6.でできたタネをよく混ぜ合わせる。この時に好みでミントの粉末を加えてもOK。混ぜ合わせた肉を適量手に取り、金属製の串にくるむように付ける。肉を握る前に、手に肉が付着しないように手をぬるま湯で濡らしておく

8.串の周りに肉を包み付けたものを、炭火などでじっくり炙る

イラン人の食生活や食文化の一翼を担う存在であり、代表的なイラン食として、外国人旅行者の間でも非常に人気のあるキャバーブは、ペルシャ語のことわざや慣用句にも使われています。それでは最後に、キャバーブを使った慣用表現をご紹介し、今月のレポートを締めくくることにいたしましょう。

・Ashk-e kabaab maaye-ye toghyaan-e aatesh ast「キャバーブの涙(キャバーブを焼くときに滴り落ちる油)は炎を益々溢れさせる」:「抑圧された者の懇願や嘆き、妥協により圧政者は益々傲慢になる」(詩人サーエベ・タブリーズィの作品より)

・Na siikh be-suuzad na kabaab「金串もキャバーブも焦げないように」;中庸・穏健であることを奨励し、過激や極端な言動を戒める言葉(ガージャール朝の国王ファトフ・アリーシャ―の息子が、召使にキャバーブを作らせる際に命じた文言から)

この他にも、「キャバーブになる」「私の肝臓がキャバーブになった」という表現があり、これらは非常に心が痛く苦しくてたまらないことを意味しています。

最近では、付け合わせもバラエティーに富んでいます。

以上、イランの代表的な国民食「チェロキャバーブ」と、それにまつわる話題をお届けしてまいりましたが、いかがでしたでしょうか。

最近では、日本国内にもイラン食レストランが数多く出現してきており、イランまで出かけずとも本場のチェロキャバーブを食べられるチャンスが出てきているようです。機会がありましたら是非、日本の皆様にもこの代表的なイラン食の風味を味わっていただければと思います。

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

ABOUT ME
yamaguchi
IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。