料理

温かいイラン式ごった煮スープ「アーシュ・レシュテ」をどうぞ

イラン式ごった煮スープの盛り付け例

パンやハーブ野菜などの付けあわせを添えて

今年も早や11月下旬となりました。振り返ってみますと、新型コロナウイルスの感染拡大やそれにまつわる出来事で幕を開け、イランでの大統領選と新政権の発足、そして史上初の緊急事態宣言下でのオリンピック・パラリンピック開催、そして日本でも新政権発足、東日本大震災以来の都心部での強い地震などなど、あわただしく時が過ぎ去った感がいたします。

筆者が在住しておりますガズヴィーンでは、早くも今月中旬に初雪が降りました。全体的に大陸性気候のイランでは、特に内陸部や北西部などを中心に冬はかなり寒さが厳しくなり、現在本格的な寒さが感じられるようになり、温かい食べ物が欲しくなるシーズンが到来しています。そこで今月は、ラマダン月などの宗教的な行事の際にも振舞われる、代表的なイラン式ごった煮スープの作り方と、これにまつわる話題を皆様にお届けしてまいりましょう。

今回ご紹介しますのは、複数の豆類と野菜類、小麦粉の麺を長時間煮込み、炒めた玉ねぎとミントなどをかけたごった煮スープ、「アーシュ・レシュテ」です。アーシュとはペルシャ語で野菜や豆類などを煮込んだごった煮スープ全般をさし、レシュテは、うどんに似た専用の小麦粉の麺を意味しています。まお、イランで知られているこうしたごった煮スープにはいくつかの種類がありますが、今回はラマダン月などをはじめとする宗教的な行事で大量に作られ、一般に振舞われる定番メニューでもある、最も代表的なアーシュをご紹介したいと思います。

宗教行事の際などに大量に作られるアーシュ・レシュテ

 

<用意する材料>

ヒヨコマメ  40g

白インゲン豆、赤インゲン豆  各40g

レンズ豆    50g

玉ねぎ(中)  3個

サラダ油    適量

ターメリック  食事用大スプーン1杯

パセリ、ほうれん草、ニラ、コリアンダー、せり科の野菜ディル(イノンド)  合計100g

ミントの粉末  食事用大スプーン2杯

小麦粉の麺(日本で作る場合はうどんで代用してもよいと思います) 70g

ニンニク   2片

塩、胡椒   適量

ヨーグルト(イランでは、キャシュクと呼ばれるこの料理専用の液状の乳製品を使用しますが、日本ではヨーグルトで代用します)

<作り方の手順>

1.前の日の晩から、ヒヨコマメと赤インゲン、白インゲン豆を洗って水につけておき、ふやさせて柔らかくしておく。レンズ豆も別途に水につけておき、ふやけさせる

2.玉ねぎを半月切りにし、サラダオイルで全体的にキツネ色になるまで炒める

3.前日から水につけておいたヒヨコマメと赤インゲン豆、白インゲン前をカップ5杯の水とともに大きめの鍋に入れ、沸騰させる。灰汁が出てきたら穴杓子で掬い取り、弱火にして鍋のふたを半開きの状態にし、ある程度柔らかくなるまで煮込む。時間がかかる場合には圧力鍋を使っても可。

4.野菜類を洗い、茎の太い部分など固い箇所を除去し、あらみじん切りにする

5.フライパンに大さじ4杯のサラダオイルを熱し、食事用大スプーン1杯分のターメリックを加える。少々後にミントの粉末を加えて焦げないよう弱火で10秒ほど熱して火をとめ、すぐ別の容器に移し替える

6.煮えた赤インゲン豆と白インゲン豆、ヒヨコマメの入った鍋に4.で刻んだ野菜と、前日から水につけておいたレンズマメ、半分に折った小麦粉の麺を加えて中火で1時間ほど煮る。この間に様子を見ながら、適量の汁が残るよう適宜水を追加する。

7.2.で炒めた玉ねぎと5.で熱したターメリック入りミントをそれぞれ半分ずつ、6.に加え、全体に馴染むまでさらに煮込む。なお、この際に全体的にもっととろみをつけたい場合、好みで食事用大スプーン2杯分の小麦粉をカップ半分の水で溶いたものを加えてもOK。(常にかき混ぜながら、汁の量やとろみを加減してください)

8.適量の塩と胡椒、ターメッリクを加えてさらにかき混ぜ、適切なとろみがついたところで火を止める(盛り付けてから汁が麺に吸い込まれて少々硬くなるので、若干汁が多いくらいで火からあげるのが丁度よいかもしれません)。

9.ニンニクをみじん切りにし、少々の油でさっと炒める。8・でできた煮込みスープを大きめのどんぶりなどに盛り付け、炒めたニンニク、残り半分の炒めた玉ねぎ、ミント、ヨーグルトを装飾用に表面にかける(この時にかけ方を工夫すると、見た目にとてもきれいなものが出来上がります。以下に様々な盛り付け例をご覧ください)。

さて、今回もまたこのアーシュをめぐる歴史的背景について、少々ご説明したいと思います。

時は19世紀の後半、イランがまだペルシャと呼ばれていた時代のこと、当時のイランは、過去に拙レポートにてご紹介したガージャール朝の第4代国王ナーセロッディーンシャーの治世にありました。

ナーセロッディーンシャー(在位1848~1896)

この為政者は、半世紀近くにわたる在位中に料理に関する様々なエピソードを残しており、またそれに由来する様々なことわざや慣用表現も生まれています。

さて、このナーセロッディーンシャーは年に1回、願掛け用に大量のアーシュを調理するというイベントを開催していました。このときには宮廷内に仕える官吏たち自身が調理に当たり、より王に近づきになろうと各人がそれぞれの役割を担ったとされています。なお、王自身はテラスの上の方に座って水ギセルを吸いながら、調理の様子を監督していました。

ナーセロッディーンシャーが開催した「アーシュ作り」のイベントの様子

 

調理が終わった際には、宮廷の料理長が各宮廷人らの家の戸口に器入りのアーシュを送るよう命じ、また彼らの家からはその食べた後の器に金貨を入れて宮廷に送り返さなければなりませんでした。この際に、本来お目当てのはずのアーシュよりも、誰がどの位器に金貨を入れたかが話題となり、またこれをめぐる議論が白熱したことから、物事の当事者以上に関心を示す人、あるいはその様子を表す表現として、「アーシュより熱い器」という表現が生まれたということです。

さらに、宮廷から器に入ったアーシュの入れ物を送ってよこす際には、中には大盛りの、より多くの量のアーシュを希望する家もありました。しかし、1つの器に決まった量しか入れられないことから、そうした場合は量を増やすために油を追加していたということです。

当然ながら、小さな器でアーシュを配られた人は油分が少ない分(健康上も)得をし、また大きな器でアーシュが回ってきた人は、あまりに油分が多く食べられないことになります。このため、料理長は年間を通して、宮廷の役人や大臣らと何かで諍いや対立、揉め事になった場合、彼らに対し「それなら結構、世の中が誰の手に握られているかを思い知らせてやる。あなたのために、親指から小指までの、手のひらを広げた位の油ののったアーシュを作ってやる」と通告していました。

手のひらを広げた位の厚さの油といえば、1回に食べる分としては食べきれないくらい相当の量になり、料理としては食べられず、たまったものではないでしょう。このことから「誰かをひどい目に合わせる」、「陰謀をたくらむ」ことを意味する「誰かのために手のひらを広げた分くらいの油をかけたアーシュを作る」という慣用句が生まれたとされています。

なお、こうした願掛け用に作られ、一般の人々に配布される料理はナズリーとも呼ばれ、現在のイランでも宗教的な記念日などに習慣としてよく行われています。

因みに、ペルシャ語では「料理」、「調理」を意味する言葉はアーシュ・パズィーと呼ばれますが、これはここで言うアーシュ+パズィー(ペルシャ語で料理することを意味する動詞の語根)から来ています。

以上、イラン人の日常の食卓に登場するほか、宗教的な行事などの際の願掛け、一般配布用に作られる定番料理「アーシュ・レシュテ」、そしてそれにまつわる慣用表現と由来・背景などをご紹介してまいりましたが、いかがでしたでしょうか。

次回もどうぞ、お楽しみに。