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イスラム教国のイランでは、アルメニア系の人々を除き、クリスマスを大々的に祝う風景はあまり見られませんが、その代わりに冬至を迎えるに当たっての独特の風習があります。今回は、イランでもうすぐ迎えることになる、この冬至の風習についてお話することにいたしましょう。
古式ゆかしいヤルダー・冬至の儀式とその由来
イラン人の歴史には、慣行儀礼が数多く存在し、それらは宗教とつながりがあることから、英知と人間性を基盤にした概念にあふれています。1年で最も夜が長い冬至の日の儀式「ヤルダー」も、イラン人の精神的、伝統的な遺産の1つといえます。ヤルダーとは、誕生、生まれることを意味し、1年で最も長い夜を指します。その夜が明けた次の日からは、だんだん太陽が出ている時間が長くなり、夜が短くなっていきます。このため、古代のイラン人は、秋が終わり、冬が始まる日を太陽が生まれた日と呼び、これにちなんで大きな儀式を行っていました。
古代のイラン人は、数々の儀式を光や明るさで装飾してきました。彼らは、太陽を情愛や善良さのシンボルとしてとらえ、儀式の際には太陽に敬意を表すとともに、秋の最後の日には、夜明かしをして、自分の目で美しい色に染まった日の出を見届けていたのです。実際、古代のイランでは、ヤルダーと呼ばれる冬至の儀式と、サデと呼ばれる儀式の2つの儀式により、冬の到来を迎えており、ヤルダーの習慣は今なお残っています。イランの人々は、イラン暦10月・デイ月の1日から、中世イランの火祭り・サデの祝祭に当たるイラン暦11月・バフマン月の10日までの40日間を、大のチェッレー即ち大の40日間とし、バフマン月10日から、イラン暦12月・エスファンド月の20日までの40日間を、小のチェッレー、即ち小の40日間と呼んでいました。それは、大の40日間に比べて、小の40日間の間に寒さが急速に薄らいでいくことによります。
冬の始まりの日に当たり、1年で最も長い夜とされるヤルダーの夜、またはチェッレーの夜は、イラン人の風俗習慣や文化において特別な位置づけにあります。ヤルダーの夜の祭りは、イランにおける古式ゆかしい一大行事といえます。このいにしえの儀式が今なお続いていることも、現代イラン人がその先祖の文化や慣習と、切っても切れない関係にあることを意味しています。
今から7000年前に、イラン人の学者は太陽を利用した日数計算の方法を編み出し、冬の始まりの日が、1年で最も夜が長いとされる冬至の日でもあることを突き止めていました。自然の中で暮らしていた人々は、月や太陽、星の観察そして、四季の変化や、昼と夜の長さに変化が起こるという経験にり、自分たちの日々の活動をこの自然現象に合わせて調整し、またこの自然現象を最大限に活用していたのです。このため、イランの人々は、生活観を与えてくれるこの自然現象をたたえ、これを神の存在の具現と考えていました。こうした自然現象のうち、地球上の全ての生物に光を降り注ぐことにより、息吹を吹き込んでくれる太陽が、最も称えられるべき存在とされていたのです。このため、人々は太陽という、最大の光の源について深く考え、その深奥に迫り、そして生命を与えるその光の影響力について知ることで、精神的な光の最大の源、即ち神を理解していたのです。彼らは、このとき神の精神性あふれる情愛を賛美し、平和や友好、情愛、忠実、そして穏健を意味する神のこうした特性を、自らの内面に育むことに努めたのでした。
イランの古代文化において、生きることへの希望を見出し、喜びを感じることは特別な要素として位置づけられていました。イランの人々の喜び溢れる魂は常に、ある特別なひと時を、喜びを感じ家族とともに過ごすことを求めていたのです。波乱万丈の歴史の荒波をもってしても、イラン人のこうした精神が変化することはなく、また彼らから喜びを感じはつらつと生きていくという精神を奪うことはできませんでした。歴史的な資料によりますと、モンゴル軍の襲撃により多数のイラン人が命を奪われましたが、それでもイラン人のこの伝統儀式が廃れることはなかったのです。
イラン人から見た冬至の位置づけとその重要性
イランの大学教授で研究者でもあるモハンマド・エブラーヒーム・アンサーリー・ラーリー博士は、ヤルダー、即ち冬至の夜の位置づけとその重要性について、次のように述べています。「冬至の夜は、1年のうちで最も長く、暗い夜である。このことは、悲嘆や絶望につながる要素となりうるものであったことから、イラン人は敢えてこの日の夜を楽しく過ごすことで、このひと時を繊細で美しいものを愛でる精神により、そうしたマイナスの要素を征服し、ヤルダーの夜を1年中で最も美しい夜へと変えたのである。冬至の夜には、暗黒の暗闇や悪事、穢れ、不正いった要素が、誠実さ、貞節、憐れみ、清らかさといったものに立場を譲り、こうした善良な要素がイラン人の精神において際立ち、優勢になっている」
家庭的なイベントとしてのヤルダーの儀式
これまで長年にわたり、ヤルダーの夜の儀式はイランの各家庭で行われてきています。冬至の夜の家庭的な儀式における、情愛に満ちた深いきずなは、コーランの加護のもと、イランの大詩人ハーフェズの詩集の朗誦により、スイカや乾燥ナッツ類とともに、1年中で最も長い夜を喜びに溢れ、永遠の思い出に残るものにしているのです。普通、各家庭では冬至の日の夜を年長者の傍らに寄り添い、和気藹々と楽しく過ごすことに努めます。この慣行儀礼においては、どのような宗教信仰を持つイラン人であれ、その多くがソフレと呼ばれる食事用の敷物を広げ、この日のための特別な食べ物を並べます。この冬至の夜専用の食べ物は、イランの多くの地域ではシャブ・チャレと呼ばれ、普通は7種類の果物や乾燥ナッツ類であることが多くなっています。冬至の日の夜に食べるものとしては、小麦の粒、米粒でできたスナック、麻の実、ヒヨコマメのほか、スイカの種、かぼちゃの種、また時には向日葵の種、アーモンド、ピスタチオ、ハシバミ、そして胡桃といったナッツ類に添えて、ドライフルーツやホソバグミ、干しブドウ、乾燥させたイチジクや桑の実、スライスした杏などのドライフルーツが登場します。また、これに加えて伝統的或いは、現代的な各種のお菓子も作られます。
冬至の夜の数日前からは、ドライフルーツや乾燥ナッツ類を販売する商店や市場などで、ヤルダーの儀式を楽しみにしながら、この日のための買い物をする人々の姿が見られます。普通、こうした買い物の風景は、ヤルダーの儀式の間際まで続き、当日ぎりぎりになっても、勤め帰りにヤルダーの儀式のための果物などを買い求め、家路を急ぐ人々の姿が見られます。また、冬至の夜に食べる果物としては、スイカ、ざくろ、ブドウなどが挙げられ、これらに添えてりんごやマクワウリ、きゅうりといった他の夏の果物が使われます。冬至の夜のためのこれらの果物の中で、特に重要なものはスイカです。多くの人々の間では、冬至の夜にスイカを食べると、冬中風邪などの病気にかからずに元気に過ごせる、と考えられています。
ヤルダーの夜には、特別なご馳走を作ることはなく、その日の夕食は各家庭の経済状況や、その時に持ち合わせている食材によります。この日、一部の家庭では夕食を食べた後、夜明かしのために年長の親戚の家に行くこともあります。ここ数百年間においては、イランの大詩人ハーフェズの詩集を使った占いに興じたり、祖父母の思い出話や昔話に聞き入ることも、ヤルダの夜にイラン人の家族の心を和ませる要素となっています。また、冬至のシンボルでもあるスイカに巧みに切り込みやデザインを加える、スイカのデコレーションも行われます。
ヤルダーの儀式にちなむもう1つの習慣
多くのイラン人の家庭に広まっている、ヤルダーの夜のもう1つの習慣として、結婚してまもない夫婦に特別な贈り物をする、シャブ・チェッレイーと呼ばれる風習があります。普通、婚約の儀式を済ませたばかりで、まだ正式に同居生活を始めていない若い夫婦がいる家庭では、花婿の母親が特別の趣向により飾りつけをした、ヤルダーの夜独自の食べ物一式に添えて、新しい衣服或いは布地や金といった贈り物を用意し、花嫁に贈ります。この儀式は反対に、花嫁の母親の側からも行われますが、これを行う時期は地方によって異なります。冬至の夜の翌日に行われるところもありますが、多くの地域では新婚夫婦が新生活をスタートさせてから初めてめぐって来る冬至の夜に行われています。
世界にアピールされるべきヤルダーの儀式
ヤルダーの儀式は、国際的な平和、そして友好と情愛の儀式であり、イラン及び一部の国にて、全ての宗教に属するあらゆる民族の各家庭で一斉に、かつ内輪の儀式として行われます。ヤルダーの儀式は、人々が夜明けと光明に輝く情愛の温かさを待ち望み、自然から取り込んだ、暮らしに活力を与えるこの温かさをお互いにプレゼントし合う儀式なのです。ヤルダーの夜の儀式は長い歴史を持ち、人々の間に伝播し、オリジナリティーを有するものです。このことから、世界の諸国民にこれをアピールし、この儀式に秘められた世界的な価値観を維持し、次の世代に伝えるために、人類共通の遺産としてのこの古来の儀式への理解を深め、維持していく必要性が出てきているのです。