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イラン南東部の「焼失した都市」・シャフレスーフテ、世界遺産に登録

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イランの都市遺跡「焼失した都市」・シャフレスーフテが世界遺産に登録

数千年の豊かな文明を誇るイランは、人類の文化の向上に非常に大きな役割を果たしてきました。イラン各地の至るところに、貴重な歴史的遺産が存在しており、それらが保護され文化財として登録されることは、世界遺産を保護する上で大きな助けとなります。イランが、有形・無形の文化遺産を世界遺産に登録しようとしているのは、まさにこうした目的によるものです。このほど、イランから17件目の文化財として、イラン南東部にある遺跡・シャフレスーフテ、即ち「焼失した都市」が、ユネスコの世界遺産に登録されました。この遺跡とその知性に溢れた文明が5000年以上前に成立したことは、イラン高原の東半分に世界最大の都市文明が存在したことを物語っています。また、この遺跡はほかに例を見ないものであり、イランにおける遠い昔の文化や技術、産業、そして学術の繁栄を明確に示しています。去る6月22日にカタール・ドーハで開かれた、第38回ユネスコ世界遺産委員会では、イラン南東部スィースターン・バルーチェスターン州のシャフレスーフテ・「焼失した都市」の遺跡が、同国の17件目の世界遺産に登録されました。

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「焼失した都市」・シャフレスーフテの概要

古代の都市遺跡「焼失した都市」は、ペルシャ語でシャフレ・スーフテと呼ばれ、イラン南東部スィースターン・バルーチェスターン州の町ザーボルの南56キロの地点にあります。この古代都市は、ハームーン湖に注ぐヒールマンド川の河口に建設されていました。この都市が建設された時期は、イラン南東部ケルマーン州の町ジーロフトで青銅器時代が栄えたころと同時期であり、イランの人々はおよそ6000年前にこの町に住んでいたとされています。

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「焼失した都市」の文明は、古代の驚異の1つであり、この都市は青銅器時代における最も重要な中心地であるとともに、事実上地域の首都でもありました。この古代都市の総面積は、およそ152ヘクタールであり、ハームーン湖とヒールマンド川の間に建設されています。複数の丘にあるこの古代都市は、4つの地区に分かれており、これらは20ヘクタールに及ぶ中枢部、16ヘクタールに及び東に位置する居住区、そして北東部に位置する産業地区、さらに20ヘクタールから25ヘクタールに及び、墓地を含む南西部の地区となっています。

「焼失した都市」は、2回にわたり火災により焼失しています。そのうちの1回目は、発展段階の初期であり、2回目はこの古代都市が滅亡したときです。この都市は先史時代、即ち紀元前3200年ごろにその基盤が造られ、紀元前1800年ごろに人々がここから完全に退去し、廃墟となりました。このことから、この古代都市にはおよそ1400年間に渡って人々が生活していたことになります。ここで都市文明が最盛期を迎えたのは、紀元前2500年ごろから2200年ごろであり、この都市の総人口はおよそ5万5000人ほどと推定されています。この都市の住民の殆どは、農民と職人だったとされています。この都市の中で最も重要な建築物は、階段状の家と呼ばれる家屋と、焼失した宮殿です。これらの建築物のそれぞれの部屋は、長方形に造られており、5つまたは6つの部屋を有し、その床面積はおよそ150平方メートルから160平方メートルに及び、4棟から6棟の家屋の集合体となっていたということです。この遺跡に使用されている主な建築資材は、形の揃った土レンガです。また、屋根は普通平らで、藁が使用されており、中央部にある釜により室内が温められていたとされています。

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シャフレスーフテの特徴と出土品

「焼失した都市」・シャフレスーフテが、イランと中東地域最大の古代都市の1つとなったのは、単に面積の大きさだけが理由ではありません。この遺跡での発掘品の種類が多岐に渡ることから、考古学者は驚きを占めしており、この古代都市が当時進歩を遂げた都市の1つであったことに疑いの余地はありません。しかし、この都市の先進性は、この遺跡に見られる建築物の廃墟や出土した陶器のみではなく、その社会組織にも見て取ることが出来ます。この遺跡の発掘の初期段階では、整然とした家並みや路地、陶製の水道や下水の配管が発見されており、この都市に組織だった都市計画が存在していたことをうかがわせます。

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さらに、この古代都市は医療水準も驚くほど高く、この都市の医師は接骨学などの知識を有していたのみならず、脳の外科手術までも行っていたとされています。この遺跡にある墓からは、ある少女の骨が発見されており、その頭蓋骨の骨折部分とそれに施された措置の跡が明確に残っています。このことから、古代都市シャフレ・スーフテでは今からおよそ4800年前に初めて脳の外科手術が行われていたことになります。さらに、この遺跡の墓に埋められていた古代人の頭蓋骨からは義眼が発見されており、これはこの都市の医者が眼科の手術にも長けていたことを示しています。

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「焼失した都市」・シャフレスーフテではまた、紡績業や靴の製造、旋盤、寄木細工、大理石の加工、陶磁器の製造、印鑑の製造、藁の織物作り、金属加工も普及していました。この古代都市は、多くの産業・芸術活動の中心地で、この遺跡からは非常に斬新で興味深い装飾品が出土しています。考古学者は、この遺跡のある墓から、ラピスラズリや金で出来た首飾りや印章が発見されたことにより、金箔の製造方法について研究しました。その結果、この都市の職人が非常に基本的な手段により、1ミリメートルにも満たない非常に薄い金箔を製造し、それらで丈夫な管を作って、それらを双方から繋ぎ合わせ、その間にラピスラズリのビーズを入れていたことが明らかになっています。

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考古学者は、この「焼失した都市」での発掘作業で、5000年前の墓の中から高さが10センチに及ぶ盃を見つけました。この杯の表面には、1本の樹木と1匹のヤギが描かれています。これを調査した結果、その図案はこの遺跡で発掘された他の出土品とは違い、ある目的のため同じ模様が繰り返し描かれています。即ち、この図柄は、樹木に向かう山羊たちの動きを示しており、この図柄を描いた当時の芸術家は、5つの動きの中で樹木の方向に向かいその葉を食べるヤギを描いています。考古学者は、これらの図案を並べることで、20秒間の動画を作ることに成功しました。数々の調査から、これらの図案は現代のアニメーションを作りたいという、古代人が抱いた最も古い理想を示しています。なお、出土したこの陶器は現在、イランの考古学博物館に収蔵されています。
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過去・現在、そして未来の平和に寄与する「焼失した都市」

イランのターレビヤーン文化遺産・伝統工芸・観光庁副長官は、ユネスコの会議で次のように語っています。「焼失した都市・シャフレスーフテは、常に平和主義を追求しており、この遺跡からは武器は全く見つかっていない」 まさに、この遺跡はインドからチグリス・ユーフラテス川にまたがる地域の人々の団結を象徴しており、同時に平和のメッセージをアピールするものです。現在、この都市遺跡の世界遺産登録は、この遺跡のある国境地帯スィースターン・バルーチェスターン州にとって、地域の平和の確立に寄与する可能性が出てきました。イランは、今回の世界遺産登録により、世界各国や複数の文化の間に平和を実現させるという自らの責務を示したのです。

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IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。