イラン情報

イランからの花便り;逆さチューリップの開花シーズンに寄せて

西部ザグロス山脈の裾野に咲き乱れる逆さチューリップ

全世界では、今なお新型コロナウイルスが猛威を振るっており、収束にはまだ相当の期間がかかるとみられています。イランもその例に漏れず、現在も感染者数、犠牲者数が日々増加しています。例年ですと、日本の春分の日に当たるペルシャ文化圏の春の新年ノウルーズあたりから、春の旅行シーズンがはじまり、旅行や行楽を楽しむ人々の姿が見られますが、本年はご存知のとおり、新型コロナ危機により春を迎えても旅行はおろか、通常の外出すらままならない状況が続いています。しかし、そのような中でも大自然の営みは例年通り繰り返され、イランでは中部、西部、南西部などを中心に希少植物の1つであるヨウラクユリ・逆さチューリップが開花シーズンを迎えています。そこで、今回はイランに古くから生息するユリ科の植物・逆さチューリップと、その開花の様子をご紹介してまいりたいと思います。

逆さチューリップは、学名をFritillaria imperialis(フリチラリア・インペリアルス)といい、王冠百合の異名もあります。日本語名のヨウラクヨリは、下を向いた形状の花が仏具の瓔珞に似ていることに由来しているということです。

全世界では現在、およそ60種類の逆さチューリップが生息しており、そのうちイランで見られるものは15種類とされています。この植物は大きな腫れ物のような形状の球根を有しており、その球根は鎮痛剤としての効能を有すると言われています。

また花の色としては赤に近いオレンジ色のものが代表的ですが、以下の写真のように、ほかにも黄色や紫色のものもあれば、花のつき方や1本の茎につく花の数の面でも違う種類が見られます。この植物は、その美しさや希少植物であることから、イランでは自然界の宝石とされ、またイランの隣国のトルコでは「涙を流す花嫁」の異名を取っています。

例年ですと、逆さチューリップの開花シーズンには、この美しい植物を見学するツアーが多数開催されていますが、本年は新型コロナウイルスの影響により、ツアー・行楽のほとんどが見送りとなっています。以下は、昨年中部イスファハーン州ハーンサール行政区ゴレスターンクーで開催された、逆さチューリップ見学ツアーの様子です。来年はぜひ、こうしたほのぼのとした光景がまた復活してほしいものです。

イスファハーン州ハーンサール行政区ゴレスターンクーの逆さチューリップ見学ルートの入り口
逆さチューリップを見学する親子
「逆さチューリップを摘み取らずにゴレスターンクーを保護しましょう」と書かれた看板。見学客に自然保護を呼びかけています

逆さチューリップは、地表からおよそ1.2mの高さの場所に自生し、家畜の放牧や野生動物による被害、また人為的な乱獲などがなければ、1箇所の平原におよそ1万本まで自生できるとされています。しかも、環境への適応能力が極めて高く、酷寒にも耐えられるとともに、柔らかい土壌がなくとも、険しい岩山の斜面にも生息できます。

しかし、美人薄命という諺にも言われるとおり、美しい花をつけるこの植物は非常に短命であり、4月の半ばごろから開花し、雨季の始まりとともに1つの生命のサイクルを終えます。そして、残存した球根から秋のはじめに根や新芽が伸びだし、新たな生命のサイクルが始まる、というパターンになっています。以下は、逆さチューリップが咲き乱れるゴレスターンクーの様子です。

雪残る山々を背景に見事に咲き乱れる逆さチューリップ

逆さチューリップは、イランの悠久の歴史にも垣間見られます。今から1700年ほど前ササン朝ペルシアの時代の建造物の柱の先端、中でもイラン西部ケルマーンシャー州にある岩窟の遺跡・ターゲ・ボスターンの石造りのアーチの一部には、ササン朝の王たちの姿の脇に、逆さチューリップの彫刻が掘り込まれています。このことから、古代イランに既にこの希少植物が存在していたことがわかります。

岩窟の遺跡ターゲボスターンに見られる逆さチューリップ

以下の写真により、より近くから見た逆さチューリップの様子をご覧ください。

月夜に咲く逆さチューリップ(西部ケルマーンシャー州)
オレンジ色に近い逆さチューリップ(南西部イーラーム州)
ゴレスターンクー山ろくにて
赤い種類の群れの中に突然黄色い種類が出現(南西部コフギルーイェブーイェルアフマド州にて)
紫色を基調とし斑点のある逆さチューリップ(西部ロレスターン州にて)
残雪の山をバックに(西部ケルマーンシャー州)
石や砂利の多い場所にも生息(南西部イーラーム州)
青空に映える逆さチューリップ(南西部コフギルーイェブーイェルアフマド州)
西部ザグロス山麓にて

ここで、逆さチューリップをめぐるイランに伝わるある伝説をご紹介したいと思います。

イランの偉大な英雄叙事詩人フェルドウスィーの名著「王書」には、中央アジア・トゥーラーンの王アフラスィヤブの兄弟に当たるギャルスィヴァズという人物が出てきます。人々の間で信じられているところによれば、このギャルスィアズが、自らの持っていた剃刀でペルシャの王子スィヤーヴーシュの首を引き裂いたとき、そこに咲いていた逆さチューリップがその一部始終を目撃していました。 それ以来、逆さチューリップがこの出来事により強く悲嘆にくれ、悲しみのあまり赤面して花ごと下を向き、罪なきスィヤーウーシュの非業の死を嘆き涙にくれたのが、現在の逆さチューリップの姿だということです。 実際に、逆さチューリップの内部には無色の樹液があり、時々それが流れ出す様子は、あたかも逆さチューリップが涙を流しているように見えます。

この伝説から、イランの一部地域、特に西部コルデスターン州パーヴェおよびウーラーマーナートの両地区では、逆さチューリップは「スィヤーヴーシュの涙」と呼ばれています。

ところで、 逆さチューリップはこれまでにお話してきたような観賞用としてのみならず、イランでは伝統医学における咳止めや喀痰薬として使用されてきた経歴があります。その歴史は2000年にも及ぶとされ、その主な効能としては喉の痛み止め、喘息、気管支炎、結核、首のリンパ腺の病気や排尿時の痛みを抑制するほか、血小板の凝集の抑制にも効果がある、ということです。しかし一方で、この植物自体は劇薬の1つであり、服用の際には医師の処方が必要とされています。

残念ながら、逆さチューリップは近年、農業用地の開墾や節度を越えた放牧による生息環境の破壊、また違法な乱獲により個体数が激減していることから、絶滅危惧種とみなされています。 この植物の特徴として、茎から上の部分は急速に枯れて十分な栄養素が備蓄されないことが挙げられます。このため、同じ球根から翌年に咲く花は前年より見劣し、果樹に成り年と成らず年が交互にめぐってくるのと同様な形になります。数年間連続でこうした状況が続くと、自生植物としての逆さチューリップが絶滅する危険が出てきます。 地域によっては、度を越えた放牧によりこの植物やその生息地が荒らされ、翌年に開花しない事態にまで至っている、ということです。

大量に乱獲された逆さチューリップ

このため、イランでは自然環境保護機構により、かなり前からこの希少植物の絶滅を防ぐべく、組織的・本格的な取り組みが行われています。

この逆さチューリップの見所は、イラン国内では地域により期間のずれがあるものの、およそ6月全般くらいまでとされています。この自然界の宝石が今後も毎年見られますよう祈願しつつ、今月のレポートを締めくくりたいと思います。