行事

イランにおける「自然の日」の様子

 

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中部イスファハーン市内のナクシェジャハーン広場での「自然の日」のピクニックの様子

 

先月のこのレポートでは、日本の春分の日とその前後の期間にわたって行われる、イランとその周辺国などの春の新年・ノウルーズの習慣についてお伝えしました。今回は、およそ13日間にわたって開催されたノウルーズのイベントの締めくくりの日となる「自然の日」にまつわる、イランでの様子についてお伝えする事にいたしましょう。

イランを初め、その周辺国などで実施される春の新年ノウルーズの祝祭は、イラン暦の元日とされるファルヴァルディン月1日(日本の春分の日ごろ)から、およそ2週間ほどにわたって行われます。この祝祭を締めくくるのが、イラン暦の年明けから13日目、すなわちファルファルディン月13日(西暦の4月2日ごろ)の「自然の日」に行われる、家族や親戚、友人知人などを伴っての戸外におけるピクニックです。イラン暦における「自然の日」は、1979年のイラン・イスラム革命の後に定められたものです。

「自然の日」は、ペルシャ語による別名でスィーズダ・ベダル(「13よ、扉へ(去れ)」の意味)とも呼ばれますが、これはヨーロッパから入ってきた文化の影響で、13という数字が不吉な数とみなされるようになり、不吉なものを外に追い払うという意味がこめられています。このため、一部のイラン人の間では、この日に家の中にいるのは好ましくないと考えられており、こうした考えが広まったことから、現在ではこの日になるべく戸外に出て、近くの公園や野原、あるいは都市郊外の自然環境に出かけ、ピクニックを楽しむという習慣が広まっています。

しかし、特にイラン古来の宗教であるゾロアスター教(拝火教)と関係の深い、本来のイラン文化では暦の上での不吉な日というものはないとされ、しかも1年間の365日のそれぞれの日に独自の名前がつけられています。これに基づき、イラン暦における「自然の日」は、本来は雨の神が旱魃の神に打ち勝った事を祝うおめでたい日とされています。古代のイランではこの日に、ノウルーズの13日目に雨の神にまつわる儀式を済ませた後、野原や砂漠など出かけて踊り、足を踏み鳴らして喜びを表し、雨の神に雨乞いをしたといわれています。

ノウルーズの13日目を戸外で過ごすという習慣が現代のイラン人の間に定着した経緯については諸説がありますが、一説によれば古代ペルシャの伝説の王・ジャムシード王が、この日を野原や砂漠などの自然環境で過ごすという習慣を何年にもわたって続けたことに端を発していると言われています。

さて、自然の日の数日前、あるいは元日の前からノウルーズ期間中を通して、帰省や旅行などに出かける人も少なくありません。ノウルーズ期間中は、特にテヘランからはカスピ海沿岸のリゾート地や周辺の都市などに人口が流出します。このため、テヘランは、平常時の渋滞が嘘のように解消され、ガラガラとなりますが、もちろんノウルーズの最終日はUターン現象が見られます。それに伴い、特にテヘランなど大都市から地方に向かう街道、高速は大渋滞となります。

 

また、大都市から地方都市に通じる街道や高速のみならず、一部の地方都市でも市内やその郊外に出る主要道路の混雑が見られました。以下の写真は、西部ロレスターン州ホッラマーバード市内の渋滞の様子です。

 

さて、お目当ての場所を見つけたら、敷物や果物、お弁当、テントなどを持って車から移動します。もうすでに、沢山の人が思い思いにテントを張っています。テント設営に好まれる場所としては、都市圏では緑の多い公園が多く、さらには都市郊外に抜ける車道の脇の平原や草原であることもしばしばです。

 

中には、大きな樹木で木陰ができるところもあり、そうした場所ではテントを張らなくとも絶好の休憩場所ができます。

 

大都市を抜けて地方に向かう途中にも、自然の多い場所が沢山あります。そうしたところは人気が高いため、必然的に大勢の人々が集まります。こちらは、中部ヤズド市近郊の地方街道の様子。ピクニックにきた人々の車が数多く駐車されています。

そして、いよいよ家族総出でテントの設営です。組み合わせ方や建て方、ペグの数などを間違えないように細心の注意を払います。

 

上空から見たある自然公園の様子。人々があちらこちらにテントを張っています。

 

それではいざ、それぞれのテントにお邪魔してみることにしましょう。やはり、主流は家族連れです。幸い、好天に恵まれ、持ってきたお弁当や果物、お茶もよりおいしく感じられるのではないでしょうか。

 

 

あえて日当たりのよい場所にテントを張っている人もいました。このテントはある大家族のもののようです。大勢で集まって楽しそうに団欒に興じています。

こちらのテントでは、男性たち数人が水ぎせるを吸っています。通常なら、伝統的なレストランなど、屋内で吸うことが多くなっていますが、やはり春の陽気の中で、しかも気心の知れた仲間と吸う水ぎせるの味は格別なようです。

 

大勢の人々が自然環境の中で思い思いにシートを広げ、ピクニックをしている様子は、さながら日本のお花見の風景を想起させます。但し、ここではカラオケはありません。

 

家族とのおしゃべりに興じる人、寝そべっている人、「ちょっとお水汲んでくるね」とその場を立って出かける人など、色んな人が見られます。

 

 

それでは、今度はテントから少々離れて、周辺を散策してみたいと思います。皆さんが楽しそうに「自然環境の中での健全な行楽」に興じている光景が目白押しです。

こちらは、カラフルな凧揚げをしている青少年たちです。「お正月には凧揚げて」という童謡の歌詞がピッタリの光景です。

 

爽やかな陽気の中で、ボール遊びを楽しむ若者もいます。

友達同士で、自転車乗りを楽しむ少年たち。いつもなら、携帯電話やテレビゲームなどに熱中しているはずの彼らが、この日ばかりは、それこそ本来あるべき姿に戻ったといってもよいかもしれません。また、子供のみならず、若者をはじめとする大人たちの中にも、携帯電話やタブレットの画面を見ている人はほとんど見かけませんでした。たまには、こういう時もあってもよいのではないでしょうか。

 

公園内の遊具で遊ぶ子供たち。もうすぐ学校が始まります。そうなれば思いっきり戸外で遊ぶ事はなかなか難しくなります。今のうちに、思う存分友達と遊んでエネルギーを発散し、沢山の思い出を作って新学期に備える、というところでしょうか。

 

木の枝に紐をかけて、即席のブランコの出来上がり。きれいな空気を大きく吸い込みながらのブランコで快感を味わいます。

 

公園内でボール遊びを楽しむ家族連れ

 

おやおや。テントも建てず、シートも敷かずに芝生の上に寝そべっている男性もいました。どうやら、春の陽気が相当に気持ちのいいものだったようです。「春眠暁を覚えず」と 孟浩然は、つい寝過ごしてしまう春の夜について詠んでいますが、イランのこの春の陽気は、お昼寝にも最適ということでしょうか。

 

イラン人の文化に、ペルシャ語でキャバーブと呼ばれる、串刺しの肉を直火で炙った独自の焼肉は欠かせません。食卓やレストランで食べるキャバーブもさることながら、屋外で食べるキャバーブにもまた違ったおいしさがあります。そして焼くときの油の焦げる匂いと、立ち上る煙がまたたまりません!

 

もうだいぶ前に数年間の在日経験があるというこの男性、まだ記憶に残っている日本語で「チョーうまいよ!」と大きくポーズをとって見せてくれました。

 

テヘラン市内にあるタビーアト橋にも、大勢の行楽客が集まっていました。

 

さて、イランでは、特にテヘラン在住者の間で、ノウルーズなどをはじめとするバカンスの目的地として、最も人気があるのは北部ギーラーン州、マーザンダラーン州を含むカスピ海沿岸地域とされています。以下の写真は、大勢の行楽客で賑わうギーラーン州の港町バンダルアンザリー市内の海岸です。

 

カスピ海岸でくつろぐ老夫婦。

 

カスピ海沿岸地域は降雨量が多く、日本と気候風土が似ていることから、緑豊かな森林が広がっています。そうした森林の中でバレーポールを楽しむ若者もいました。

 

生い茂る草木の間にシートを敷き、団欒を楽しみます。

屋外空間で、タンバリンに似た楽器を打ち鳴らしながら皆で歌います。

 

今度は、テヘランから200キロほど西に離れた都市ガズヴィーンでの様子。なんとここではちょうどよいことに桜が満開、と思いきや、これはアーモンドや桃の花だそうです。ですが、遠くから見ると本当に桜に似ていて、思わず日本のお花見を連想してしまいました。

 

テヘランからぐっと内陸に入った中部の都市ヤズド郊外にある山での散策風景。春分を過ぎて日が幾分長くなり、またサマータイムで時計を1時間進めていることから、夕方6時でもまだかなり明るく、皆さん存分に山での散策を楽しんでいました。

 

 

都市郊外の岩山の脇でも、シートを広げる家族連れの姿がありました。

また、テヘランから400キロほど離れた中部の都市イスファハーンでは、ここを流れるザーヤンデルード川のほとりに、たくさんの行楽客が集まっていました。

 

そして、この川にかかる全長300メートルもの橋で、イランの三十三間橋とも呼ばれる、スィーオセポル橋の近隣も、絶好の憩いの場といえるでしょう。

 

南部のペルシャ湾沿岸も、大勢の行楽客で賑わっています。但し、ペルシャ湾沿岸地域は非常に細長いことから、遊具や行楽施設のあるところもあれば、純粋に海岸のみが続く地域もあります。ですが、皆さんそれぞれにノウルーズ休暇の最後の日を楽しんでいます。

さすがは熱帯地域とあって、もうこの時期に海水浴ができます。

 

また、「自然の日」に戸外に出かけた際には、未婚の少女たちが周辺に生えている草を結び、「13よ、去れ。来年は子供を抱いて夫の家にいられるように」と唱えながら、幸せな結婚を願う習慣があります。

 

 

そして、「自然の日」の行楽を終えて帰宅する際には、それまで自宅内に飾ってあった、サブゼと呼ばれる豆類を発芽させた若芽の束を、川などに流す事になっています。その目的は、一説にはその年の豊穣を願う事とも言われていますが、最も一般的に言われているのは、あらゆる痛みや苦しみ、災厄をこのサブゼに乗せて流す、ということのようです。また、中にはほかの人が流したサブゼには、ほかの人に降りかかったかもしれない不幸が宿っているから、触れてはいけない、と考える人もいるそうです。サブゼを水に流す習慣は、日本の流し雛にも似ているところがあると思われます。以下は、役目を終えてペルシャ湾に流されたサブゼです。

 

サブゼを流しにやってきた女性。

小さな貝殻が打ち上げられている岸辺から、カスピ海に流されたサブゼ。

イラン北部のある河川に流されたサブゼ

 

この「自然の日」をもって、2週間近くにわたって続いたノウルーズの一連のイベントは終了し、人々は再び職場へ、学校へ、日常生活へと戻っていくことになります。この日の様子を見ていて、いかにインターネットや携帯電話、SNSなどが発達し、時代の流れとして日常生活に入り込んでいても、やはり人間には時折、そのような文明の利器から少々離れて、自然環境に触れる事が欠かせないのではと、改めて痛感させられました。また、以前と比べると、通信機器の発達の影響で、逆に人同士が対面してのコミュニケーションが減少しているといわれているものの、イランにはまだまだ温かい人間関係や家族の温もりが残っている事が感じられました。

今後も、イランの全国的な現象、イベントや出来事などを随時お伝えしてまいります。どうぞ、お楽しみに。