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イラン西部の世界遺産と名所旧跡めぐり(2)

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イラン西部の世界遺産と名所旧跡めぐり(2)

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ホッラマーバード市内にあるファラコル・アフラク(諸天の天)城砦

前回は、イラン西部ロレスターン州の中心都市ホッラマーバードにあるいくつかの名所をご案内してまいりました。今回は、この町の特に重要な見所を中心にご紹介することにいたしましょう。

ファラコル・アフラク(諸天の天)城砦

ファラコル・アフラクの城砦は、ホッラマーバード市の基盤を成すといっても過言ではありません。それは、ホッラマーアバード市がこの城砦を中心に栄え、その周辺に次第に面積を広げ拡張されていったという事実によるものです。この城砦が造られた正確な時期については複数の節があり、11世紀ごろとする説もあります。しかし現存する史料などから、3世紀のサーサーン朝のシャープール1世の治世に建築されたとする説が有力です。また、この城砦はその精巧な構造の点から、ロレスターン州を代表する旧跡でもあるとともに、専門家の間で建築学・工学上の世界的な大傑作とされています。この城砦は、その長い歴史の間に、シャープールハーストの城砦、ホッラマーバードの城砦、アターバカーンの宮殿など、様々な呼称で呼ばれてきましたが、今から200年ほど前のガージャール朝以降は、ファラコル・アフラクの城砦と呼ばれています。

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また、この城砦の使用目的も時代によって異なっていました。10世紀から11世紀ごろのクルド人によるハサナヴィー朝、そしてブワイフ朝時代には、為政者たちの居住地となっていましたが、その後は政府の財源を蓄える国庫として使用されました。そして、今から500年ほど前のサファヴィー朝、さらにその後のガージャール朝時代には、小ロル族の為政者アターアベクや、ロレスターン州の州総督などの居住地・政務執行の場所となっています。さらに、その後のパフラヴィー朝時代には、実際に軍事基地、及び政治犯を収容する刑務所として使用されていましたが、1970年にイラン軍がこの城砦を当時のイラン文化芸術省に委譲し、第883号国家遺産に指定されました。そして、1975年には民俗博物館となり、イラン・イラク戦争中の閉館を経て、1988年に業務を再開し、現在に至っています。そして近年では、さらに考古学上の発掘品を展示するコーナーや伝統的な喫茶店なども加えられました。

まず、この城砦の全体的な構造からご紹介してまいりましょう。この城砦はホッラマーバード市内中心部の高台に位置しており、総敷地面積は5300平方メートルにも及び、8本の塔のほかに、長方形の中庭が2つあります。また、この城砦を取り囲む壁は一番高いところで23メートルあり、また上空から見ると不規則な八角形をしています。

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上空から見たファラコル・アフラク城砦

また、この城砦の建物に使われている主な資材はレンガ、石材、日干し煉瓦、モルタル、石灰などです。

早速到着してみると、通りに面した石畳の広いスペースの向こう側の高台に、2本の塔らしきものが立っている城砦が見えてきました。石畳の終わりにある小さな入り口から入り、坂道が続く石畳の順路を上がっていく仕組みになっているようです。

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入り口から入って、順路となっている坂道を登っていくと、途中には手工芸品などを売る屋台や出店がありました。順路を進むに連れて、城砦の建物が近づいてきます。遠くから見えた2本の塔がさらに大きく見えてきました。多数の石を積み上げてできた基礎部分に、さらにレンガや日干し煉瓦を積み上げて出来たと思われる壁がそびえ、また城砦らしく壁の先端はギザギザになっており、突起とくぼみが交互に連なっています。

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さらに進んでいくと、建物全体の北側にある入り口に着きました。ここからいよいよ、城砦の建物の内部に入ることになります。

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レンガを丹念に組み合わせた壁や天井が延々と続きます。

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城砦から臨むホッラマーバード市内もまた格別でした。

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この城砦には、先にご説明したように2つの中庭があり、入り口から入って順路を進むとまず、22メートルX31メートル四方の第1の中庭に突き当たります。この中庭には、北と北西の側に2本、南と南西の側に2本の合計4本の塔が立っています。また、北東の一角には深さ40メートルにも上る井戸が残っています。ここから出る井戸水は、かつてはこの城砦の住民により使用されていたということです。

また、もう1つある第2の中庭は21メートルX39メートル四方で、第1の塔と同様に4本の塔があります。そして、この中庭の周囲は屋根つきのサロンで囲まれており、このサロンはこの城砦の最大の見所である民俗・考古学博物館となっています。

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さて、この博物館には一体何が展示されているのでしょうか。早速中に入ってみました。広い第2の中庭を取り巻く形で長い廊下が続き、その両側にはガラスケースに納められた展示品の列が続きます。

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展示品の種類も様々で、当時使われていた品々や衣服、写真、当時の生活ぶりなどを復元した模型もありました。

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その昔使われていたと思われる品々。奥のほうに見えるのはそろばんだそうです。

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紀元前のものとされる銀製品も展示されています。

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添付されている説明によると、これはコーランの箱だそうです。その昔からこの地域の人々がイスラムを信じていたことがうかがえます。

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そして四大要素の火、水、空気、土による呪術、あるいはお守りとして使われていたとされるタリスマン(護符)もありました。説明による、これは銅製だそうです。

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この展示写真は、民族衣装を着用しているロル族の男性たちです。一瞬、北海道のアイヌ民族の衣装に似ているような印象を受けました。

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ロル族の衣装がとてもきれいでした。たぶんこれは女性用でしょうか。

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これは、地元のロル族の間で使用されていた墓石のようです。現代の一般のイラン人の墓石とは異なり、分厚く、デザインにも工夫が凝らされています。

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当時の習俗や、働く人々の様子を再現した模型も沢山展示されていました。

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こちらは、地元の習俗に沿った葬儀の様子を再現しています。

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一方、この模型はお祭りの様子を再現していると思われます。

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そして、この城砦内で注目すべきもう1つの大きな見所として、1979年のイスラム革命以前のパフラヴィー王政時代に、国王側と闘争した当時のシーア派最高権威者アーヤトッラアボルガーセム・カーシャーニー師(1877-1962)が、政治犯として軟禁されていた一室があります。

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部屋の入り口には、「1948年にカーシャーニー師が軟禁されていた場所」の表示があります。

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カーシャーニー師が軟禁されていた一室の内部の様子。師が使っていたとされるコーランや礼拝用の敷物などの遺品が置かれています。

 

 

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博物館を見学に来ていた、ロル族の家族と記念撮影。民族衣装がとても良く似合っています。(筆者は左端)

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地元出身の少年と記念撮影(筆者は右)

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この15歳の少年の話では、冬に雪の積もった城砦もとてもきれいだということです。以下の写真は、この少年から提供されたものです。

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一連の見学を終えて城砦の外に出、もと来た順路を引き返していたとき、地元の方式でパンを焼いている女性に出会いました。熱した鉄板に、小麦粉と食用油とサフランを混ぜた液体を流しいれ、顧客の注文後すぐに目の前で焼いてくれます。カスタードのような風味の独特のソースを渡され、それをつけて食べてみると、なかなかの美味。長いこと歩いた後、空腹だったこともあって、とてもおいしく感じられました。

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夜になって再びホッラマーバード市内を散策した際、きれいにライトアップされた城砦も見ることができました。

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ホッラマーバード市内には、他にも大きな見所が存在します。次回もどうぞ、お楽しみに。