お蔭様をもちまして、私・山口雅代が毎月お届けしておりますこの「テヘラン便り」が、この度10周年を迎えることができました。この10年間、毎月イラン国内各地の見所をはじめ、日本には情報として伝わりにくいと思われる意外な見所をはじめ、いわゆる一般的なイメージや、毎年恒例の年中行事やイベント、四季折々の出来事、身の周りの一般的な現象などを、日本・他国のメディアの報道から離れて、一日本人としての独自の視点で捉え、拙いながらも感じたままにお伝えしてまいりました。
イランの代表的なイメージといえば、美しいペルシャ絨毯や石油などが思い浮かぶかもしれません。
確かにそれらもイランを構成する要素ではありますが、実際のイランはそれらに留まらない実に多様性に富んだ国であり、まだ一般的にはあまり知られていない部分が数多く存在します。これまで、毎月の拙レポートではそうした知られざるイランの意外な一面や見所、魅力などをお伝えすることに努めてまいりました。
今回は、10周年という大きな節目に当たり特別企画といたしまして、拙レポートの発信をご提案くださいました、ソフィア株式会社・代表取締役の川﨑 知様へのインタビュー特集記事をお届けしたいと思います。
イスラム圏の伝統的市場バザールでの買い物もイラン旅行での楽しみの1つ(中部イスファハーン・ゲイサリーエ市場)
ーこの度はご多忙中の折、インタビュー記事をお引き受けいただき、真にありがとうございます。「テヘラン便り10周年」という節目に当たりまして、これまでのご活動の内容やご感想などを、ご自由に語っていただければと存じます。
まず、日本人にとって海外旅行といえば、普通は欧米諸国をはじめ東アジア・太平洋上の近隣諸国、東南アジアなどが真っ先に頭に浮かぶのではないかと存じますが、そのような中で、旅行業界に携わっておられる貴殿がイランとつながりをもたれるようになったきっかけは、どんなことだったのでしょうか?
・私がイランと関わり合いになった経緯をお伝えいたします。
今から25年以上になりますが 友人から、自分が通う英会話教室に面白い外国人がいて紹介するからと言われ、会ってみたのがイラン人のレザ・ジャリルザデでした。 ソフィアを設立して間もない時で、今まで旅行手配したディスティネ-ションとは(ヨーロッパ・アメリカへの視察旅行およびタイを中心とした東南アジア特別手配旅行)とは違う国々を探していた矢先でした。堅苦しくなく食事でもしながら=お酒を飲みながら!=と考え近くの居酒屋での初対面でした。日本食にも全く抵抗がなく、しかもイスラムでありながらお酒も拒まずに飲むので、私の基準でのいい奴のカテゴリ-に入りました。イランイスラム革命(1979年)以前のパーレビ時代に生まれ、イラン・イラク戦争(1980~1988)を経験し、その後、出稼ぎとして来日しました。かなりの苦労をしたと推測できるのにもかかわらず、自分の過去から現在まで悲観的な口調ではなく、流暢な日本語で話していました。
私が何かの拍子で 中近東の国といったとき、即座に私はアジアの人間ですと言われ、驚きました。恥ずかしい話ですが、旅行会社でありながらイランを中近東にあるアラブ諸国の国と頭に描いていました。大多数の日本人が私と同じだったと思いますし、現在でも同様だと思います。確かに サッカ-でもアジア圏ですし、人種的にはアラブではなく、インド・アーリア系の民族です。このことがきっかけで、イランを説明する最初に、アラブ人種ではなくペルシャ人であること、アジア人であることを伝えるようにしています。
以上 レザとあったことがイラン旅行手配をすることになったきっかけです。彼はソフィアに10年以上在籍し、イランへ帰国し旅行会社を興し現在に至っています、ソフィアのイランでのパートナ-であり、個人的にも年が離れた弟のような存在です。
ーなるほど、日本語ができるイラン人の現地パートナーができたことは、国境を越えてお仕事をされる面でとても大きいですよね。やはり、そういう方は現地のことを何もかも知り尽くしているわけですし、とても心強い存在だと思います。人との出会いがまず大きなポイントだったのですね。また、日本で得られる一般的な情報や他人のうわさではなく、その国の人を通じて生の情報やイランの真の姿に触れて、インスピレーションを受けられた、という表現がふさわしいでしょうか。
それでは特にコロナ前を振り返っていただいて、イラン旅行プランを扱われ、またイラン旅行をされるお客様とやり取りされる中で、特に思い出深いエピソードなどありましたら、ぜひお聞かせください。
・イラン旅行を手掛けた初期のことですが、イランへ訪問する日本人の方の多くが、イラン人男性と結婚した日本女性でした。通常イラン大使館へ婚姻届けを提出し,イランのパスポ-トを取得します。つまりイランにはNO VIZAで入国できます。しかしながら諸所の事情で婚姻届けを提出しないケ-スもあり、その場合はイラン入国ビザを取得しなければなりません。そのような方々のビザ取得業務が多かったことが印象に残っています。どのようなことかと言えば、イラン人男性がビザ変更更新を怠りOverstay状態のときに入国管理局(現在は出入国在留管理庁)の査察にあい、強制送還でイランへの帰国を余儀なくされたケースです。 彼女たちが途方にくれ、つてをたどりソフィアにコンタクトしてきました。
ビザに関してはソフィアが発給するわけではなく、あくまでイラン大使館領事部の管轄です。そのようなケースのビザ取得ではデリケ-トな部分が多く苦労したしました。現在はインタ-ネットでイラン大使館のHPで電子ビザが取得できます。
お気軽にサイクリングもOK!
第二外国語でペルシャ語を選択できる大学があります。その大学の学生の方々が、自分の語学力を試しがてら、毎年少人数のイラン旅行を計画し、そのお世話をさせていただきました。
ペルシャ語を第二外国語としていますから、初めてのイラン旅行でもそれなりの知識が豊富です。ある年に帰国後に集まりがありわたくしも出席しました。イラン人の気質や観光スポットの印象など、和気あいあいに話が弾みました。ふとある学生が イランが誇る栄光の2,500年の歴史は反面 歴史の重みにイラン人自身が押しつぶされている!と述べた時、ほとんどの学生さんが賛意を示しました。驚いたとともに私にとっては目からうろこが取れたように感じられました。
日本が卑弥呼の時代には、サーサーン朝ペルシャ、それ以前のはるか昔にアケメネス朝ペルシャではペルセポリスが造営されています。過去の遺跡等を訪ねる旅行もそれなりに意味がありますが、それとは別に、イラン人の現在の生活や考え方に接する機会を設ける旅行企画も必要と感じたのです。
ペルセポリス遺跡;アケメネス王朝時代の栄華を物語るレリーフ
ーそうですね。紀元前からサーサーン朝ペルシャといえば、日本人にとっては学校で習う歴史の授業などで触れたことがある人が多いと思います。イランからそうした歴史的なロマンが感じられることも確かですが、やはりそこからさらにもう一歩深く入って、と申しますか、日本の一般の方々にもっと気軽に「イランの今」、それこそ普段着のままのイランに触れてもらうことこそ、これからの本当の相互理解のために必要とされることですよね。
そうしたご方針のもとに、活動を展開されたこられたかと存じますが、御社の発足後からこれまで、イラン旅行を希望される日本人のお客様の趣向や動向はどのようなものだったのでしょうか。
・イスファハ-ン・シーラ-ズ・ペルセポリスは イラン旅行の定番のプランです。
中部イスファハーンの観光名所の1つ・ブルーモスク
イランの世界遺産・紀元前の遺跡ペルセポリス(南部シーラーズ近郊)
南部シーラーズの古代遺跡・ペルセポリスを訪れたヨーロッパ人観光客
著名な郷土土産;イスファハーン産のエナメル細工
海外旅行経験豊富な高年齢者層で最初のイラン旅行の場合はやはり定番のプランが希望です。2回目以降はカスピ海沿岸や北西部タブリ-ズ等へ足をのばします。
最初の訪問は7~8日 2回目以降は2週間程度と長くなる傾向があります。
このようなお客様がいました。イラン国内の航空網は日本に比べて貧弱です。ところがそのお客様は航空網のある都市、都市をプランに入れていました。不思議なのでなぜですか?と質問したところ、自分は航空機マニアでイランでは古い型の航空機を未だに使用しているので実際に搭乗してみたいとのことでした。このようなお客様の情報は貴重なものです。
このような経験もできますがあくまで自己責任です。
ホマーの愛称で親しまれるイラン国営航空の旅客機
お気軽にイランへどうぞ!
また 蛾を採集しているお客様がいました。イスファハ-ンの近くに特殊な蛾が生息している地域があるそうでそこを訪問すると言っていました。ここまでくると旅行会社はお手上げですね!
イラン旅行を計画する方は旅行経験が豊富な方が多いようです。
ーなるほど、実に様々なお客様がいらっしゃるのですね。しかも、皆様のご関心も多種多様で、希少な趣向をお持ちの方がイランに関心を向けていらっしゃることに大変驚きました。
とにかく、一度イランを実際に訪問された方が、2回目は1回目のご旅行より長く滞在される傾向にある、ということはきっと、ご自分の目でイランの現実を目の当たりにされて、それまでとは大きく考え方が変わり、さらなるご関心がわいたということではないでしょうか。ぜひ、そのような方が増えてくださるといいですね。そうなれば、将来的に長い目で見て日本のメディアや教育にもいい影響が出てくるのではないでしょうか。
多様性に富んだイラン
イランといえば、ただ今触れさせていただきました、これまでの日本の学校教育やメディアなどの影響もあるかもしれませんが、まだまだ正しく認知されていない、またそれほどよく知られていないのが現状ではないかと思います。そのような中で、長年イラン旅行プランを取り扱ってこられたご経験を踏まえまして、特に一般の日本人の皆様に向けてアピールされたいことなどをお聞かせください。
・前にも述べましたが ①イラン人はアラブ人とは違います。
⓶ アジアのcategory-に入る国です。
③イランの固有の宗教はゾロアスタ―でした。現在はイスラム教ですが、がちがちの原理主義ではありません。
④イラン人のシンパシ-は日本人と同様なところがあります。それが証拠には おしん が大ヒットしました。日本人女性を見ると おしん、おしんということがあります。
⑤ ④からの続きで、世界遺産も素晴らしいがイラン人気質も充分堪能してほしい(私の経験ですが あるイラン人が 日本人はお金がない、仕事がないといって悲しむが、僕は家族が病気だとか、友人が困っているときは悲しくなる!)
-そうですよね。まさにご指摘のとおり、こうした点は一般の日本人にはあまり知られていない、または盲点・抜け穴となりがちな大切なポイントではないかと思います。特に5番目の点は、現代人がともすると忘れがちな人間性の大切さを物語っているのではないでしょうか。こういうところはイラン人を見習いたいですよね。他人が苦しんでいる時に自分だけ安穏としていられない、という考え方は、13世紀のイランの大詩人サアディの作品にも詠われています。
南部シーラーズ生まれの大詩人サアディ(1210~1291?)
このような点は、日本のメディアや学校の地理や歴史の授業でも正確にはふれられていないところですよね。確かに昨今ではインターネットやSNSなどの発達によって、以前よりは外国の生の情報が入って来やすい状況にはなっていますよね。ですが、やはり日本の皆様にもぜひ、今後何かの機会にイランの真の姿に触れてもらい、欧米諸国とはまた一味違ったイランの素晴らしさを知っていただきたいというのは、毎月テヘラン便りを発信させていただいている私が切望していることでもあります。
ただ、現在はまだコロナ禍が落ち着いておらず、気軽に海外旅行ができるようになるにはもう少し時間がかかるかもしれません。ですが、ぜひ今後の日本人のイランに対する認識の変化に期待したいものです。
代表的なイラン料理・チェロキャバーブ(イラン式焼肉とサフラン染め米飯)
おいしい料理も盛り沢山!イラン料理をどうぞ
イランといえばラクダだけでなく、チョウザメとカスピ海の珍味キャビアもお忘れなく!
イラン旅行の郷土土産の定番・大粒のピスタチオ。ビールのおつまみにも最適
話が長くなって申し訳ありません。最後に今後、特にコロナ収束後の御社の活動につきまして、どのようなご計画・展望をお持ちでしょうか。
・“人の数だけ、旅のバラエティ-がある”をテ-マに個人、や少人数の為の特別手配旅行を手掛けていきます。世界遺産などの遺跡はもとより、現在のイラン人の生活に触れる企画も計画しています。ホームステイなどにも力をいれていきます。イランだけではなく周辺国のトルクメニスタン、アゼルバイジャン、ジョ-ジア、アルメニアを組み入れたプランも計画しています。
ーそれは興味深いですね。これからが楽しみです。いわゆるポピュラーな旅行プラン・目的ではなく、あえて僻地を訪れたり、珍しい目的・目当てがあることは大変興味深いと思われます。そうして、自分の目で多様な文化や生活様式を持つ人が世界にたくさんいることを間近に見ていただければ、それが多文化理解や多様性の受容、ひいては真の意味での国際理解や平和につながっていくのではないでしょうか。今後、ソフィア様を通じてイランや周辺国、これまではあまり注目されてこなかった地域に旅行される方がさらに増え、日本・イラン間、そして草の根レベルでの国際相互理解が益々高まることを願っております。この度は本当に有難うございました。
以上、今回は少々を趣向を変えまして、日ごろからイラン旅行をご希望されるお客様向けの旅行プランを取り扱っておられる、ソフィア株式会社の川﨑 知様にこれまでのご経験や今後の抱負などを語っていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
川﨑様もご指摘のように、イラン人は確かに西アジアの国民ではありますが、人種的、言語学的にはインド・ヨーロッパ語族に属していて、欧米人とは親戚関係にあります。しかも、それに加えてほかにもアラブ系、トルコ系、コーカサス地域を元祖とするアルメニア系など様々な民族がおり、それらの民族のそれぞれの言語や地域ごとの方言などが共存する、まさに多民族・多言語国家といえます。
イランに住む様々な民族。服飾も風俗習慣も多種多様です。
一般の日本人の間で革命、戦争という、どちらかというとちょっと怖そうなイメージとは逆に、イランは世界有数の親日国でもあり、「石油、砂漠、ラクダ」だけではなくて、カスピ海、ザグロス山脈、ペルシャ湾、キャビア、世界遺産、そしてもちろん世界遺産や美味しい料理など、優しさあふれる国民性など、魅力が盛りだくさんです。
ほかにも、家の中に入る時は靴を脱ぎ、年長者には敬意を払い、また米飯を主食とし、書道もあるという、日本との共通性も決して少なくありません。
毛筆でなく葦の筆を使ったペルシャ書道
宗教についても、確かに国政はイスラムにのっとったものですが、実際には同じイスラム教徒でも宗教観は個々人や各家庭、民族、地域などによりかなりの違いがあります。各地にイスラムのモスクがあるだけでなく、主にアルメニア系キリスト教徒やゾロアスター教と呼ばれる拝火教の寺院もあり、まさに多文化・多宗教が平和に共存しているのがイランの現実です。
イスラムのモスクとキリスト教会が隣り合わせ。多宗教の共存の象徴(南西部アーバーダーン市)
ちなみに、イランは今でこそイスラム教国ではありますが、本来はゾロアスター教が主流であり、あるゾロアスター教徒の知人の話ではこの宗教の教義が日本の神道に類似しているということ、そして、今なお続くイラン人の伝統習慣である春の新年ノウルーズや冬至にまつわる一連の儀式が、実はイスラムではなくゾロアスター教を起源としていることも、知っていただきたい大きなポイントです。
拝火教(ゾロアスター教)の儀式の様子(テヘラン市内)
今回インタビューをさせていただいて、一般の日本人にはどちらかというと馴染みが薄い、またはあまり知られていない、本当の姿がなかなか伝わりにくいと思われるイランへの旅行を専門に扱われて、こられた様々なエピソードを聞かせていただく中で、イランへの思い入れやさらに発展した今後のご展望がひしひしと感じられました。そして、こちらといたしましても、川﨑様のそうしたご意向を伺うにつれ、今後さらに毎月のレポートのさらなる充実化をはかり、知られざるイランの魅力をより多く皆様にご紹介してまいりたいと決意を新たにした次第です。
イラン専門の旅行代理店のご経営という形での川﨑様の益々のご活躍とご健勝、そして、それがひいては日本の皆様による真のイラン・イスラムへの理解、日本・イラン間の交流関係のさらなる発展を心より祈願いたしまして、今月のレポートを締めくくりたいと思います。
「皆様もイランを訪れてみませんか?魅力が盛りだくさんです!」
それでは最後に、日本での一般的なイメージとは大きくかけ離れていると思われるイランの様々な自然や光景、「えっ!?これがイラン?」と思われるような写真の数々をご堪能ください。
イラン富士として名高いダマーヴァンド山(テヘラン北東部)
エメラルドグリーンのイラン版「美ら海」・ペルシャ湾
シールザール峡谷(西部ロレスターン州)
一面に花が咲き乱れる野原と切妻式屋根の家屋(北部ギーラーン州)
ペルシャ湾岸にある豪華なショッピングセンターの建物
北部の緑豊かな山中を通過する列車
煌々ときらめくミーラード・タワーとテヘランの夜景
たゆたう多数の小船(南東部チャーバハール)
七色に輝く山・マーフネシャーン丘陵(北西部ザンジャーン州)
一見イスラム風と思われるアーチの中のキリスト教絵画(中部イスファハーン州ヴァーンク教会)
来月以降も、どうぞお楽しみに。