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世紀の葬儀・先代イラン最高指導者ハーメネイー師との一連の告別行事

7月4日にテヘラン・モサッラー大礼拝所で行われた故ハーメネイー師の一般葬の様子

テヘラン市内の大通りをめぐる故ハーメネイー師と家族らとの別れを惜しむ大勢の市民ら

先だってようやく、イランとアメリカとの間でパキスタンの仲介により、同国首都イスラマバードにて停戦合意覚書が調印されました。これにより数カ月に及んだ戦争が一応の終結にこぎつけたかと思いきや、アメリカによる対イラン攻撃が再開され、既に10日以上連続で攻撃が続くとともに、イラン側も国民の権利について妥協せず、また復讐の精神を改めて表明するなど、イラン情勢が再び緊迫化しています。

去る2月28日に勃発した戦争が一つの区切りを迎え、一応の終戦を迎えたことから、正直なところ、今月は戦争の内容を離れた別の話題でのレポートを予定しておりました。しかしながら、本格的な夏の暑さが到来しているイランでは先般、今回の戦争で非業の死を遂げた先代イラン最高指導者の大規模な葬儀が営まれ、その参集者が数千万人とも推測される他、隣国イラクでも大々的な葬儀が実施され、「世紀の葬儀」として世界でも注目されています。

そして、今から4年前のちょうどこの時期は、同年7月8日に応援演説中に安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、日本の国内各所に献花台が設けられ、大勢の市民らが手を合わせていた時期でもあります。4年前と言えば、筆者はまだイラン・ガズヴィーンに滞在中でしたが、世界をも震撼させるあまりにも衝撃的な出来事に、非常にショックを受けたことを覚えています。つい先だっても、奈良県の近鉄大和西大寺駅前の事件現場に献花台が設けられ、多くの人々が訪れたというニュースが報じられていました。そしてそれから4年たった現在、今度は日本でイランに関する非常に衝撃的なニュースに接した形となりました。日本の元首相、そしてイランの最高指導者という、国家のトップの訃報に大勢の人々が参集するこうした光景には何か共通するものが感じられてなりません。

このため、今回は予定を変更しまして、イランの複数都市並びに、イランと同じイスラム教シーア派が多数を占める隣国のイラクでも実施された、先代イラン最高指導者アリー・ハーメネイー師とその家族らの葬儀、そしてこれにまつわる現場の人々の声をお届けすると共に、これら一連の葬儀の様子を見ての筆者の雑感を綴っていきたいと思います。

ハーメネイー師の棺には生前に被っていた黒いターバンが載せられ、傍らには孫娘の小さな棺も

既に皆様もご存じのように、イランを初めとするイスラム圏がラマダン期間中にあった中、戦争初日の2026年2月28日、テヘラン中心部にあるハーメネイー師の邸宅が米国とイスラエルに空爆されました。この空爆により、執務中だった当時のイラン最高指導者セイイェド・アリー・ハーメネイー師(86)、同師の娘婿メスバホルホダー・バーゲリー・キャニー博士、同師の実娘セイイェデ・ブシュラー・ハーメネイー氏、嫁(現最高指導者モジュタバー師の妻)のザフラー・ハッダード・アーデル氏、そして最高指導者の孫娘ザフラー・モハンマディゴルパーイェガー二ーちゃん(生後14か月)もこの場所で死亡しています。先代最高指導者アリー・ハーメネイー師の棺には生前に被っていた黒いターバンが添えられる

今回の一連の葬儀は今月4日に始まり、テヘランでの国賓が参加しての国葬のほか、6日まで一連の葬儀、追悼集会が開かれました。その後は、テヘラン南方のシーア派聖地ゴムに場所を移し、さらにはイランと同様にシーア派教徒が非常に多い隣国のイラクでも別途に葬儀が行われ、ここでも多くの人々がハーメネイー師との別れを惜しみました。そして最後にはハーメネイー師の生誕地であるイラン北東部ホラーサーンラザヴィ―州マシュハドにて葬儀が行われました。最終的に、これらの一連の儀式終了後は、ハーメネイー師の亡骸はともに死亡した家族・親族らととともに、マシュハド市内にあるシーア派8代目イマーム・レザーの霊廟内に埋葬されています。

大勢の追悼者で埋め尽くされたテヘラン市内の目抜き通り

両手で頭を打ちながらハーメネイー師の死を悼む市民ら;「必ず仇討ちを」「こんなことでイラン国民は負けない」(テヘランで)

テヘランでの葬列には、アフマディネジャード元大統領も参加

テヘラン市内を回るハーメネイー師らの棺。4年前の安倍元首相の棺が自民党本部前などを回り、多くの人々が手を合わせていた光景を想起させます

振り返ってみますと、2月28日の開戦当初は、ハーメネイー師を頂点とする現体制への反対派の様子が、在外イラン人を中心にかなり報じられていたように思います。ですが、最近のイラン情勢ではそうした人々よりも、むしろ最高指導者を敬愛する人々の方がクローズアップされているようです。しかも、その数は反体制派とされる人々よりも決して少なくはないようです。そして、今回の葬儀に参集した人々は決して中高年男性ばかりではなく、女性や児童青少年など、実に様々な年齢層にわたります。

さて、今回の大群衆の様子に注目していますと、黒装束に身を包んだ人々の多くが、拳骨のデザインされた赤旗を掲げているのが見られるかと思います。この拳骨は抵抗の象徴とされ、ハーメネイー師が殉教した際に、抵抗の証として左手を拳骨に握った状態で発見されたことにちなむそうです。また、赤は流血、復讐を意味し、アラビア語の文句は、西暦680年に当時の暴君側の軍勢と戦って殉教したシーア派3代目イマームホサインに呼びかけるもので、「おお、ホサインよ、我らはそなたの御前にいる」という意味だとされています。

ホサインとは、シーア派3代目イマーム・ホサインのことで、この人物はイスラムの預言者ムハンマドの孫にあたり、イスラムの預言者一門の1人とされています。彼は、イスラム暦61年モハッラム10日に当たる西暦680年10月10日)、イラク南部カルバラーの地で当時のイスラム世界を支配していたウマイヤ朝の暴君ヤズィードに対抗し、戦力面で圧倒的に不利、不平等な条件で凄惨な死闘に挑み、殉教を遂げたことで知られています。先だってのアメリカとイスラエルによる戦争で殺された故ハーメネイー師も、シーア派イスラム教を国教とするイランの最高指導者として、シーア派の殉教者として名高いイマームホサインのごとく、また1979年に勃発したイラン・イスラム革命最高指導者として、この革命の道において殉教したと見なされています。

テヘラン市西部のエンゲラーブ広場に取り付けられた、抵抗の象徴を示すハーメネイー師の拳骨

テヘラン市南部モサッラー大礼拝所での葬儀の様子(7月6日)。すでに相当の高温のため、ミストが散布されています。

そして翌日7日午前からは、イラン国内のシーア派聖地として知られる、テヘラン南方コム市に場所を移し、ここでも壮大な葬儀が実施されました。この地にはイスラム神学校が存在し、海外から留学中の神学生も多く、著名なジャムキャラーン・モスクもあります。聖地コム近郊にあるジャムキャラーン・モスクでの葬儀にも、酷暑の中大勢の追悼者が参集

ジャムキャラーン・モスクに通じる「大預言者」大通りにも追悼者の大群衆が集結。コム市内にあるマアスーメ霊廟までのルートは約7㎞に及ぶとのこと

続いて、現地時間の7日夜には、故ハーメネイー師の棺は隣国イラクに移され、ここでもイラク市民らの熱烈な歓迎を受けました。現地での一般の儀式に人々が参集したのは、翌日8日からです。イラクの聖地ナジャフでも、市民らがイラク・イラン国旗やハーメネイー師の肖像画を掲げてお出迎え

イラク人もイラン人も一丸となって葬列に参加。イラクでの葬儀にもイランから大勢が参加しています。ナジャフは普段から多数のイラン人巡礼者が訪れています

また、イラクでの注目すべき動向の1つとして、国境などを初め、葬儀に向かう人々が通る沿道などに、無料で飲食物を配るなどのほか、救護・応急手当などのサービスを無料で提供するサービス・テントが設けられたことが挙げられます。こうした救護所はモウキャブ・ホセイニ―と呼ばれ、ハーメネイー師の追悼に対するイラク市民の思い入れがうかがえます。イラン・イラクを結ぶホスラヴィ―国境に設けられたサービス・テント。これらの人々は決して報酬を期待することなく、神そしてハーメネイー師追悼の感情のみで奉仕に当たっています

ハーメネイー師の遺影を掲げるイラク人女性(ナジャフにて);「ハーメネイー師を決して忘れません」

「我々イラク人シーア派教徒の指導者でもあるハーメネイー師は永遠に不滅」

ナジャフでの葬列の様子。大通りに群衆が集結;「ハーメネイー師はイスラム共同体の指導者」

ナジャフに到着した、故ハーメネイー師の棺。生前に被っていたターバン(ペルシャ語ではアンマーメ)が置かれています

また、イラクにあるもう1つのシーア派の聖地・カルバラーでも市民らが熱烈に歓迎し、大規模な葬儀が行われ、多くの人々が参集しました。当局の発表によりますと、カルバラーでの葬儀への参列者は述べ400万人以上と言われています。ちなみに、カルバラー市内にあるこの橋は、筆者も昨年3月末に訪れたことがあります。カルバラー市内のイマームホサイン霊廟にほど近い橋やその近辺に群がり、故ハーメネイー師を出迎える人々

イマーム・ホサイン霊廟内に参集した市民ら。筆者も昨年行ったことのあるモスク

イマーム・ホサイン霊廟前で、3人の最高指導者の肖像画の入ったイラン国旗を掲げ記念撮影

イラクでもイランの国旗と3人の最高指導者の肖像画を掲げて群衆が大行進(カルバラーにて)ハーメネイー師と一緒に殉教した同師の孫娘の遺影を掲げるイラク市民;「こんな幼い年で最高指導者と一緒に殉教したこの子は必ず神様が祝福する!」

隣国のイラクでも複数都市でこのように盛大な葬儀が行われていることから、イランと同じようにシーア派教徒の多いイラク、そしてイラク国民にとっても、ハーメネイー師の存在は極めて大きく、彼らの意識の中でハーメネイー師が大きく位置付けられ、決して他国の出来事ではなく自らにとっての一大事としてとらえている様子がうかがえました。

このように、今回の葬儀はテヘラン、聖地ゴム、イラクのナジャフ及びカルバラーで約1週間にわたり行われました。そして、これらの一連の葬儀・追悼式典を終えた後、ハーメネイー師らの棺はイラン北東部ホラーサーンラザヴィー州の聖地マシュハドに移され、同地にある著名な巡礼地・シーア派8代目イマームレザー霊廟に埋葬され、永遠の眠りにつくことになりました。ちなみに、マシュハド市は故アリー・ハーメネイー師の生誕地でもあります。故ハーメネイー師の長男、モスタファー・ハーメネイー師(中央)が、マシュハドでの葬儀の最後にの祈祷を実施

イマーム・レザー霊廟(中央の黄金のドームのある建物)での葬儀に向かう市民らの行列。英語によるトランプ米大統領への復讐を示した横断幕も。

イマーム・レザー霊廟に続く大通りを埋め尽くした大群衆

老若男女と言うにふさわしい、様々な年齢層の男女がハーメネイー師の追悼という1つの目的に向かって行動

マシュハドでも他都市と同様、ハーメネイー師と共に殉教した家族らの棺のそばを大群衆が取り囲む

今回の一連の葬儀の模様は、イランやその近隣国はもとより、日本や世界の有力なメディアでも報じられており、ハーメネイー師がイランやイスラム圏、ひいては世界に影響を及ぼす有力者であり、相当数の支持者を有していたことをうかがわせます。確かに、戦争開始当初こそ、主に在外イラン人に多いとされる、いわゆるイラン反体制派・反ハーメネイー派の動向が対抗勢力として報じられていました。しかし、ここのところはハーメネイー師の葬儀の盛大さ、熱狂ぶりの方がクローズアップされています。しかも、この葬儀が「世紀の葬儀」「英雄伝」とも評されていることは、この人物が賛否両論はあれど、決してぶれることのない終始一貫した主義・思想・理念を掲げて、長期間にわたり1つの国家を主導してきた偉大な人物であったことを物語っています。

なお、イランおよび隣国のイラクでも大々的に行われたこの一連の儀式に、現最高指導者であるモジュタバー・ハーメネイー師は参列していない模様です。モジュタバー師については、去る2月28日に実父である先代最高指導者アリー・ハーメネイー師の殉教に伴い、現最高指導者に就任して以来、公の場に全く姿を見せていません。モジュタバー師は、亡き先代最高指導者及び、先の戦争での殉教者の復讐・仇討への強い決意を表明していますが、今回の葬儀にもモジュタバー師の姿は一切見られていません。これは、伝えられるところでは安全上の理由からだと言われています。

ところで、ハーメネイー師の国葬の一連の流れを見ていて、つい4年前の安倍元首相の葬儀を思い出さずにはいられませんでした。この時も、銃撃の現場となった近鉄大和西大寺駅前を初め、各地に献花台が設けられ、大勢の人々が行列をなして献花に訪れ手を合わせていたこと、棺が自民党前に加えてあちらこちらをお別れに回っていた際、葬儀場となった増上寺はもちろん、沿道にも大群衆が集結し声援を送っていた光景が、今なお目に浮かびます。このことから、今回のハーメネイー師の国葬に大勢のイラン市民が参集していた光景は、4年前の安倍元首相の葬儀や追悼の様子を想起させるように感じられました。大群衆に見送られる安倍元首相の棺(2022年7月)

ハーメネイー師は2019年6月、日本の現職の首相として41年ぶりにイランを訪問した当時の安倍首相と会談しています。ハーメネイー師はイランの最高指導者として37年間にわたりイランを主導してきました。一方の安倍晋三氏は、日本の国家元首たる首相として日本の歴代政権の中で最長の在任期間を誇っています。また、安倍首相は地方での参院選の応援演説中に凶弾に倒れ、ハーメネイー師はアメリカ・イスラエルによる対イラン戦争の開戦の出だしで爆撃により命を奪われており、ともに長期間君臨した国家のトップとして突然の非業の死を遂げているという点で、この両者には大きな共通性があるように思われます。安倍晋三首相と会談するハーメネイー師(2019年6月、テヘランにて)

イランは本年2月28日、アメリカとの協議の最中に突然、アメリカとイスラエルの攻撃を受け、いきなり当時の最高指導者ハーメネイー師らを初め、多数の政府高官や軍幹部らが命を奪われました。続いて、南部ホルモズガーン州ミーナーブの小学校爆撃、首都テヘランを初めとする多数の都市・地域への爆撃など、2026年上半期はイランにとって大きな危機・大いなる試練の時期だったと考えられます。また、国内外の双方においてイラン国民が現体制の支持派と反対派に分かれるなどの現象が見られた時期もありました。しかしながら、昨今のイランを見ていますと、ハーメネイー師を初めとする政府の上層部や軍幹部らの殺害、そしてハーメネイー師とその傍らで共に殺された家族らの葬儀という一大イベントをきっかけに、イラン国民が戦争前や開戦当初よりも逆に結束を強め、ハーメネイー師らの仇討ち、侵略者や覇権主義者への更なる抵抗、戦争や制裁にもくじけない一層の国家発展を目指しているように見受けられます。

実際、アメリカやイスラエルにより、イランは全国隈なくとは言えないものの、相当多い箇所を空爆されていながらも、イランの国力や勢い、躍動性、国民の精神力は決して衰えていないと思われます。その例として、日本や諸外国のメディアでは報じられていないかもしれませんが、驚いたことに、戦争終結に向けたイスラマバード覚書の調印前の去る6月2日には、610床以上を有する西アジア最大規模のガン専門病院がテヘランに開設されています。戦争中テヘランに設立されたイランがん研究所病院(Cancer Institute)

イランの国力、躍進力、国民による復讐や抵抗への意思、苦難を跳ね返す力や回復力、レジリエンスには目を見張るものがあります。今回のハーメネイー師の葬儀を振り返って、同師への忠誠心を示し、故人となった同師の残した現体制を今後ともしっかり維持し、ハーメネイー師の歩んできた道や方針を着実に歩んでいこうとするイラン国民の気概が感じられました。

しかし残念ながら、このレポートをまとめている間に、「戦争終結に向けたイランとアメリカによる暫定合意が事実上崩壊した」というニュースが報じられました。アメリカ側がイラン南部の海水淡水化施設などの民間インフラを攻撃し、イラン側もクウェートなどにあるアメリカ軍基地を報復攻撃するなど、両当事国による報復合戦が激化し、ペゼシュキヤーン大統領による全面戦争への突入が宣言されています。イラン側は「徹底抗戦」「殉教者の復讐」を強調するなど強硬な姿勢を示しており、しかもアメリカ側が連続でイラン南部を中心に攻撃するなど、イラン情勢は益々予断を許さない状態になってきました。

ハーメネイー師国葬中のロゴマーク;「イランの殉教した男の葬送」、拳骨は抵抗の象徴

今回、首都テヘラン、テヘラン南方の聖地ゴム、シーア派の聖地を擁するイラクのナジャフ及び、カルバラー、そして再びイランに戻り最終的な埋葬地である北東部マシュハドでの一連の葬儀の様子を目の当たりにして、先代イラン最高指導者ハーメネイー師がいかに大勢の人々に支持され、慕われているかが見て取れました。去る2月28日の米・イスラエルによる爆撃を受けた際、ハーメネイー師は自らの執務室にて執務中であり、しかも息絶えた際には左手を拳に握り、最期の時まで抵抗の精神を示していたそうです。またイランの複数都市を初め、隣国のイラクでも盛大な葬儀が行われ、大群衆がそれに涙し、敵への復讐を誓い、最終的には自らの生誕地であるマシュハドに、イラン国旗に包まれた棺とともに埋葬されるという、まさに「イラン人男性の中の男性」というに相応しい最期の姿だったと言えるのではないでしょうか。長年にわたり、いわゆる世界の超大国とされるアメリカとの確執を抱え、同国による制裁に対峙しながらも、自らの信条に基づきイランをここまで統治・主導してきた揺るぎない姿勢とその精神、生き方に1人の日本人として心から敬意を表するとともに、ご冥福をお祈りする次第です。

繰り返しになりますが、ハーメネイー師とともにこれまで数十年にわたり、イランが戦争や制裁の影響を受けながらもそれにめげることなく、国内の可能性に依拠して独自の発展を遂げ、逆境を発条に成長してきたことは、実に表敬すべき点だと思われます。困難に直面しても、「この逆境から何を学べるか」「この困難は自分に何を教えようとしているか」「苦難を機会に転じさせてどう成長できるか」という姿勢は極めて大切だと思われ、イランから遠く離れた私たちの一般生活においても、イランは正にこうした考え方や行動の手本になりうるのではないでしょうか。しかし、それとは別に、収束可能な事態や不要な戦争の回避も重要だと思われます。故ハーメネイー師の国葬も終了し、一連の儀式がひと段落した今こそ、今度は一刻も早い事態の収束に向けた当事国の賢明な行動と判断を願いつつ、今月のレポートを締めくくりたいと思います。

ABOUT ME
yamaguchi
IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。