「トランプ氏は対イラン戦争からの離脱の道を模索中」の宣伝版(テヘラン市内の地下鉄構内にて、Mさん提供)
米ニューヨークタイムズ、ハフポストなどの名前を列挙し「西側メディアは敗北を認めた」と宣伝する看板
座り込みにより最高指導者と現体制に忠誠心を表明
去る2月28日以来、イラン情勢が俄かに全世界で注目を集めています。これまでに現地の日本大使館は危険情報を発し、在留邦人を対象に退避勧告を出したり、最新情報を獲得して身の安全に努めるよう呼び掛けてきました。また、日本の外務省もイラン全土の危険度を最高レベルの4に引き上げ、渡航中止・即時退避を勧告しています。現在では一時的に停戦が成立し、爆撃などの戦闘行為こそ起こっていないものの、今もって予断を許さない状態が続いています。
衣料品店に並べられたTシャツに「WAR(戦争)」の文字が。国民生活は普通に営まれているものの、そこはやはり戦時下であることを感じさせます
国旗を振り、先代最高指導者ハーメネイー師と新最高指導者モジュタバー師の肖像を掲げ体制への忠誠心を示す人々
現地の日本大使館などの情報によりますと、先だってようやくテヘランのイマーム・ホメイニー国際空港が再開し、トルコ・イスタンブール、オマーン・マスカット、サウジアラビア・メディナ、ロシア・モスクワなどとを結ぶイランの航空会社の便が復活したとのことです。しかし、外国の航空会社の乗り入れはまだ再開されていないとのことでした。また、こうした便を利用してイランに入国する外国人もいるものの、今なおイランからの海外ネット通信は遮断されているということです。そのため、イラン滞在中は国内はともかく、国外とのネット通信ができないことからかなり不自由であるとされ、以前のように心置きなくイランと海外を往来できるにはまだ時間がかかりそうな気配です。現地にイラン人の夫がいる筆者も、何とか状況が落ち着いてしばらくぶりにイランに行ける日を心待ちにしている毎日です。
そのような中、何とロシア・モスクワ勤務の日本人女性で、先月28日から今月12日までイランを旅行されたという方から、貴重な現地の情報を得ることができました。日本や海外のメディアでは、イランがアメリカやイスラエルによる大規模な攻撃を受け、甚大な被害を被ったと報じられています。しかしこの方のお話によれば、世界一の軍事力を誇るアメリカでさえも、日本の4.4倍もの広大な国土を誇るイラン全土を隈なく攻撃することはできず、実際には相当の地域が無傷のまま残っており、いわゆる戦災国、あたり一面焼け野原というイメージはなかった、ということです。また、市場にはふんだんに物資があふれ、買い物をする人々でごった返し、戦時下にありながらも人々が茶菓や果物、家庭料理に舌鼓を打っている光景が見られたそうです。
八百屋さんの店先で。ヘジャーブなしの女性も増えています
装飾品店にも、このご時世ながら品ぞろえが豊富です
果物の露天商。ちょうど旬を迎えている苺を中心にふんだんに新鮮な果物が並んでいます。イチゴは1パック150円ぐらい。
実際に、停戦後間もない、また今なお予断を許さないイランが現在どのような状況にあるのか、読者の皆様方もきっとご関心をお持ちのことと思われます。そこで今回は、2週間にわたり戦時下のイランを旅行され、しかも、このテヘラン便りの熱心な読者でもいらっしゃる日本人女性・Mさんからの報告・インタビューを交えながら、戦時下のイランの生のレポートをお届けしてまいります。今回掲載させていただいた写真は、全てMさんからのご提供によるものです。なお、ご本人様のご希望により、このレポートでは実名を伏せさせていただきますことをご了承いただければと思います。
さて、まずは今回ご登場いただくMさんのプロフィールをご紹介させていただきます。Mさんは、広島原爆記念日8月6日のお生まれで、伝統工芸が盛んな石川県出身の30代女性で、東京の大学卒業後はスイスとロシアの大学院を卒業され、過去スイス、アゼルバイジャン、タジキスタン、ロシア等の国際機関、外交、民間企業でのご勤務、2019年からはロシア・モスクワで金融機関に勤務されているご経験をお持ちです。また、これまで学業や仕事の合間で80か国ほど訪問した中、初めてのイラン訪問はスイスの大学院を卒業した2011年夏で、それ以降イランが大好きで合計7回訪問され、イランで好きなものは、街角によくあるその場で絞る新鮮なニンジンジュースと、イランの古式体操ズールハーネとのことです。
筆者(以下Q):とても輝かしいご経歴をお持ちでいらっしゃいますね。イランなど80カ国をご訪問されたとは、素晴らしい行動力とバイタリティをお持ちですね。うらやましい限りです。ところで、「テヘラン便り」をお知りになったきっかけはどのようなことでしょうか。特に、どんな内容にご興味をお持ちでいらっしゃいますか?
Mさん(以下M);2023年春に9年ぶりにイランへ行く際にネットで目的地を調べていたら「テヘラン便り」を見つけその後3年以上愛読しています。おかげさまでペルシャ湾のゲシュム島の情報収集もできました。旅が好きなのでガイドブックには載っていないイランのマイナーな地方が興味ありますが、イランの手間暇かけた美味しいご飯やその由来を知るのが好きです。
Q.それは、執筆者として本当に光栄です。普通のメディアにはまず出てこないであろうと思われる、イランの知られざる魅力を知っていただけて嬉しい限りです。ところで、今回で7回目のイランご訪問とのことですが、戦時下にあるイランを振り返られて、今回のイランに全体的にどのような印象を持たれましたでしょうか?
M;今回の訪問前はメディアではイランでの悲惨な空爆の姿ばかりを見ていたのでテヘランも30%ぐらいは空爆されているのではと思っていたのですが、実際にはテヘランはごく一部の空爆でした(もちろんそれがいい、それでほっとしたという意味ではありません)。やはり空爆が激しかったテヘランの人からは少し笑顔が減っているなという印象で、空爆の被害が少なかった北東部の聖地マシュハドや東部・南ホラーサーン州ビールジャンドは皆さんいつも通りの笑顔でした。空爆や直接的な戦争は2026年5月時点でほぼ終わっているとイランの人は認識していますが、みなさんまたいつ空爆が起きてもおかしくないと思っています。
戦時中であっても人々の集まりは穏やかで仄々した雰囲気を感じさせます
私は金融機関勤務であることもあってやはりイラン国内のインフレが空爆よりも大きなインパクトがあるかと思います。不満を持つ人がほとんどですが今は戦時下だから仕方ないし、文句ばかり言ってもよくないので皆さん、お肉や卵が高くて買えないのであればお豆をたくさん使うなど工夫しているのはイランのたくましさだなと思いました。2019年から住むロシアも、インフレが激しく物資不足だったソ連時代を経験している年配層は割と我慢強いですが、2022年ウクライナ情勢が始まった時はロシアもインフレが一時期高くなったものの、若い世代のロシア人は我慢や発想がなくロシア人年配層やイラン人のような節約傾向はありませんでした。イランイラク戦争で大変だった80年代にイラン全土で放送された「おしん」という日本のソフトパワーのおかげでしょうか(笑)イランの方はよく広島や長崎に原爆を落とされて戦後の焼け野原から日本はなぜ世界2位の大国、絶対に壊れない優れた製品を作れるようになったのかをいつも尊敬の念を込めてほめてくださいますよね。
昔ながらの日本のテレビ番組はイランのお茶の間で大人気。たまたまテレビをつけたら出てきて驚きました
Q.なるほど、非常にたくさんの、色々な場面を見てこられたのですね。では、今回のご訪問で、特に印象に残ったことはどのようなものでしょうか?
ー上記に示したようにイラン人の忍耐強さと絆を大切にすることですね。今回はイラン東部・南ホラーサーン州の中心都市ビールジャンドという地方都市に行きましたがそこでの手織りタオル職人の女性たちとの交流が忘れられません。
(以下MさんのNote5月6日の抜粋)
https://note.com/mikitsuda/n/nd541ee9c00a1)
とっても快適だった7-8時間の夜行バスを経て北東部の聖地マシュハドからさらに南下した街ビールジャンドへ。この街は2024年春のイラン旅行時、南東部ケルマーンで出会った看護学校同級生女性たちの出会いがきっかけです。旅って数珠つながりですよね、特にイランについては、そのように感じます。2年前はビールジャンドという街も知らなかったものの、彼女たちもとてつもなく親切だったので2026年のマシュハド旅行中に行ってみようと思い計画を練っていました。ただ今回はイラン滞在中はインターネットが使えないため、モスクワから飛行機が離陸する直前までずっと英語で集めた旅行情報や地図のスクリーンショットを300枚撮っていました。
それでもはやはりGPSやインターネットがない情勢下で、目的地に到着はかなりの至難の業ですが、私はもともと人に道を尋ねたり、写真をとってもらったりの会話からさらにつながるのが大好きで、イランは人を信じて頼って偶然の出会いや予想外を楽しむセレンディピティ(Serendipity)溢れる国です。A型きまじめ冷静なアナリストとB型自由奔放芸術家の両面を持つ典型的なAB型の私なので、今回はモスクワからの離陸直前まで自分でやれることはやったので現地イランでは風任せにすることにしました。そうしたら街歩き初めに訪問した南ホラーサーン民族服博物館で薔薇で有名な中部イスファハーン州カーシャーンからやってきたモハンマドさんというイランの伝統工芸を専門としている博士課程の学生さんと会い、ちょうどインタビュー調査しに来ている彼と意気投合したので、翌日まで一緒に行動することにしました。
中部イスファハーン州カーシャーンのバラは特に有名
正直、ビールジャンドが手織りタオルで有名だとは全く知識がありませんでしたが、モハンマドさんの職人さんへの丁寧な聞き取り調査を隣で見ながら、他の職人さんと話したり、出来上がった作品をいつもよりじっくり眺めることができました。私は割とせっかち、生き急いでいるところがあります。限られた有給ならば(=有給に戦時下のイラン15日行くのもどうかと思いますが笑)ますます私は予定でがんじがらめにしてしまうタイプですが、ペルシャの諺には「急ぐのは悪魔の仕業Haste is of the Devil」という言葉がこのビールジャンドでも私に当てはまったのかもしれません。
私は日本で最も伝統工芸・民芸が盛んな石川県の九谷焼の産地で生まれ育ち、九谷焼も学校の部活などを通して10年趣味で触れ合っており、お隣福井県にゆかりがある明治時代思想家・岡倉天心が大好きで、彼が日本の首相だったらきっと今の日本だって変っていたはずだと中学生のころから思っていました。彼の1903年出版『東洋の理想』の冒頭にある「アジアは一つAsia is one」という有名な言葉、日本もイランも我々アジアは芸術や社会において西洋とは全く違う独自の一体性を持ち、アジアないの連帯を強く訴えた方です。また以前の記事に書いたようにアメリカ人から「Donkey(バカ、ロバ)かMonkey(サル)か」と侮辱するような質問を受けた際、彼は「We are Japanese gentlemen. But what kind of ‘key’ are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?(我々は紳士たる日本人だ。お前こそなにキーだ?ヤンキーか、ドンキーか、モンキーか)」と返答したことで有名ですよね。
先代最高指導者ハーメネイー師やイラン革命創始者ホメイニー師、三色旗をあしらった愛国グッズも販売
人一倍日本も世界の伝統工芸・民芸に関心がある私としては彼女たちの手織りタオルという身近な民芸品を、モハンマドさんの丁寧な学術的聞き取り調査を待つ時間にじっくり触れることができ、日本の故郷の民芸を思い出しました。手織りタオル職人の彼女たちも、戦争や2025年8月末からの英仏独が国連安保理へイランの核合意違反(=ではなぜイスラエルは制裁を受けないのだろうか?典型的なダブルスタンダードですよね。)と約10年ぶりの国連の対イラン制裁が復活し厳しいインフレ、それによる海外への輸出が困難になったようで大量の在庫を抱えていました。今回の私の旅はなるべく地方でお金を落とすことを目的にしていたのもありますが、何よりも彼女たちの織っている手織りタオルが温かみ、デザイン、機能性の良さで他にはないと思い今回はたくさん買いました。
非常に感銘を受けたビールジャンド製の手織りタオル
独特な織機を使用しての伝統的なタオル製造の様子
旅先では直感で判断や物を購入しますが、その中でも一目ぼれした紫と黄色のバックがあり、このバックを買いたいから値段を教えてほしいと聞いたところ手織りタオル職人のリーダーさんが「あなたは、国内外からの観光客がもともと少ないこの街に、7回も、しかも戦争中にイランを訪問するぐらい私たちの国が大好きな人だからこのバックのお代はいらない、あなたにプレゼントしたい」と言われた時には、私も彼女も目頭が熱くなりました。あぁ、これが1953年日章丸事件と同じイランの良さなんだと。当時イラン・モサッデク首相はイギリスの厳しい経済封鎖下にあったイラン産石油をあらゆる困難をかいくぐって買い付けに来た日本の出光興産のタンカー日章丸に対して「代金はいらない」と言った大切な歴史を想起しました。しかもそれが、73年後ただの個人旅行者である私に起こるなんて。
ヤマハの楽器を手にした男性。日本製品は非常に人気があり、ここでもイランが親日国であることを感じさせます
ただ流石に私は無料でこのバックを頂くことはできなかったので何度か彼女に値段を聞きその金額を払いました。正直その2-3倍払っても私は購入する予定したが、金にものを言わせたくない、彼女たちはお金を求めている乞食ではなく、ものづくりに携わる立派な職人さんたちです。私はテヘランでは赤新月社に寄付をしに行きました。しかしこのビールジャンドでの手織りタオルは職人さんの言う適正価格を、感謝の気持ちを込めてしっかり払うことこそ消費者の礼儀でしょう。彼女たちが何日もかけて手織りしているバック、ちゃんと代金を支払えば彼女たちの家族で美味しいもの食べることができる姿が脳裏に浮かんできます。
加えて私の故郷石川県加賀地方は繊維産業でかつては有名だった場所で、祖父母の時代には家族経営の繊維産業に従事していた人が沢山いました。今のイランと同様戦後の厳しい経済事情で技術力を高めながら、金もうけではなく人に役立つ製品を作るため、経済的にも困難な時代家族が食いっぱぐれないように生き延びた歴史があります。私の祖父母も第二次世界大戦期はアメリカによる空爆で疎開したり、空爆を目撃したりしていました。職人さんたちの話と、戦前祖父母が話していたことがこの日でリンクし、80年以上前の空爆と厳しい経済下にあった日本も、今のイランも同じで、まるで追体験しに来ているのかのようです。ときっとこの日の伝統工芸を専門とするモハンマドさんとの出会い、2年前のケルマーンでの出会い、素敵な手織りタオル、バック、岡倉天心、九谷焼、祖父母の歴史、石川県の繊維産業が一気に青い空の上で結ばれた日だったんだろうなと思いました。私のペルシャ語は全くうまくはないですが、知っている単語単語をつなげて彼女たちにこのことを伝えられて、帰り際に熱く抱擁した時の彼女たちのぬくもりはバックを使っている時、そして多分生涯忘れることはないでしょう。
Q.仰る通りですね。アジアの両極端に位置しながらも日本とイランが古くから友好関係を育み、ある意味で共通していると思われる経験・歴史があることも、改めて大事にしたいポイントですね。奈良の正倉院にある五弦の琵琶が、ペルシャからシルクロードを経て日本に伝わっていることはよく知られています。また、中部イスファハーンは500年前には「世界の半分」とも評され、芸術と歴史の都でもあります。そうした伝統工芸や豊かな芸術文化を誇るイランですが、ご覧のように昨年末のデモに始まり、続いてアメリカとイスラエルによる攻撃に巻き込まれ、やっと現在の停戦に至っていますが、このようなイランでの一連の出来事をどのようにとらえておられますか?
M. 石川県の自然豊かな田舎育ちですし、インターネットはまだ世の中にはなかったものの読書などを通して幼いころからたくさんのことに興味を持っていた私は、12歳のころから国連などで働き、世界の戦争や経済問題を解決したいとずっと思っていましたし、そのためにフランス語を12歳から辞書を丸暗記し独学し20歳の頃には中央アフリカ共和国に赴きポジゼ大統領の日仏通訳をしていたほどです(わずか12歳にしてすごい決断力に驚愕!)が、東京の大学卒業後、国連のおひざ元のであるスイス・ジュネーブで学業を終え、念願の国際機関勤務をしながらもロシアやイランに興味を持った時に国際機関はどうしても私にはしっくりこないと思っていました。国際法や人権、グローバリゼーション、国際開発、民主主義というツールは資源が豊かなイランや、欧米とは違う価値観で歩むロシアや中国、クリエイティブでモノ作りが好きで我慢強い日本を搾取し、苦しめる手段にしか思えませんでした。今回のイランでの戦争も、2022年からのウクライナ情勢もあまりにも欧米による勝手なダブルスタンダードでまかり通っており、イラク、リビア、アフガニスタン、ユーゴスラビアなどと同じような構図にしか見えませんよね。
2月28日の米・イスラエルの攻撃で殉教したものの、先代イラン最高指導者ハーメネイー師は今なお人々の心に生き続けています
Q.筆者自身も強く同感いたします。また、日本はもちろん、欧米諸国の有識者の中にも、同じような見方をする人は決して少なくないようです。そうした中でイランはまさに、アメリカ軸ではなく「自国軸」での言動を貫いているわけですが、停戦維持すらも不安定と言われる中、今後のイランにどのようなことを望んでいらっしゃいますか?
M.今回の戦争により不安定なのはイランだけではありません。2019年から私の住んでいるロシアも、特に2022年ウクライナ情勢からはずっと停戦維持や終戦が実現していないですし、今月(2026年5月)ですらもモスクワにもドローン攻撃が頻繁にありモスクワの空港の離発着への悪影響、インターネット接続問題、死者が出ています。日本も石油不足で生活がどんどん厳しくなりますし、アメリカやヨーロッパもそれぞれ深刻な国内情勢があります。欧米による47年も続くイランへの厳しい経済制裁はおそらく解除されないでしょうが、毎回イランに行くたびにこの厳しい経済制裁下でも反転するイランの底力を、金融機関勤務の身として「こんなに厳しい中でも自分たちの頭と手を使ってできる範囲で自国で生産消費できるのはすごいなぁ」と驚きます。今のイランはやはりインフレーションが深刻なので、インフレが落ち着きイラン通貨リアルが安定することを願っております。あくまでも個人的観測ですが経済制裁を科されたロシアのように、石油や天然ガスなどの外国への売買はドルや人民元ではなくイラン通貨リアル払いにすれば通貨が安定するのかと思います。ロシアも2022年前はドルなどの外貨払いでしたがそれ以降はロシア通貨ルーブル払いになったので、ロシアの天然資源を必要とする国は自ずとロシア通貨が貿易に必要になりそれがロシア通貨安定に寄与したことがあります。 ロシア国内決済システムである「ミール(Mir)」とイランの「シェタブ(Shetab)」、欧米からの経済制裁や国際的な銀行間通信網(SWIFT)からの排除に対抗するためそれぞれの自国通貨を用いた独自の銀行間決済網の接続を進めていることなども含め、イランの金融システムに関心があったので今回の旅行最終日にはイラン中央銀行に赴き担当者のお話をすることができました。アポなし訪問は大変失礼なのは重々承知ですがインターネット接続ができなかったためお詫びしたところ、警備や受付の方は必死に担当者を探してくださり、その方もお忙しいながらも時間を割いてくださったところからしてイランは柔軟性があるなぁと実感しました。
Q.さすが、金融機関にお勤めの方として鋭い着眼点だと思います。国際金融機関や国際機関のトップ、さらには各国の国家元首の方々に是非聞いてほしいご意見ですね!では最後に、テヘラン便りの読者の皆様に一言メッセージをお願いいたします。
M.2011年夏、私が初めてイランに訪問する前は「イラン=悪の枢軸」としか思っていませんでしたが、私たち日本人が思っている以上にもっとカラフルで、陽気で、楽しく、かつ忍耐強さやご縁を大切にする文化などは日本人のメンタリティにとても似ていて、悠久の歴史や伝統もあり、自然も本当に豊かでリピートしたくなる、イランの全部の街を訪問したいくらい魅力的な宝石箱です。「テヘラン便り」では山口さんの素敵な文章と綺麗な写真が魅力的です。戦後直後で両替やインターネットの問題が旅行者にありまだイラン訪問には適していませんが、イランが少しでも安定したらぜひ訪問されてください!
筆者;この度は、本当に素晴らしいご意見や貴重な最新情報、素敵なお写真の数々をご提供いただき、本当にありがとうございました。Mさんの益々のご活躍とご健勝をお祈りいたします。
今回、Mさんはお忙しい中、長時間にわたりご自身で見聞きされたイランの魅力について語ってくださいました。筆者自身も24年間と、決して短くはないイランでの生活の中で、実際に住んでみてこそ分かるイランの良さを実感したことを確信してはおりました、しかし、Mさんとのインタビューで、また新たな視点からイランの素晴らしさを捉えなおすことができ、改めてこの国にご縁があり長期間滞在してよかった、と感じています。
Mさんのお話の端々にも感じられたのですが、改めてイランは本当に躍動感や潜在能力、底力や躍進力、回復力を秘めた国であると再認識させられます。よく「戦争を経験してきた国は強い」と言われますが、アメリカによる戦争を経験したベトナムも大きく発展していますし、私たちの国・日本も、戦後の焼け野原から見事に復興したことは、世界に誇るべきことではないかと思われます。戦争で一度は破壊されたものの、そこから立ち直って更なる躍進を遂げるという「破壊と創造」の好例はイランにも当てはまると考えられ、特にこれほどの可能性や潜在能力を秘めた国であればなおのこと、大きな飛躍の前に一時的にかがむと同様に、イランは戦争という試練を発条にして、戦争を仕掛けたアメリカやイスラエルをも驚愕させるような躍進を遂げるのではないか、と個人的ながら予想しています。
特に、今回の戦争開始前にあっては、軍事力ではアメリカが圧倒的に勝るとも言われ、「数週間で終わらせる」「イランは無条件降伏を」などとするトランプ米大統領の強気の発言が目立っていました。しかし、いざ蓋を開けてみれば、アメリカは軍事力を誇る割にはそれに見合う圧倒的勝利を収めることはできず、逆にイランの底力や萎えることのないイラン国民の一丸となった戦意・気概、さらには思惑通りに進捗しない戦況に予想外の苦戦を強いられているようです。戦術や戦略面でもさることながら、特に人々の様子を見る限り、イラン国民は少なくとも精神面では決してアメリカやイスラエルに負けていないと感じます。
アメリカ製の飲料や菓子などに対し「今回は我々が制裁する番だ!」
大手ショッピングモールの看板。まさに今、米国側がイランの網に引っかかっているのでは?
幼児の描いた図画にも、「アメリカに死を」のスローガンとともに強い闘争心が感じられます
今回Mさんのお話を伺っていると、本当に彼女の並外れた行動力やバイタリティーがひしひしと感じられると共に、知られざるイランの魅力を実体験されたことが手に取るように明白に見てとれました。そして、戦争や制裁という、現在の日本では到底考えられないような苦境にありながらも、イランの人々が決して自分自身を見失うことなく、しっかりした信念や愛国心を持ち団結している様子、逆に逆境を跳ね返していこうという彼らの気概が感じられました。また、Mさんからご提供いただいた多くの写真からも、人々の間では苦境の中でも決して挫けない強い意志の一方で、「忙中閑あり」ともいえるような仄々とした雰囲気やぬくもりが見て取れます。このような、逆境にもめげないイラン国民の姿に、筆者自身も心温まると共に、心にぴしりと鞭打たれるような心が引き締まる思いを感じています。
地下鉄駅構内の掲示。「敵と戦う時はイラン人であれ!」
大勢の女性たちと食布(ソフレ)のそばに座り会食。女性のみの場なので、皆さんヘジャーブを外しています
イラン国民が真に敵視しているのは、あくまでも敵対行為の首謀者であり、決して他国民ではありません
テヘラン便りの筆者として、ネットが発達した現在でも何かと誤解されがちな、またそれほど良く実態が知れていないイランの良さを、このテヘラン便りをきっかけに知り、実際に現地に足を運んでくださる日本人が今後1人でも多く増えてほしいと願わずにはいられません。筆者はこれまで、実際に行ってみるまではイランに決して良いイメージを持っていなかったものの現地の現実を目の当たりにしてイランの印象が180度変わった、という方々に沢山お会いしてきました。
そもそも、イラン国民は本来イスラムの教えに沿った平和や他国民との友好を望むもてなし好きの国民であり、決して敵対を望んではいません。筆者の個人的な見解では、今回も成り行きからこのような事態に引き込まれ、敵国への抵抗・戦闘意欲をたぎらせているものの、それはあくまでも敵対行為の首謀者に対するものであって、彼ら自身も本心では一刻も早い事態の収束、そして他国や他国民との自由な交流、友好関係の構築を望んでいるはずです。
最後になりましたが、戦時下のイランを旅行されるというMさんの行動力に敬意を表すると共に、この度貴重なご経験や情報をご提供いただきましたことに謝意を示し、Mさんの今後ますますのご活躍、そしてイランが蛹から羽化する蝶のように、一連の試練を乗り越えてさらなる躍進を遂げますことを、長年イランとかかわってきた1人の日本人として心より祈願いたしまして、今月のレポートを締めくくりたいと思います。
地下鉄駅構内に掲示された、人々の戦意を鼓舞する内容の宣伝
「イランは常に勝者」を意味する落書き。いかなる苦境にあっても決して挫けないイラン国民の意思を表現
