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ペルシャ湾の港湾都市とゲシュム島の名所旧跡めぐり(1)

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1040259_61711ペルシャ湾と聞いて、皆様はまずどのようなイメージを持たれますでしょうか。石油を運搬するタンカーが頻繁に往来し、またイランをはじめとする多数の国の油田やガス田が存在するペルシャ湾は、どちらかといえば工業や産業地帯といったものを連想させるかもしれません。しかし、実際にはペルシャ湾はエメラルドグリーンに輝き、楽園のような雰囲気を漂わせるとともに、行楽やリゾート地として有名なキーシュ島、自然遺産や景勝地の多いゲシュム島などが存在します。また、ペルシャ湾岸には日本の横浜港に相当する有数の港湾都市バンダルアッバース、バンダルブーシェフル、バンダルイマーム・ホメイニーなどの大規模な港がいくつもあります。今回から3回にわたり、イラン南部・ペルシャ湾に浮かぶゲシュム島と、港湾都市バンダルアッバースの見所をご紹介してまいります。

ゲシュム島のあらまし

それではまず、ペルシャ湾に浮かぶゲシュム島についてごく簡単にご説明することにいたしましょう。ゲシュム島は、テヘランから南におよそ1400キロ離れており、ペルシャ湾のホルモズ海峡上に位置しています。島全体の長さは135キロ、総面積はおよそ1500平方キロメートルに及ぶイラン最大の島であり、沖縄本島を上回る大きさです。行政区分上は、ホルモズガーン州ゲシュム郡に属しており、総人口はおよそ10万人とされています。また、年間の平均気温は27℃で気候区分上は熱帯に属し、基幹産業は漁業となっています。また、この島から本土の港湾都市バンダルアッバースまではおよそ22キロ離れており、さらに近隣にはアラブ首長国連邦やオマーンなどが存在します。

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さて、今回はまずテヘランから空路でゲシュム島に向かいました。イラン国内を飛行機で移動するのは久しぶりです。飛行時間は、およそ1時間半。ゲシュム島に本社を置くイランの航空会社・ゲシュム航空に搭乗し、イラン中部の砂漠地帯を越え、本土を離れてペルシャ湾に出ると、窓からは広い範囲にわたる深緑色の樹林が見えました。ゲシュム島を代表する景勝地・マングローブの林です。今回の旅行では、このマングローブの樹林も見学先に入っており、早くもわくわくしてきました。いざゲシュム空港に降り立ってみると、11月であるにもかかわらず、さすが南国とあってぽかぽか陽気です。テヘランとは違い、全体的に浅黒い肌をした人々が多く見られます。空港で、テヘランやほかの町からやって来たツアーのお客さんも合流し、いよいよゲシュム島散策の始まりです。

ちなみに、下の写真の中央部に見える深緑色の部分が、マングローブの林です。

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ポルトガル人のイラン進出の名残「ポルトガル人の城砦の跡」

今回はまず、ゲシュム島の東端にありペルシャ湾に面した「ポルトガル人の城砦の跡」を見学しました。この城砦は1507年、ポルトガルの第2代総督アルフォンソ・アルブケルケの命令により建設されたものです。さんご礁の岩石を削る作業が難航した為、この城砦の建設には30年を要したといわれています。当時、スペインやポルトガルの国王たちはこぞって、世界各地を占領するよう命令を出します。しかし、中でもインドやペルシャ湾方面に進出したのはポルトガルでした。そのため、ペルシャ湾岸地域には、この城砦以外にもポルトガル人の城砦の跡がいくつも存在するということです。なお、この城砦は1622年、サファヴィー朝のシャー・アッバース大王の時代に、イマームゴリーハーン司令官の統率によるイラン人の凄惨な戦いの末、遂に115年間に渡るポルトガル人の支配から解放されました。さて、今回見学した城砦はイラン南部にある城砦の中でも代表的なものとされ、ペルシャ湾のホルモズ埠頭の付近という戦略的な立地条件にあることから、ポルトガル人たちの総司令部のような役割を果たしていたとうことです。敷地面積は1万1000平方メートルにも及びます。

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夕闇にそびえるこの城砦の敷地内に入ってみると、さんご岩とモルタルでできた灰色の防壁が建っています。高さはおよそ5,6、メートルほどでしょうか。防壁の外側には、当時のポルトガル人たちのものと思われる大砲が残っており、またポルトガル語らしい外国語で刻まれた石版も残されていました。

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この城砦の防壁はもともと2つあり、それぞれ四角形に囲まれた防壁の敷地内に監視塔と思われる塔の跡がありました。ポルトガル人たちは、この監視塔からペルシャ湾を航行する貿易船や軍船の様子を監視していたと思われます。防壁の内側に足を踏み入れてみますと、アーチ型の部屋や通路がいくつもあり、これらは兵器の保管場所や兵士たちの居室、捕虜の収容所、総督の執務室などに使われていたということです。さらに、ポルトガル人たちはキリスト教徒であったことから、この城砦内にはキリスト教会も設けられていたとされています。

ちなみに、下の写真はキリスト教会に使われていたとされる、城砦内のアーチ型の空間です。

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外に出て、防壁の敷地内を改めて見渡してみると、長さが20メートル、深さが5メートルほどはありそうな長方形の大きな窪みがありましたが、これは貯水槽として使われていたということです。

 

大自然の不思議の1つ「ホルベスの洞窟」

さて、翌日はさらに多くの見所を見学することになりました。まず訪れたのは、ホルベスの洞窟です。この洞窟は、ゲシュム市内から15キロほど離れた、ホルベス村とラムチャー村にまたがっており、ホルベスという名称はホルという地名と、地元の言葉で河川を意味するベスという言葉が結合したものです。それは、この洞窟がその昔、この地域一帯に広がる岩石を河川が突き抜けて形成されたことに由来しています、この洞窟は、紀元前8世紀から6世紀にわたって、イラン北西部に栄えたメディア王国の時代のものとされ、高さ2,30メートルほどの岩壁の中にあります。この洞窟は、メディア王朝時代にはゾロアスター教の礼拝所として使われていたということです。さらに、ゾロアスター教徒の遺骨を保存したり、海賊の襲撃を受けた際に、女性や子ども、高齢者をかくまう為に使われていたという説もあります。

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いざ、この洞窟のある岩壁の前に到着してみると、ベージュ色の岩肌がどっしりと目の前に広がり、幾層にも連なる地層が見え、地質学的に相当古いものであることが伺えました。岸壁の最上部は、城砦のような造りになっています。外側からは、洞窟内に入る為のいくつもの穴やトンネルが開けられており、これらはサーサーン朝時代とパルティア王朝時代に掘られたものだということです。

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早速、順路となっている階段を上って、トンネルの入り口から洞窟内に入ってみました。洞窟自体はかなりの距離に及び、途中に設けられた穴からは外の光が差し込んでいます。くねくねと曲がりくねった通路が幾重にも連なり、また数多くの部屋が設けられていました。通路自体は1メートルほどの狭いものもあれば広いものもあり、また天井はそれほど高くはありません。それぞれの部屋の大きさは4メートルX5メートルぐらいの大きさでしょうか。さらに、通路の壁の一部には人の顔やつぼ、動物の形が彫られており、場所によっては幾何学模様のようなものが彫られているところもありました。

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大自然の芸術「星の谷」

次に訪れたのは、ペルシャ語で星の谷と呼ばれる景勝地です。これは、砂や石灰を含むもろい性質の台地が、200万年ほど前に突風や季節的な大雨、つむじ風などによって侵食され、建物の廃墟や柱、古代都市のような面白い景観を作り出しているものです。この景勝地は、その珍しい景観からユネスコの自然遺産にも登録されています。このスポットが星の谷と呼ばれている理由は、一説によりますと、昔この土地に隕石が落下したことにより、このような地形が出来たと考えられていることにあります。早速、順路に従って、不思議な地形を作り出している砂岩壁の間を歩いてみました。アメリカのグランドキャニオンのように、壁や柱が連なっているようなところもあれば、イースター島のモアイの像のように、人の像が連続して並んでいるように見える場所もあります。大自然のなせる業の偉大さに、思わず息を呑んでしまうほどでした。なお、地元の人々の間では、このスポットにはジェンと呼ばれる邪神や幽霊が出る為、夜間にこの場所を訪れないほうがよいとされているそうです。

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次回も、ゲシュム島の魅力についてご案内してまいります。どうぞお楽しみに。

ABOUT ME
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IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。