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ペルシャ湾の港湾都市とゲシュム島の名所旧跡めぐり(3)

 

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今回は、イラン南部・ペルシャ湾方面への旅行記の最終回をお届けいたします。

世界最長を誇る「塩分の結晶の洞窟」

これまで、ゲシュム島にある様々な景勝地や名所旧跡をご紹介していまいりましたが、今回はこの島の見学コースで最後に訪れた景勝地であり、世界で最も長い「塩分の結晶の洞窟」から始めたいと思います。この洞窟は、通称「塩の洞窟」とも呼ばれ、ゲシュム市内からは約90キロ、海岸からはおよそ2キロほど離れた島の西部にあります。この洞窟の全体の長さは6400メートルに及びます。

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さて、宿泊先をチェックアウトし、この洞窟に向かってペルシャ湾岸沿いを車で走りました。その途中にも、目の前の穏やかなペルシャ湾の他、地質学的に相当古いと思われる地層や、先だって見学したグランドキャニオンのような岩壁など、自然の絶景がいくつも見られました。本当に、ゲシュム島は島全体が自然遺産であるといっても過言ではありません。

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こうして、周りの景色を楽しんでいるうちに、今回のゲシュム島見学のクライマックスである「塩の洞窟」に到着しました。車から降りてみると、洞窟に入る前の入り口の周辺までもが、既に塩分で一面真っ白です。

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ギシギシと音を立てて塩分の結晶を踏みしめながら、いざ洞窟の内部に足を踏み入れました。それほど深入りするつもりはなかったものの、先に進むに従って光が薄くなるため、懐中電灯が必要になります。洞窟内には水が流れている箇所もあり、塩分の濃度が相当に高いせいでしょうか、その脇には幅の広い真っ白い帯状の塩分の固まりができていました。この塩水と、ゲシュム島の湿り気の多い気候により、塩分の結晶が作られ無数のつららができているということです。辺り一面に無数に存在する塩分による真っ白なつららが、何ともいえない独特の光景を生み出しており、まるで雪景色や樹氷を見ているような感じを受けました。塩分のつららは、まっすぐなものばかりではなく、ジグザグに曲がったものもあり、またごく小さいものから長さ数十センチに及ぶ長いものもあります。なお、地質学的な調査によりますと、この洞窟はおよそ6000年ほど前にできたものだということです。

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フェリーでゲシュム島から本土のバンダルアッバースへ出発

さて、私たちは「塩の洞窟」の見学を終えて、いよいよゲシュム島を離れることになりました。今度は、ゲシュム島のラーフト埠頭からイラン本土のポル埠頭までの最短距離を結ぶ、1000トン級のフェリーに乗って出発です。一般の乗客は勿論、乗用車やバス、大型のダンプカーやトラックも乗船し、ゆっくりとペルシャ湾の海上を進んでいきます。からりと晴れ上がった、さわやかな陽気のもと、沢山のカモメが群れをなして飛んでいく光景を楽しんでいるうちに、あっという間に時間が過ぎ、ポル埠頭に到着しました。所要時間は、およそ2,30分ほどだったでしょうか。フェリーから降りて、今度はここから100キロ近く東にある港湾都市・バンダルアッバースに車で向かうことになりました。

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イラン最大の港湾都市バンダルアッバースの歴史と概要

それではここで、イラン最大の港湾都市バンダルアッバースとその歴史について大まかにご説明することにいたしましょう。この港町は、およそ60万人弱の人口を有するホルモズガーン州の中心都市であり、テヘランから南におよそ1330キロ離れています。バンダルとはペルシャ語で港を意味し、アッバースとはサファヴィー朝のイランの王の名前です。この港は、1514年にペルシャ湾岸地域に進出してきたポルトガル人に占領され、当時は商品の積み出しに使用されていました。また、当初はバンダル・ガンブロンと呼ばれていましたが、一説によりますとこれはポルトガル語でカニを意味する言葉に由来しており、その理由はこの地域にカニが多く見られたからだとされています。1622年に、当時のイランの王アッバースが、この地からポルトガル人を駆逐した功績を称えてバンダルアッバースと改名され、現在に至っています。

この町は、熱帯気候に属し、1年間のうち9ヶ月間が夏、残り3ヶ月は温暖な状態が続きます。主な産業は漁業、農業、海運業、造船業、観光業となっており、イラン最大の玄関口の1つとしてイランの経済や貿易に大きな役割を果たしています。

 

魚を使ったイラン南部の郷土料理・ガリエマーヒー

さて、この港町ではまず、昼食にこの地域でよく見られる、魚を使った郷土料理ガリエマーヒーを食べました。これは、玉ねぎと地元の野菜のみじん切りを炒めたもの、白身の魚の切り身、すりおろしたニンニク、ターメリック、タムレヘンディーと呼ばれる独特のペーストの煮込み料理です。それぞれの材料の風味が見事に融合し、また独特のペーストによる甘酸っぱさも加わった南国の風味を、サフランで色づけしたライスとともに大変おいしくいただきました。このメニューは、テヘランではあまり見られないため、改めて南部に来ていることを実感しました。この料理は、この町の他にも、イラン南部のその他の地域でよく見られます。ちなみに、イラン南部では標準的な煮込み料理にも辛味と酸味を加えることが多いということです。

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イスラム圏に残るヒンドゥー教寺院

バンダルアッバース市内の見所の1つは、この町に残っているヒンドゥー教寺院です。この寺院は1891年、当時この町を支配していたモハンマド・ハサン・ハーン・サアドルマレクの時代に、インド人の商人によって建設されました。そもそも、イスラム圏であるこの町にヒンドゥー教寺院が建設された理由は、当時この町には多数のインド商人が来航、在留しており、イスラム圏における彼らの宗教的なより所が必要となったことにあります。早速足を運んでみますと、ドームの部分に独特の趣向が凝らされており、一見してインド風の建物だとわかりました。全体的にはイラン・イスラム風でクリーム色のドームのついた建物ですが、壁は白一色で特に装飾はありません。しかし、ドームの周りには小さな方錐型の塔がいくつもあり、さらにドームの一番高い部分に装飾を施した錐のようなものが立っており、ヒンドゥー教の雰囲気をうかがわせます。

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中に入ってみますと、白い壁にいくつものイスラム風の壁がんが存在します。さらに、壁にはインド人とイラン人の共同制作といわれる大きな壁画が残っており、これにはクリシュナとラーダと思しき、冠を被り横笛を吹いている男性と女性が描かれていました。しかし、かなりの部分が損傷しているため、数年前から修復作業が行われているということです。

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昔ながらの浴場「ギャッレダーリーの浴場」
さらに、もう1つの見所として、ギャッレダーリーの浴場があります。これは、200年ほど前のガージャール朝時代に、ハージー・シェイフ・アフマド・ギャッレダーリーという著名な大商人によって建設され、モスクに寄付されたことから、この人物の苗字が浴場の名前につけられました。この浴場は現在、イランの歴史遺産にも登録され、バンダルアッバースが属するホルモズガーン州の民族博物館の一部となっています。さて、この浴場の建物の外壁をよく見てみますと、モルタルの他に貝殻や海綿などを含んだ岩石が使われているのが分かりました。これは、地元ので取れた岩石で、湿気をよく吸収することからこの資材が使われているということです。

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敷地内には燃料の貯蔵庫、火を燃やす釜、煙突、燃料の燃えかすを溜める場所、5つのドームなどがあります。当初は、薪が燃料に使用されていましたが、その後次第に石油が使われるようになりました。この浴場で使用される水は、深さ10メートルもの井戸からくみ上げられ、昔はその井戸水を貯水槽まで運搬するのに牛が使用されていたとされています。

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さて、玄関口から浴場の建物の中に入ると、四方の壁にこれもモスクのような大きなアーチのある浴場がありました。奥行きは30メートルほどはあったでしょうか。その中央部には、掘り込まれた床に八角形の形をした浴槽があり、その周りに入浴の際に使われていたと思われる桶などの品が置かれ、当時の様子を復元していました。当時、人々はこのスペースで体を洗い、また壁にはさらに人間の身長より高めのアーチ形の壁がんがいくつもあり、この箇所は脱衣所として使われていたとされています。さらに、この浴場のアーチ型の天井には、4つの小窓があり、光を取り込むとともに、室内の換気の役割も果たしていたということです。

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バンダルアッバース市内の市場の様子

さて、全ての日程を終え、テヘラン行きの飛行機に乗る前に、バンダルアッバース市内の市場を見学することにしました。まず、決して見逃せないのは魚市場です。日本ではあまり見られない魚や、逆にイランでは珍しいカニを販売しているコーナーもありました。

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売り子さんの中には、色柄物のチャドルをまとい、仮面で顔を隠した女性も大勢います。その場で次々に魚を切り身にしている人、水揚げされた魚を誇らしげに掲げて見せる人など、様々な光景が見られました。ただ、日本のように威勢のよい呼び声は聞かれず、それぞれの売り子さんが手早く必要な会話を交わしていました。

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そして勿論、伝統的なバザールも見逃せません。衣類や食料品、香辛料、手工芸品などを売るお店が、屋根つきの敷地内に軒を連ねており、さながら上野のアメヤ横丁が思い出されました。非常に興味深かったのは、近代的なショッピングセンターのすぐ隣の広い敷地で、青空市場が開かれていたことです。ここでは、地元で取れたナツメヤシや魚、果物、香辛料などの生鮮食品が主に販売されていました。売り手は、昔ながらの古い天秤を使って、品物の重さを計測しています。外国と比較しても決して見劣りしないショッピングセンターの後に、青空市場を見学したときには、昔の時代にタイムスリップしたように感じました。

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最後に、バンダルアッバースを出発する前に眺めたペルシャ湾について詠んだ短歌をご紹介し、今回の旅行記を締めくくりたいと思います。

 

潮風に 寄せては返す 網模様 ペルシア湾の沖津白波

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今後とも、まだまだ知られていないイランの見所を沢山ご紹介してまいります。どうぞ、お楽しみに。

ABOUT ME
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IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信でニュース翻訳のほか、イランのことわざを週2回紹介しています。20年以上にわたりイラン滞在の経験があり、2016年からはイラン人の夫とともにテヘランから西に150kmほど離れたガズヴィーン州に滞在していました。現在は、イランと日本を行き来しながら、日本の皆様に普通のメディアには出てこないようなイランのホットな情報をお届けしています。