Tere!アフヴェンです🤗
今回は2月にあるエストニアのイベント・祝日についてお話しします。
こうやってブログでいろいろ紹介してみると、エストニアのイベントは外国から来たものと本来のイベントが重なって、とても忙しいなという事に気が付きました!
前回11月12月のイベントで紹介したのもそうですね。→その時の記事はコチラ
そんなエストニアですが2月は3つイベントがあります。
1.Sõbrapäev(スブラパエヴ)
2.Vastlpäev(ヴァストラパエブ)
3.独立記念日 ※祝日
1.Sõbrapäev(スブラパエヴ)
ナニコレ?という言葉ですが、直訳すると友達の日です!日本でも最近は友チョコを渡したりと恋人間だけでなく、友達どうしても楽しむようになったと思いますが、エストニアはすでにそういう日だったことが意外でした
エストニアのVikipediaのバレンタインデーの項目をグーグル翻訳にかけると(エストニアではWikipediaがVikipediaと表記されます)”1980年代までフィンランド経由でエストニアに広がりませんでした”と書かれています…ん?!おかしな表現方法だな・・・と思いましたが要は1980年以降に広まったということです。(エストニア語の翻訳はたまに変になります。)西ヨーロッパとアメリカでは婚約・結婚の日に当たりますが、エストニアは大きく愛の日という感じです。この日になると、男性から女性へ花束とチョコレートが送られます。友達にも花束を贈ったり、カードを書いて送りあったりします。それぞれの学校では独自のイベントを行ったりするようです今思えば夫側の家族からバレンタインカードがメッセンジャーで送られてきました。今は電子化がすすんでいますね。2月に入るとスーパーマーケットでもバレンタインデー用のチョコレートや飾りが見られます。私の町のスーパーは地味でしたが
↓頂いたチョコレート
2.Vastlpäev(ヴァストラパエブ)
Vastlakukkel(ヴァストラクッケル)はスウェーデンのセムラというと伝わりやすいかもしれません。セムラとの違いは中身のクリームにアーモンドクリームを使わないみたいです。エストニアの人はこれが大好きでいろんなところでたくさん売られています。エストニアに住む日本人も大好きです!友人が送ってくれた写真がとても素敵だったので紹介させていただきます。
Vastlpäev(ヴァストラパエブ)は毎年日付が違うのですが、2021年は2月16日でした。火曜日というのは不変です。当日は平日だったので前の土日にイベントが行われました。伝統的にはスケートやそりをして競い合うそうです。
写真は私の住むJõgeva(ユゲヴァ)県のTorma(トルマ)という町で行われたイベントの様子です。ゲームしたり雪で動物を作ったり、子供たちの顔にかわいいペイントを施したりしてとても楽しそうです画像引用元:JõgevaFacebookページ
3.独立記念日
2月24日これがエストニア人にとって一番重要な日!なんといっても歴史上他国から占領されまくっている国ですから・・・😢エストニアの歴史が気になる方はWikipediaへ→エストニアの歴史
各家や集合住宅、オフィス、商業施設にはエストニアの国旗が掲げられます。街を歩くとたくさんの国旗を見ることができるので、見て散歩するのも楽しいです。エストニアでは法律で国旗を掲げる日が決まっているので、守られていないと違反になりますが、ロシア系住民が2割もいる国で掲揚しない人も出てきそうですが、その辺はどのように対処するのだろう?・・・と気になることもあります。エストニアの人ですから柔軟に対応するのだと思いますが。
独立記念日には、タリンの自由広場でにエストニア国防軍によるパレードが行われます。これはソ連に占領され独立回復を取り戻した後で始まったことだそうです。中々複雑な歴史背景です。
その他に大統領が開催する記念日のスピーチ、レセプション、プレレセプションコンサートがテレビで生放送されます。大統領が客人を迎える握手式は”ペンギンのパレード(Pingviinide paraadiks)”と揶揄されているそうですなんでも燕尾服を着た人たちの姿が似ているという所から来ているそうです。ちょっと笑っちゃいます
↓2020年のパレードの様子(テレビ映像を写真に撮りました。)すでにコロナ禍なので縮小されています。残念ながらコロナ前はまだ見たことがありません・・・
一般家庭ではたいてい家族と家で独立記念日を祝います。食卓を囲み、テレビでパレードの様子を見て、戦争映画?などを見たりします。※ご家庭によって違うこともあります。
先日義両親の家に行った時に「エストニアの独立記念日には必ずこれを食べるんだよ」と義父に教えてもらいました。ヴルツィキル(Vürtsikilu)という、ライ麦パンにキル(Kilu)という塩漬けされた魚と卵を乗せたものです。新鮮なキルが手に入ったとのこと。
独立記念日の話にちなんで、これは伝えておきたいと思ったことを書きます。
その日テレビで1944 独ソ・エストニア戦線という2015年にエストニアとフィンランドで製作された戦争映画が放送されていたので、状況を夫に尋ねながら見ていましたが、エストニアの歴史は複雑で正直知らないことが多くショッキングでした。
日本語字幕のトレーラーがあったのでご紹介します。やはり母国語字幕で見ると、文字だけでも当時の悲惨さ酷さが伺えます。
私は夫と知り合うまではエストニアという国の存在すら知りませんでした。恥ずかしながら、当時エストニアが置かれていた状況なんて全く知らずに映画をみて、これはどういう状況なのか?と軽く夫に尋ねました。
言葉が分からない為見たままの状況を説明しますと・・・
”森の中で似たような軍服を着た兵士たちがお互いに鉢合わせしてしまい緊張状態。全員の腕にはエストニア国旗のエンブレム。なにか話し合いをしている内にグループの中で年長者らしき人が銃口を相手に向ける。仲間と思われる他の若者の1人が強い口調で何か言っているが、銃を向けている人は何かを言い返している。”
という、ちょっとうろ覚えですがこんな感じでした。私は「なんで銃向けてるの?」と聞いたらナチスとソ連に分かれたエストニア兵でお互いに敵だからとのこと。一瞬理解ができませんでした。戦争って通常は自分の国の為に戦うんじゃないの?エストニアという自分の国で他国の兵として戦うなんて・・・と。
トレーラーの”同胞が殺しあう”ってすごくショッキングな言葉でした。
ナチスは世界的に悪ですが、エストニアの人にとっては対ソビエトですから、一概に悪いとも言えない…存在だったようで大変複雑です。結果はドイツは負けたので、エストニアはソ連の占領下になり有能な人(危険人物)はシベリア送り。国民は自由を奪われることになりました。そう考えると、・・・そうか・・・と複雑な思いです。
日本人で平和ボケした自分には分からない世界なのかもしれませんが、想像して共感することはできると思うのでこの気持ちを大切にしたいと思います。そんな最近の話なのでエストニアの人は嫌悪感は抱きつつもロシア系住民の人と暮らしています。中にはロシア人が悪いわけではなくソビエト時の人が悪いという人も居たりしてエストニア人の人の好さが伺えました。(いい人たちなんです。)
最後はとってもシリアスな話になりましたが、2月のイベントをご紹介しました。いかがでしたでしょうか?
また色んなイベントをご紹介したいと思います!
Head aega(ヘアド アエガ)👋🏻